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中華料理の歴史は四千年、麻婆豆腐の歴史は100年

今晩はこの「内外情勢トリビューン」で初の「お茶の間の話題」を取り上げてみることにする。中華料理において「麻婆豆腐」に至る長い歴史を述べてみたい。

俗に中華文明は四千年の歴史を誇るという。それだけ食文化の歴史もあるわけだが、考古学的な出土品からすると六千年前の穴の開いた土器が出土しており「蒸し物」の存在がうかがえる。さらに伝説から現在は史実とみなされる黄河南岸の夏王朝の末期にはすでに宴会が存在していたという。
そして殷、周の時代と下り、春秋戦国時代にはすでに「周の八珍」という焼き物、煮物、蒸し物、そして加熱しない漬物(塩漬け、酒漬けなど)などが献立に揃っていたという。魚の照り焼きもあったというから、なかなか本格的である。
そして約二千年近く前の漢から三国時代にかけて、料理の主膳は蒸し物、特に「ちまき」だったのだそうだ。ほかに周の時代以来の煮込む、直火で焼く、干すなどが多かったそうだが、これらは他の文明圏でも幅広く行われていた調理法である。

そして漢の時代に3千万以上を誇った人口は、三国時代には戦乱で膨大な犠牲者を主に中原地帯で出した結果、最大の「魏」で600万、南方の「呉」が300万、四川に割拠した「蜀」は100万にも満たなかったという。まさしく根絶やしである。
この人口の激減ぶりから、いかに中原が荒廃し、また疫病もあって無人の野になったか、分かろうというものである。

そんな三国時代も「魏」をクーデターで簒奪した「晋」が2年前に併合した「蜀」に加え、280年に「呉」も併合して統一王朝を回復するわけだが、荒廃した中原がそう簡単に回復するはずもない。40年もしないうちに周辺の異民族が国力もおぼつかない「晋(西晋)」を滅ぼし、ふたたび中原は「五胡十六国」と呼ばれる戦乱に落ち込んだ。
いっぽう「西晋」の皇族のひとりが、かつての「呉」のあった南方の地に逃げ延びて「東晋」を建国、戦乱の北中国と王朝交代が続いた南中国とのあいだに「南北朝時代」が生じた。
そして、こんな生きるか死ぬかの間際の際に、食文化など発達するはずがない。だが現在に残る最古の中国の農書「斉民要術」(農書だが部分的に料理法も兼ねる)が刊行されたのは、この時期であった。「斉民要術」には北方騎馬民族の食を反映して、乳製品の記述があることも注目される。

中国王朝が安定を見せるのは、北中国の覇者となった「隋」が南中国の「陳」を併呑し、南北中国の統一がなってからになる。もちろん「隋」は二代皇帝煬帝の悪政にクーデターが起きて王朝は「唐」に代わるが、おおかた平和な時代が戻ってきた。またこの頃、漢のころの人口にようやく戻ったらしい。
その他、この時代には官人登用のための「科挙」も始まり、さらに黄河と長江を結ぶ大運河が開通して南北中国の流通や文化交流が拡大、文治主義の花が開くようになった。
中国古来の交通の特徴を指して「南船北馬」というが、これは農産品や食においては同時に「南米北麦」でもあった。そして大運河が双方を結ぶことで大量輸送が可能となり、ようやく多彩な食文化の時代がやってきたのである。餃子や菓子なども、この時代に揃い、食のバリエーションが広がった。

唐のあとは短期間「五代十国」の争乱時代があったが、その後に商業貿易色の強い「宋」の時代が来る。おそらく、この頃から陶磁器の作成に欠かせない燃料(石炭、特にコークス)の交易が始まったのであろう。「中華料理は火力!」というが、中華料理から始まった特徴的な料理・加熱方法こそ短時間で少量の油で一気に仕上げる「炒め物」。これほどの火力はコークスでもなければ出ないのではないだろうか。
あまり日常で意識しないが「炒め物」こそが中華料理を特徴づけている。続いて多量の油を使う「揚げ物」も普及する。

「宋」のあとモンゴル民族によって征服された「元」の約100年は「科挙」が廃止されるなどしたため、食文化の上では混乱もあったと思われるが、西方由来の食文化ももたらされたのだろう。イスラム化した漢民族を示す「回族」のイスラム中華料理が登場したのも、このあたりかと推測される。

そして「明」の時代に「科挙」の復活などとともに、文治主義的な文化が復活し、広い国土それぞれで発達した料理が整理されていく。
例えば北中国は麦や肉、南中国は米や魚、という伝統は「南船北馬」の古来から存在したが、もう少し詳しく分ければ「北」(華北)は塩味の強い北京料理・山東料理、「南」(南岸)は素材を活かした広東料理、「東」(長江中下流)は甘酸っぱい江蘇料理、「西」(長江上流)は辛い四川料理が日本ではイメージされる。
しかし中華料理でよく使われる地理的分布は「八大菜系」で、上の四料理に加えて上海など長江下流の甘めの浙江料理、中国中北部の安徽料理(発酵食が多い。この安徽料理店は海外で少ない)、中南部沿岸の福建料理(のち華僑の料理となっていく)、中南部内陸(長江中流)の湖南料理が挙げられるそうだ。
食材としても華北や四川(つまり内陸中心の地方)に肉料理が目立つのに対し、長江中流から下流の流域では川魚を加熱する料理が多い。そして沿岸では海魚、というわけだ。

さらに「清」の時代は宮廷料理として、各地料理の粋を集めた「満漢全席」が著名となる。ここに中華料理はひとつの完成形をみたといってもよいが、それでもヨーロッパ諸国の進出とともに沿岸部からミルク・クリームをソースとするなど、新しい料理が誕生し、この流れはいまも続いている。

さて麻婆豆腐は「満漢全席」のひと皿になったのだろうか。
残念ながら答えは否である。なぜなら麻婆豆腐は清朝末期、日本でいう明治の後期に、四川地方の陳家の「麻」婆さんが作る、ひき肉と辛みそで和えた豆腐の料理が近所で評判になったことから始まったためだ。全中国的に著名になった頃には、時代は清朝から中華民国に移っていた。
このように中華料理四千年の歴史のなかで「麻婆豆腐」は、わずか100年と少ししか歴史がないのである。

だが味の美味しさに時代はない。たとえ100年しか歴史がなくても、立派に四川料理、いや中華料理の代表格たる一品ではないか。
このように中華料理は今日も変化を遂げて、私たちの舌を楽しませてくれる。中国という国には様々な問題があろうと、私たちはその文化と担う人々には敬意をはらうべきである。
もちろん、そのとき中国もまた日本の文化や担う人々に敬意を払うべきだろう。
麻婆豆腐から話を広げたが、両国が文化的に対等互恵の関係になることを願ってやまない。

by 九郎

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