アンジャッシュのコントで考えてみた
「視覚支援」と聞いて、何をイメージする?
僕はこう見えてかれこれ15年くらい自閉症・発達障害支援の界隈をうろちょろしてるので「視覚支援」という単語は「りんご」という単語と同程度に身近なんだけども、
「視覚支援」という単語はどうも分かりにくいようだな、とようやくわかってきて、「あれ?もしかして?!」と最近思ったことがありをりはべりいまそかり
特に教育や福祉に関係ない人には、「視覚支援」と聞いたら視覚特別支援学校(旧盲学校)や視覚障害者を連想する人が多いんじゃないかな
自閉症支援の界隈では、「音声や時間、気持ち、抽象的な概念は理解しにくいから、それを見える形で伝える」ことを「視覚支援」と呼びます
すると「視覚支援ってね」と話し始めても、どんどんチグハグになっていく
こういう風に、背景知識や経験(スキーマ)が異なるまま、コミュニケーションをすすめようとすると、
「こいつ何言ってるんや?」
「ん?途中まで話あってたけどなんか言うてることちがうよな?」
ということが起こってしまう。
いや、そう気づけたらいいけれど、最悪の場合「こんな奴とは付き合えない!ひどい奴だ!訴えてやる!」
も、あり得る
というか、SNSの炎上はほとんどそれやと思う
「鳥獣被害」と聞いて何をイメージする?
例えばね、
「鳥獣被害」という単語を聞いた時に、
都会で暮らすAさんは生ゴミを荒らす迷惑なカラスの延長線上で捉えるかもしれんし、知床半島で暮らすBさんはヒグマを連想するかもしれんし、農家のCさんならイノシシが田畑を荒らす場面を連想するし、林業をする人ならシカを連想する
「鳥獣被害」が何を示すかを確認しないまま話を進めると、平行線どころか、どんどん離れてっちゃいます
これってアンジャッシュのコントと同じ構図なんですよね
Aさんの捉え方と、Bさんの捉え方がズレてるまま話が進んでしまう
Aさん「鳥獣被害がひどくてさー」
Bさん「え?都会にも被害あるの?!」
Aさん「やっぱり生ゴミとかがあるとねぇ」
Bさん「そっか…都会の生ゴミまで被害が…もう片っ端から殺処分するしかないよね」
Aさん「いやいや、なんでそんなひどいこと言うの?生ゴミあさるだけで殺すことはないでしょ!」
Bさん「は?やるか、やられるか、だよ!それは甘すぎるよ!」
Aさん「Bさんってそんな暴力的な考え方だったの?ガッカリしたわ」
というようなこと。これは「鳥獣被害」の単語の意味をお互いで確認しないまま話を進めてるんです(言葉の定義)
「みんな」って聞いて、何人思い浮かべる?
子供がおもちゃねだる時に、「みんな持ってる!」って言うけど、
大人は「みんなって誰やねん?」と返す刀で答えるでしょ
大人は「ほらみてみ、3人しかおらん。持ってない子の方が多いやろ!」と一蹴してしまう
けど子供にとったら、そもそも大人より知ってる人、関わりのある人≒分母が小さいわけで、
いつも遊ぶ3人の友達が生活の多くの時間を占めてるわけやから、「3人はみんなやろ…」となる
こういうすれ違いというのは、大人と子供、とか、世代、とか、そういう大きなくくりだけではなくて、仕事仲間や取引先、友人同士、なんなら一番理解し合ってると思える家族同士でも起こってるわけです
しかも「言葉」とか「単語」だけでなくて、お互い分かってる「つもり」が積もっての世の中やと思った方がいいです
平行線ならまだええけどね
コントやったらね、見てる側は外から見てるから笑ってられるけど、
本人同士やと「何で分かってくれへんねん!!」挙げ句は「これが分からんなんてひどい奴や!」になっちゃう
話が平行線どころか、離れていく一方なんです。
関西やと「大山崎ジャンクション」という日本有数の巨大ジャンクションがあるんですけど、興味あったら是非検索してみてほしいんですけどね、
時速数十キロで走りながら、分岐が数回連続するんです。
しかも1回ミスったら全然違う方向に行っちゃう。下手すりゃ来た道を逆に戻る。それくらい気をつけてやっと、行きたい方向に行ける。
だから、「大山崎ジャンクションから1時間やで」
っていうても、出発は同じところだったのに、1時間後には全然違う場所になっちゃう。
グループで4人ツーリングしてて、1人は舞鶴の日本海、1人は神戸の瀬戸内海、1人は伊勢湾に向かい、1人は海のない岐阜にいる、みたいなことになる。
これ、YouTuberの企画やったら面白いなぁと見てられるけど、
自分で運転してたら泣きそうになるでしょう?
スキーマ産業
相手が見ている景色は、自分が見ている景色と違う→スキーマが違う、ということを再確認せなあかんな、と、思う次第なのです。
そのスキーマの違いを確認したり、埋めたりすることをせずに、相手に伝わる訳がないな、と。
というわけで、僕はそう言うスキーマ産業をやってかなあかんのやろな、と思う訳なのです。
