2026.02.15 掛川市 花と寺社とお城近隣歩き回り旅
はじめに
我が家恒例の運転手、私、次男くんの3名でとりおこなう日帰り次男くん歩かせの旅。お気づきでしょうか。そう、我家でも案外珍しい連日の外出。運転手の希望で今日も少しだけ近い場所を回ろう、帰りに●●(大型量販店)寄ろう、と言うので出かけることに。次男くんは、日曜くらいゆっくりできると思っていたのかあまり乗り気ではなかったが「近い所だよ(比較的)」と声をかけてようやく車に乗る。
国道1号線バイパス掛川から
国道1号線バイパスを西に向かい、あんがい新しくできた菊川ICもそのまま通過。掛川市に入る。
前方遠目に見えるのは粟ヶ岳(標高532m)。お茶の文字が見える。

ねえ粟ヶ岳上ってみる? と聞いたけど運転手の答えは否、だったよ。
初馬 ロウバイの里と眞昌寺
週末にふとネット記事に出てきたニュースで知ったのだが、掛川市初馬(はつま)の荒れた地にロウバイを何本も植えた方々がいて、今が見頃とのことだったので、そこにまず行ってみよう、と提案。運転手は花に全然興味はないが、次男くんを歩かせられるかも、ということでそちらに向かう。
目印が無かったので適当に近くのお寺を目指すが、そこより北よりみたいだったので進路を少し変えて、北側からアプローチを試みる。
Googleマップのクチコミに「初馬会館に車が停められるそうです」とあった、そして会館もすぐに見つかった。
建物裏手の20台ほどのスペースに確かに10台くらいは入っている。
会館はよくよく見ると報徳社とあって、建物近く、植木の影には確かに二宮金次郎像が!
報徳社については、掛川城近くに大きな建物があって二宮尊徳に関連した何かの組織らしいということくらいしか知らなかったのだが…とにかく、車を置かせていただきありがとうございます。

駐車場から建物に背を向けた方になだらかな丘があって、そこにまだ背は高くないがたくさんのロウバイが植えられていた。運転手は「え?どこに花?」とキョロキョロしていた。よく見ると黄色がだんだんと風景の中に浮き上がってくる。

小さな橋を渡って丘についた遊歩道をのんびりと上る。他にも数組が写真を撮ったり香りを楽しんだり。
私は月初めから風邪の後遺症で嗅覚がなくなってしまい、最近では少し良くなってきたものの、あまり香りは分からなかった。

我家の片隅にもロウバイが植えてあるのだが、本当に花びらがロウでできたように半分透き通っているのが何度見ても不思議。
なぜなのか南極の石も置かれていた。どのようないきさつでここまで…

休憩スペースも手作り感あり。

トイレは丘の上にある眞昌寺さんが貸してくださる、と書いてあったので、とりあえずトイレの近い次男くんのために行ってみる。
駐車場からも歩いて10分はかからないくらいかな。
曹洞宗、遠江三十三観音霊場の第十六番目なのだって!
もともとは室町期、ここから東にちょっと離れた水垂城という城に馬頭観世音菩薩を祀ったのが始めだったらしい。その後いろいろあって(まとめすぎ)、今の場所に「水垂高森聖観音」(掛川城主山内一豊の護持仏)を合祀して観音堂としたのだと。


観音像はしまわれていて
お目にかかれないので
外からお参りだけ
ここに上る途中、一度だけゴ~~~~ンと鐘の音がしたのだが、これがその鐘らしい。どなたが撞いたのかは不明。

次男くんに「トイレ借りる?」と聞いたら「へいき」と言うので結局観音堂にお参りしただけでまた丘を降り、ロウバイの中をくぐって駐車場に戻る。
龍尾神社
掛川城の北側にある龍尾神社に寄ることした。
ロウバイの里からだと旧国道1(県道415)号線を渡らずに着ける場所で、これもネットでちょこっと調べた時に、「代々の掛川城主の崇敬を集め…」とあったため、気になって。
しかしナビの示す道では入口がよく解らず、小高い丘になった周囲をグルグルしてしまった(神社のある山に小学校もあって、最初はそちらに入りそうになった)。ようやく正しい入口(県道39号掛川川根線を南に進んで左折で入る道)を見つけて入る。入ってすぐ、揃いの法被を着た方々に駐車場に誘導していただく。祭りか?
のぼりをみると「しだれ梅まつり」とある。そしてかなり混んでいる。おっと駐車場も有料か?と構えたが、駐車場は無料で、しだれ梅の祭りは神社の左脇奥にある庭園でやっているらしく、神社への参拝自体は自由にできるようだった。
ほっとして丸石のゆるい階段を上る。

