短編小説『黄金の鎧と、白き花の誓い』
目を覚ますと、真っ白い世界だった。
右を見ても白。
左を見ても白。
上も下も白。
自分が床に立っているのか、空中に浮いているのかすらわからない。
死後の世界、というやつだろうか。
俺は昨日の記憶を辿る。
王都警備隊の夜勤明け。
詰所で同僚と安酒を飲み、帰宅して、寝た。
そこまでは覚えている。
つまり、寝ただけで死んだ可能性がある。
……嫌すぎる。
「君さぁ、もっとしっかりしてよね」
突然、声がした。
今の今まで何もなかった場所に、金ぴかの椅子が現れていた。
そこに座っていたのは、十歳くらいの少年だった。
やたら偉そうに足を組み、頬杖をつき、こちらを見下ろしている。
顔立ちは整っている。
だが、表情が最悪だった。
子供の姿をした神々しき存在、というより、菓子を買ってもらえずに店先で暴れる貴族の坊ちゃんに近い。
「誰だ、お前」
「不敬だな。天罰!」
少年の目が光った。
次の瞬間、俺の全身を痛みが貫いた。
「ぎゃああああああああああああ!」
ドラゴンの炎で焼かれながら、雷に打たれ、ついでに馬車十台に轢かれたような痛みだった。
膝をつく余裕すらない。
白い空間の中で、俺は情けなく痙攣した。
「わかったかい。ボクちんは神様なのだ。ただ言うことを聞いていればいいのだ」
な、に、を、言って……
「天罰」
「ぎゃあああああああああああああ!」
痛みが倍になった。
神様という存在に、俺は今日、はじめて明確な感情を抱いた。
こいつ、嫌いだ。
「君の使命は、ボクちんの愛する白花たんを守ること。守るまで終わらないからね〜」
白花たん。
そのあまりにも軽い響きを最後に、俺の意識は途切れた。
◇
目を覚ますと、いつもの天井だった。
古びた木の梁。
染みのある板。
寝返りを打つたび軋む安物のベッド。
間違いない。
俺の部屋だ。
「夢か……?」
起き上がろうとした瞬間、身体が重かった。
布団をめくる。
俺は、黄金の鎧を着ていた。
「なんでだよ」
思わず声が漏れた。
全身を覆う見事な鎧だ。
金色に輝く装甲には、細かな装飾が刻まれている。
肩当てには竜。
胸元には太陽。
腰には謎の宝石。
どう見ても国家予算で作るやつだった。
少なくとも、王都警備隊の薄給で買える代物ではない。
その時、頭の中に声が響いた。
『黄金の鎧。白花たん護衛専用神器だよ。大事に使ってね。壊したら天罰だから』
「説明が雑すぎる」
俺は鎧を脱ごうとした。
脱げなかった。
「おい」
『着脱不可だよ。だって使命感が薄れるでしょ』
「薄れるどころか恨みが濃くなるわ!」
返事はなかった。
仕方なく、そのまま出勤した。
◇
詰所に入った瞬間、同僚のダンがこちらを見て固まった。
「……お前、どうした?」
「わからん」
「なんで黄金なの?」
「わからん」
「夜勤明けに何があった?」
「神に会った」
「酒、抜けてないな」
違う。
酒のせいなら、どれほどよかったか。
隊長には怒られた。
「任務中に目立つ装備をするな!」
「脱げないんです」
「言い訳をするな!」
「では隊長、脱がせてください」
隊長は俺の鎧を引っ張った。
部下二人も加わった。
最終的に、俺を中心に綱引き大会のような光景になった。
五分後、隊長は腰を押さえて言った。
「……よし。職務上必要な装備と判断する」
「判断が急に柔らかくなりましたね」
その日の俺は、黄金の鎧姿で王都をパトロールすることになった。
目立った。
とても目立った。
子供には指を差され、商人には拝まれ、旅芸人には仲間だと思われた。
「兄ちゃん、今日はどこの劇場だい?」
「人生という劇場です」
「疲れてるなぁ」
疲れている。
主に神のせいで。
その時、通りの一角で花を売る女性が目に入った。
白い花を抱えた若い女だった。
淡い金色の髪。
柔らかな笑み。
白い花を一輪ずつ丁寧に束ねている。
「白い花……」
まさか、と思った。
いや、違うだろう。
神の言っていた「白花たん」は、たぶん人物名だ。
王女とか、聖女とか、伝説の巫女とか、そういう重要人物に決まっている。
花売りの女性は、こちらに気づいて微笑んだ。
「騎士様、お花はいかがですか?」
「騎士ではない。警備兵だ」
「でも、とても立派な鎧ですね」
「俺も今朝知った」
女性は不思議そうに首を傾げた。
俺は気まずくなり、白い花を一本買った。
