「与えるだけ」という非善の行為
与えられるばかりが良くないことと同じくらい、与えるばかりも良くはない。与えることが倫理で、善行で、平和のためと信じることは偏屈である。
然るにそれと同じだけ与えられることがなければ、与えることに意味はない。
なぜならただ自らのものや、行いや、その他自由にできる何かを与えることに執心する人ほど、唯一にして大きなものを与えることを忘れているからである。
それは人が誰かに与える機会そのもの。
与えようと思う心。与えたいという欲望とその充足。そして与え合ったことで芽生え育まれる信頼関係だ。
与えるばかりの片務的な関係にそれらはない。ゆえにそれは健全ではない。残念ながら、それはただ施しと施されるという強弱の間柄。
そうではなく、真に人間同士で有用なのは与え、そして与えられるという互助なのだ。それはどんな力関係にあろうとも変わらずに、何かを補い合う人の精神。支え合う人類史の摂理。そうしてなし得た進化と巨大な栄華。豊かな精神と生。
ゆえに人は自然とそれが大切だと知っていて、その形こそが理想であると分かっている。
よって与えるばかりは善い行いではない。もしそうして満足してしまうのならば改めねばならない。与えたら、与えられねばならない。与える機会を、与えたことによる満足を、与え合った連帯感を、自他ともに与えるべきなのである。
そうでなければ片手落ちだ。
与えられることは良くないし、与えるばかりも良くはない。
私たちは互いに与え、互いに与えられるべきなのだ。なんでもかんでも与えれば良いわけではなく、与えられるのも良くはない。
その片務的な人間関係に甘んじてはならない。与えるのなら、与えられること。
それが支え合う本来の姿を得た、人間としての倫理的な生き方だと言えるだろう。
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