上に着いたらこのようなお口が開いていて、次男くんはなんだか照れながらそれでもくぐっていた。

良き事ある、らしく

カラフル提灯をくぐると本殿が。ここでもお参りを。

狛犬がかわいかった。


と言って子どもを止めるオカン?
お参りしてから、次男くんがトイレ、と言うのであわてて探すが見つからない。本殿右側に立派な社務所があったので入って受付の方にお聞きしたら建物奥にあります~と教えてくださったので礼をのべてあわてて次男くんをつれていく。休息所みたいな部屋を通り抜けた奥に新しいトイレがあって助かった。
お参りもトイレも済んだので今度は坂道を下まで降りる。
ついでにしだれ梅まつりの会場のほうに行ってみる。

紅白幕の切れたところから入口とテントの売店が数軒あった。
お花をみるのに入園料がひとり600円! 泣く泣くあきらめ(運転手はほんとうに花に興味がない)、留守番の子どもらにメロンパン1個270円のお土産を買って駐車場に戻る。
駐車場に渡るところに小さな橋があって「どんどん橋」と書いてあった。小さな川なのだが、下手側はちょっとえぐれていて淵みたいになっている。
昔は川の水音がとどろくような場所に架けた橋にこんな名をつけたのが多かったらしいけど、ここもそうだったのだろうか。
どんどん橋…しかしどこかで聞いたな…歌? と思ってよくよく思い返してみたが、それはロンドン橋だったよ。
お昼はサガミ
お腹も空いたので、次の目的地(どうせ歩く予定)前にご飯を食べよう、食事処が多い旧国1沿いに少し探そう、ということになって県道39号線を南に行って、お城の見えるあたり旧国1の北門交差点を右折。
右折手前でほら、掛川城の天守が見えたよ!

道中「何食べたい?」「何でもいいけど…」の会話を繰り返し、まあコンビニで買ってどこかで食べても…と思い始めた時、道路右側にサガミをみつける。運転手が「蕎麦がいいなあ」と言うので寄る。
次男くんはやっぱりトンカツというので定食。蕎麦がついているが、まあいいか。私も急にトンカツが食べたくなって味噌カツ定食。運転手はいつものごとく「腹減ってないからな…」と普通のざる蕎麦2段。きっと値段を見て(高っ!)と思ったのだろう。


普通の味噌カツ定食ではなく
味噌カツ煮定食だった
運転手の蕎麦はみそカツ煮についていた蕎麦の二段重ねだった。
ずっと昔、従姉におごってもらいここのサガミに来たことがあって、もっと普通にお値段の張らない蕎麦うどんが多かった気がするが、それはおごってもらったから気づかなかっただけなのかも……それにしても、全体的にゴージャスなセットが多く、お値段もそこそこに良かった。味も良かったが、途中からなぜか奥歯が痛み出して、なんとか食べ終えた感じだった。
三人で4580円。駐車場に戻って運転手がしみじみと「高かったなぁ」とつぶやく。女子どもが豪勢に食べたせいだけど美味しかったから許してくださいな。
掛川古城と龍華院と子角山(ねずみやま)
気を取り直し、そして食べた分のカロリーを消費すべく、掛川城近くの駐車場に向かう。以前も利用したことのある大手門駐車場。見た目が館。