「ありがとうございます。私はリリアと申します」
「俺はアレンだ」
「アレンさん。お仕事、頑張ってくださいね」
そう言って笑う彼女を見て、少しだけ気分が軽くなった。
そして俺は、その出会いをすぐに忘れた。
なぜなら、その日から地獄が始まったからだ。
◇
最初に守ったのは、王女だった。
白花といえば、高貴。
高貴といえば王女。
間違いない。
俺は黄金の鎧の機能の一つ、透明化を使い、王女の部屋の近くでこっそり警護した。
透明化できるなら、出勤時に使わせろと思った。
王女は一日平和に過ごした。
毒も暗殺も誘拐もない。
完璧だ。
これで終わりだと思った。
夜になり、瞬きをした。
次の瞬間、俺は自分の部屋で目を覚ました。
朝だった。
「……戻ってる?」
机の上には、昨日買ったはずの白い花がなかった。
日付も昨日。
隊長の腰もまだ無事。
時間が巻き戻っていた。
『白花たんを守るまで終わらないからね〜』
神の声が蘇る。
「王女じゃないのかよ!」
そこから、俺の長い勘違いが始まった。
次に守ったのは聖女だった。
彼女は本当に暗殺者に襲われた。
俺は天井裏から飛び出し、暗殺者を一撃で捕らえた。
「何者ですか!」
「通りすがりの黄金です」
聖女は泣いて感謝した。
これで終わりだと思った。
戻った。
「聖女でもないのかよ!」
次は国一番の美女を守った。
戻った。
貴族令嬢を片っ端から守った。
戻った。
白い服の女性を守った。
戻った。
白髪の老婆を守った。
戻った。
白い犬を守った。
戻った。
白猫を守った。
戻った。
白い牛を守った時点で、俺は少し泣いた。
「神様、せめて範囲を教えろ!」
『白花たんだよ』
「それがわからないんだよ!」
返事は天罰だった。
◇
何度も、何度も、同じ朝を迎えた。
俺は王都を飛び出し、他国にも行った。
黄金の鎧には飛行機能があった。
高速化もあった。
音を超える速度で移動できた。
最初は感動した。
十回目には慣れた。
百回目には吐いた。
高速飛行は便利だが、着地地点を間違えると畑に刺さる。
俺は他国の白い塔を守り、白い鳥を守り、白い神獣を守り、雪山の白い巨人まで守った。
だが、朝は来ない。
正確には、いつも同じ朝に戻る。
千回を超えた頃、俺は任務を投げ出して酒場で飲んだ。
一万回を超えた頃、俺は王都の広場で寝転がった。
何万回目かは、もう数えていない。
その日、俺は街角に座り込んでいた。
鎧は相変わらず黄金に輝いている。
俺の心だけが、干からびた雑巾のようになっていた。
「騎士様?」
声をかけられた。
顔を上げると、花売りの女性がいた。
リリア。
白い花を抱えた、あの女性だ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に見えるか?」
「見えません」
「正直で助かる」
彼女はくすりと笑った。
「よかったら、お花いりませんか?少しは気分が変わるかもしれません」
「花で救われるほど、俺の人生は軽くない」
「では、おまけします」
「一本ください」
軽かった。
俺は白い花を受け取った。
リリアは、今日も変わらず穏やかに笑っていた。
「騎士様は、毎日大変そうですね」
「警備兵だ」
「でも、誰かを守っているのでしょう?」
「守っているつもりだった」
「つもり?」
「いや、なんでもない」
俺は久しぶりに、誰かと普通の会話をした。
王女でも聖女でも令嬢でもない。
世界を救う使命とも関係なさそうな、ただの花売り。
なのに、その時間は妙に心地よかった。
「リリアは、どうして花を売っているんだ?」
「母が好きだったんです。白い花が」
「母親が?」
「はい。だから、私も好きになりました。誰かに渡すと、少しだけその人の一日が明るくなる気がして」
「……いい仕事だな」
「ありがとうございます」
そう言って彼女は笑った。
その笑顔を見た瞬間、俺は思った。
たぶん、何万回も繰り返す前なら、気づかなかった。
王女や聖女や美女ばかりを追いかけていた俺には、目の前の花なんて見えていなかった。
「それじゃあ、俺は行く」
「はい。どうか、お気をつけて」
リリアに背を向けた、その時だった。
路地裏から男が飛び出した。
刃物を持っていた。
狙いは、リリアだった。
「危ない!」
俺は反射的に駆け出した。
黄金の鎧が光る。
身体が加速する。
