もう読めない「母の懺悔」の内容が少しだけ気になっている
今日は母の日らしいので、楽しい話じゃないけど母の話を書いてみる。
母親から、一度だけ長文メールを受け取ったことがある。
あれはわたしが26だったか27だったか、最初の自殺未遂をした後のことだ。自分ではまったく記憶にないが、胃洗浄を受けた直後のわたしは病室を訪れた母に「お前は来るな!」とキレたらしい。
その少し前からわたしはひどい摂食障害を患っており「母親から離れたい」という目的で精神科に一週間ほど自主入院していた。彼女から距離を取ったのは初めてのことで、陳腐な表現だが文字通り「息がしやすい」と思ったのを覚えている。
で、実家に戻ってどれくらい経ってからだったか忘れたが、わたしは初めて命を絶とうとした。失敗したけど。
それで急遽「実家を出よう」ということになり、父と田中さん(現在の夫だが当時は未婚だったので便宜上こう呼ぶ)がワンルームマンションを見つけてきてくれた。
この一人暮らし計画自体は「致命的に片付けができない上にゴミ出しの時間に起きられない」というADHD丸出しの理由から数ヶ月ほどで頓挫した。
その間に母親から一度だけ長文のメールが届いた。
タイトルが「母の懺悔」だったのは覚えている。
内容は忘れた。
読んだときの気持ちは覚えている。
それは「結局その程度の理解度か」という絶望。そもそもタイトルも気に食わない。「こちらが離れようとし始めたからって今さら『母』とか言い出すなよ、気持ち悪い」というのが率直な感想だった。
このメールに返信はせず、そのまま削除したか、ケータイの機種変更をしたか。もう本文は残っていない。
あれから20年近くが経とうとしている。
わたしは彼女に一度も会っていないし声も聴いていない。田中さんと結婚した際には式を挙げずに「親戚deお食事会」をしたが、そのときにも我が家側の参加者は父と妹だけ。最終的にどちらの命が先に尽きるのかは知らないが、たぶん最後までこのままだと思う。
ただ最近、「あのとき母は何を言いたかったんだろう」と少し気になっている。ライター仲間に「母親側」の人が多いからかもしれない。どの方も自分の育児に100点満点の自信なんて持てないまま日々格闘されていて、「もしかしたら母もあのとき…」と思うことが増えた。
あの長文で彼女は何を言いたかったんだろう。今読めたら、感想も違ってくるのかもしれない。
まぁ、先日電話番号からかLINEが来て反射的にブロックしちゃったけどね。
