魯山人の器のように生きるってどんな意味やねん(ここ数日の覚書)
考えごとやらで頭のキャパオーバーと、ちゃんと対応しなきゃキャパオーバー。自分が何をどうしたら良いか、あれやこれや。立っている位置も分からなくなっていた。
からだに力入らないなぁなんかどうでもいいなぁ。疲れて9時半に眠った金曜日。
土曜日。起きたものの無理。
シャワーあびてゆで卵食べて寝る。
起きて夜は常夜鍋。また寝る。
日曜日。
昨日いっぱい寝たからか体調が良くなった(気がした)。発表会の予定をこなしに出かける。自分の番終わって帰ればよいものを、「いた方が良いかも」と「いたいかも」な気持ちに引きづられ、夕方まで会場に。
途中で、呼吸がしんどくなってきて(自律神経の乱れらしいわ)退散。
シャワーだけ手早く済ませて何も食べずに即寝。
月曜日明け方
お手洗いに起きる。お腹をくだした感じ。
トイレを出てふとんに戻る。その10分くらいまたトイレに。これを何回か繰り返す。
月曜日
トイレが友達だったので、仕事やすむ。しんど。つら。はぁー。
昼から落ち着いてきて、柔らかく煮たうどんを食べてみる。
夜は豆腐を茹でて食べる。
火曜日
体調はぼちぼち元気。ヘルペスが出た。マスクして出勤。
夜、NHKドラマ「魯山人のかまど」をみる。
北大路魯山人が好きなのだ。ドラマでは、魯山人は傍若無人でガンコな人、だけど、そのうらで、優しくて繊細で子どものような魯山人を描いていた。
魯山人の器や文字を見たことある。なぜか惹かれる作品たち。おおらかな魯山人像がしっくりきた。
あー…だから私は、魯山人が好きなのだ。
その夜夢を見た。
大きな丸くて少し深い鉢のような器(きっと魯山人の器)が、ふわんと現れた。その器を、私の魂?がふわふわ見てて、器と魂は「あったかでおおらかで包み込むようで自由」な感じだった。
私は魯山人の器みたいになりたいのだ。
その器のことを思い浮かべる。宙に浮いたようなふわふわしてる器を、自分の意思でトンっと置くイメージが浮かんだ。
あったかでおおらかで包み込むようで自由。そこに「トンっ」といる存在。
それを分かってくれる人だけに分かってもらえれば良い。朝の寝ぼけた頭で感じた。
水曜日
誕生日になった。
色々出たからか、整った?スッキリした気持ちになった。出勤の車の中、朝礼あとの部署ミーティングで、この1年の宣言をしようとふと思いついた。我ながらナイスアイデア。泣きそになった。
「今日誕生日です」と突然言い、話しはじめた。
こんなふうに働きたい。こんなふうに生きたい。上司は「いいね」と言った。最後に「魯山人の器のようになりたい」とポツンと話したら、「それは分からないけど」と言った。
それで良い。
わたし、おめでとう。
ここ数日のお話、忘れないように書いとく。
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