男の刃が届く寸前、俺はリリアの前に立った。
刃は鎧に当たり、軽い音を立てて折れた。
「なっ……!」
「花売り相手に刃物とは、趣味が悪いな」
男を取り押さえる。
リリアは震えていた。
「アレンさん……」
「無事か?」
「はい……」
その瞬間、空気が変わった。
いつもの巻き戻りの気配がない。
時間が、進んでいる。
「……まさか」
俺はリリアを見た。
白い花を抱えた彼女。
神が言っていた、白花たん。
「お前かよ!」
「えっ?」
「いや、違う。悪い。こっちの話だ」
ようやく終わった。
そう思った。
だが、甘かった。
「あ」
リリアが空を見上げた。
俺もつられて見上げる。
四階の窓辺から、花瓶が落ちてきていた。
「またかよ!」
俺はリリアを抱えて横へ飛んだ。
花瓶は地面に叩きつけられ、派手に割れた。
「大丈夫か?」
「は、はい」
その直後、建物の影から弓矢が飛んできた。
「まだかよ!」
矢を叩き落とす。
屋根の上には暗殺者がいた。
「花売りに暗殺者って何だよ!」
暗殺者を捕まえた直後、今度は空から黒い影が降ってきた。
魔人だった。
「白花を渡せ」
「渡すか!というか急に話が大きくなったな!」
黄金の鎧が輝き、拳が魔人を吹き飛ばす。
魔人は王都の外壁まで転がっていった。
俺は息をつく。
地面が揺れた。
遠くから鐘が鳴る。
「魔物の群れだああああ!」
街の外でスタンピードが発生していた。
「なんでだよ!」
俺は飛んだ。
黄金の鎧の力で空を駆け、押し寄せる魔物の群れをまとめて吹き飛ばす。
戻ると、地震が起きていた。
「休ませろ!」
建物が崩れそうになっている。
リリアを抱えて避難させ、倒れる塔を支え、割れた地面を鎧の力で塞ぐ。
終わったと思ったら、遠くの山が噴火した。
「白花たん、日頃の行いどうなってるんだ!」
「私、普通に生きてきただけです!」
「普通の人間は一晩に暗殺者と魔人とスタンピードと地震と噴火を呼ばない!」
俺は火山灰を吹き飛ばし、溶岩を冷やし、逃げ遅れた人々を助けた。
空が白み始めた。
朝だ。
長い夜が終わる。
俺はリリアの隣に立ち、ようやく息を吐いた。
「終わった……」
「アレンさん、本当にありがとうございました」
「もう二度と神の仕事は受けない」
その時、空が赤く染まった。
見上げる。
巨大な隕石が落ちてきていた。
「最後にそれはないだろおおおおおおお!」
俺は空へ飛んだ。
黄金の鎧が、太陽のように輝く。
拳を握る。
隕石に向かって、全力で突っ込んだ。
「俺は警備兵だぞ!給料に見合ってないんだよ!」
拳が隕石を砕いた。
空一面に光が散る。
その光は、白い花びらのように王都へ降り注いだ。
◇
地上に戻ると、リリアが俺を待っていた。
白い花を一輪、差し出してくる。
「アレンさん。これを」
「金は?」
「いりません。命の恩人ですから」
「助かる。今月、鎧のせいで酒代がかさんでる」
リリアは笑った。
その笑顔を見て、俺も少しだけ笑った。
頭の中に、あの神の声が響く。
『おめでとう。白花たん護衛成功だよ』
「二度と呼ぶな」
『えー。でも君、けっこう似合ってたよ。黄金の鎧』
「脱がせろ」
『それは無理』
「なぜだ」
『だって、白花たんの危険はこれからもたくさんあるからね』
俺はゆっくり空を見上げた。
神は続けた。
『というわけで、君にはこれからも白花たんを守ってもらうのだ。永年契約で』
「契約書を見せろおおおおおお!」
俺の叫びが王都に響いた。
リリアは不思議そうに首を傾げる。
「アレンさん?」
「……リリア」
「はい」
「君、明日から家に引きこもる予定はないか?」
「ありません。花を売ります」
「だよな」
俺は黄金の兜を抱え、深く息を吐いた。
最悪の神に選ばれた。
最悪の使命を押しつけられた。
そして、守るべき相手は、王女でも聖女でもなく、街角で白い花を売る一人の女性だった。
だが。
彼女が差し出した白い花は、朝日に照らされて綺麗だった。
「仕方ない」
俺はその花を受け取った。
「白い花くらいは、守ってやる」
リリアは嬉しそうに微笑んだ。
その瞬間、背後で荷馬車が暴走した。
「さっそくかよ!」
俺は駆け出した。
今日も王都は平和ではない。
そして俺の給料は、やはり割に合わない。
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