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嫉妬という感情との向き合い方

最近、立命館大学の山本圭准教授が「嫉妬」について語る記事を読んだ。嫉妬という感情は、多くの人にとってネガティブなイメージを持たれているのではないか。私自身、嫉妬心を抱いたとき、自分を醜く感じ、恥ずかしさを覚え、可能な限りこの感情を誰にも見られないように隠してしまいたいと思う。

しかし、この記事を通じて、嫉妬は人間社会にとって無視できない感情であることを認識した。特に、現代の民主主義社会においては、嫉妬がどのように影響しているのかを考えることは重要なのかもしれない。

嫉妬と民主主義
民主主義は、話し合いや議論を通じて政治の進め方を決定する仕組みである。「正義とは何か」「平等とは何か」などを問いかけ、理想的な社会を模索していくことが民主主義の基盤だ。しかし、現実にはこれらの理想がうまく機能しないことが多くある。例えば、格差を是正するための政策が導入されても、「不公平だ」「納得できない」という不満の声が上がることが少なくない。

こうした不満の背後には、しばしば非合理的な感情が隠れている。その中でも特に厄介なのが「嫉妬」である。


なぜ人は嫉妬するのか
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間は誰にでも嫉妬するわけではなく、むしろ身近な人に対して嫉妬心を抱く」と述べた。確かに、私たちは隣人や同僚の成功を羨むことがあっても、どこかの大富豪に対しては嫉妬を抱くことは少ない。これは、嫉妬が「比較可能な者同士の間で生じる感情」であることを示唆している。

他者との比較自体は、必ずしも悪いことではない。むしろ、他者との比較を通じて、自分の価値や努力を見つめ直すことは、成長につながることもある。ただし、その比較によって生じる嫉妬感情については、正しく理解し、対応していくことが求められる。


上方嫉妬と下方嫉妬
嫉妬には、「上方嫉妬」と「下方嫉妬」がある。上方嫉妬とは、自分よりも成功している人や、自分が目指しているレベルに達している人に対して感じる嫉妬だ。例えば、昇進した同僚や、成功を収めた友人に対して感じる嫉妬がこれにあたる。このような感情は、人間の本能的な反応として理解しやすいし、ある程度は自然なものだと捉えられるだろう。

一方、下方嫉妬は、自分より劣位にある人と比較して抱く嫉妬感情である。例えば、日本では生活保護受給者へのバッシングがしばしば問題となっている。社会保障制度は、困難な状況にある人々を支え、社会全体の福祉を向上させるものである。しかし、「自分は懸命に働いているのに、なぜ彼らが支援を受けるのか」といった感情が嫉妬の形で現れることで、社会の弱い立場にある人々が攻撃されることがある。

また、最近の大学生が「授業の出席確認をきちんと取ってほしい」と要求する背景にも、似た感情があるのかもしれない。出席せずに単位を取得する人を許せないという思いが背景にあることがわかる。これは、他者が自分と同じ評価を受けることに対する不満や嫉妬であり、「自分が努力しているのだから、他者も同じように努力すべきだ」という感情が根底にある。


社会における嫉妬の影響
嫉妬感情は、社会全体をより厳しいものにしている。直接的に自分の利益に影響を与えないにもかかわらず、他者が利益を得ることに対して拒否感を抱くこの感情は、社会の分断や対立を生む要因の一つとなっている。特に、民主主義社会においては、平等が中心的な価値になるが、どんな社会であっても完全な平等というのはあり得ず、常に差異が生じる。その差異が小さくなればなるほど、人々はその差がより気になって互いを比較し、嫉妬感情が膨らんでいく。


嫉妬との向き合い方
こうして考えると、嫉妬は民主的な社会において避けられない感情だと言える。だからこそ、嫉妬を完全に排除しようとするのではなく、その存在を認めつつ、どのように付き合い、コントロールしていくかが重要な課題となるだろう。嫉妬心を認め、そのエネルギーを建設的な方向へ向けることができれば、個人の成長や社会の発展につながるのかもしれない。
 
 
余談-とは言いつつも…
なんだか小難しい内容のブログになってしまった。このブログを書いたのは、嫉妬に関する記事を読んでドキっとしたから。自分の内側に潜む醜い部分を指摘され、心の奥にある黒い感情を認めざる得ない気持ちになったのだ。収入がない中で貯金を切り崩して生活していると、時折、自分にはない支援を受けている人を羨ましく思ってしまうこともある。また、講義に参加せずに、出席確認の名前の記入を頼んでくる友だちを疎ましく思うことだってあった。上方嫉妬と下方嫉妬、どちらの嫉妬心も抱いて、隠して、なんとか今の状態を打開して乗り越えるぞと日々奮闘している自分。人間らしくっていいじゃないか。

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