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粗探しは日常で、それをやめることはできなくて

 粗探しをするのは気持ちがいい。あまりにも気持ちよすぎて中毒者があふれているほどである。世はまさに大いなる粗探し時代であり、私たちはいとも簡単に、何もかも粗探しをして生きてしまう。
 その満足感は、なんの責任もないままに一仕事した気になれるというコスパの良さだろう。粗探しはとにかく効率がいい。実際には何かをやる必要も、作る必要もなく、すでにある何かに対して言葉を弄すればいいのだから。

 それは他者の努力を、責任なく貪れるというあまりにも美味しい行為だ。一度味わったらやめられるはずがない。少し苦言を呈すつもりが途端に粗探しに夢中になってしまうくらいには、その魔力は強い。
 人は元来、効率的に、楽に、最適に生きることを得意とするものである。そうやって生き延び、種々の生物と比べて蔓延ってきた。
 知能というのはそういうことである。だからこそそれは、粗探しに大いに注がれることになる。

 粗探し時代は脈々と続けられ、テクノロジーの発展とともに強固になってきた。現代においてそれはもう、私たちに欠かせない生き方として定着するどころか、私たちの一部にすらなっている。

 粗探し。

 それはもはや日常だ。
 私たちはどんなものにでも粗を探す。そして満足感を得る。あまつさえそれを分かち合い、さらに粗を探し、ステータスにすらし、生活の糧にしている。
 どこまで行くのだろうか、この粗探しは。
 そして私たちの生きる方法は、まだまだ、粗探しとともに発展していくのだろうか。

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