今日、私が行きたい一番の候補だった掛川古城まで歩いてみることになった。現在の掛川城の場所から北東側にちょっと離れた場所。運転手は古城の存在を知らなかったって。私も地図を見ていて最近知ったばかりなのでもちろん今回初訪問。「何もない」というコメントも見たけど、とりあえず自分の目で見たいなあ、と思って。
掛川城はもともと、今川の重臣朝比奈氏によってつくられた城だった。
掛川城は、駿河守護今川氏による遠江侵攻の足掛けとして、重臣朝比奈氏により十五世紀末に築かれました。その後、朝比奈三代約七十年間の治世を経て、掛川城攻めにおいて徳川家康が奪取すると二十余年にわたり徳川氏が領有しました。
https://www.bt-r.jp/kakegawajo/
最初の城の場所がこちらだったとのことだが、今川の勢力拡大にしたがい城も移築や拡張があったようで、家康が攻めた時には天守は現在の位置にあったらしい。
周りにも砦跡とか沢山あるらしいのだが、そこまでディープに見て歩くとキリがなさそうなので今回は古城跡だけとする。
てくてく歩きはじめる。まずは北へ。市立図書館の建物を左手に見ながら更に北に行くと住宅地に突き当たる。右に曲がるとほどなく、左手小山のふちに階段と坂道がついている場所があった。看板がふたつ、「龍華院」というお寺のものと、「緑の精神回廊」と書かれた看板が。お寺は分かるが、精神回廊??
どうも、遊歩道につけられた名前?ニックネームらしい。由来がちょっと不明だが、市も認めている名前らしい。
天王山掛川城跡と明記されていたので、安心して左の坂をゆるやかに上る。

上ったところにまず、小さなお寺がござった。左手(西側)は少し開けていてお墓がいくつか点在し、何段か平らな場をもつ崖で終わっている。
現在の掛川城天守が見渡せる。

掛川城天守閣がみえた

お寺の東側も開けていて、お堂が見えたので行ってみる。
このあたりが、古城の本曲輪だったらしい。
お堂は古めかしいが妙にオシャレな建物だった。
説明を見て納得。龍華院大猷院霊屋(たいゆういんおたまや)と言い、当時嗣子のない掛川城主北条氏重が家の存続を願い、明暦元(1655)年、三代将軍家光の霊を祀るために建てた霊廟なのだと。


どうりで部分ぶぶんで彩りが華やかだと思ったよ。東照宮に通じる華美な装飾の一端を感じた。
(帰宅してから資料などを見たが、内部もなかなか装飾が素敵なようだった)

霊廟の東側に少し高くなった遊歩道がついていたが、土塁の跡らしく、さらに東側は崖になって下に広々した溝のような通路が見えた。往年の堀の跡らしい。


堀の跡らしい
掛川出身の西郷の局(さいごうのつぼね)を偲ぶ石碑が脇にあった。

また、南側のがけっぷちには中村葛嶺(かつれい?)翁を偲ぶ石碑が。
えっと、中村さんて誰? なんだかまた、報徳社と書いてあったが。

1777年掛川の葛川(くずかわ)生まれで、江戸時代後期の掛川藩において、学問の普及と教育に尽力した方だと。
葛嶺は安永六年(一七七七)葛川に生まれ、源治、源太夫と名付けられ俳号を桂花園葛嶺と号し天保十一年(一八四〇)に没す。享年六十四歳であった。
葛嶺は幼くして勉学の志し篤く、近隣の人々が教えを乞う。十七歳にして漢学・詩・易学・関流の和算を習得し多くの塾生を育て報徳社を創立した岡田佐平次も弟子となる。(後略)
報徳社というのは、確か現在の掛川城近くに文化財的な建物があったよね…ということで後からまたそちらをじっくり見てみよう、と石碑脇の小路を降りて行く。
下のグラウンドでは野球の試合らしく、賑やかな声が響いていた。
いったん下まで降り、大きな溝じみた堀の入口に立つ。
おっと、枯れ枝が落ちる危険がある為通行禁止だったよ。運転手はがっかりしていた。
仕方ないので東側となる反対の丘にも登る(画像右側)。

上り口にこのような説明があった。
子角と書いて「ねずみ」と読むのだって、初めて知ったよ!

丘の上にはこじゃれた遊具があった。


富士山も(チラ)見えるらしい。この日は見えなかったな。
写真左の小山が天王山砦の跡。(後から知ったが)先ほど参拝した龍尾神社の鎮座まします山の一帯のことだった。

子角山をさらに東に続く遊歩道を降り、小学校グラウンド際に着く。
グラウンド外では少年野球関連のオトン連中がひっそりと電子タバコをたしなんでいた。ここまでコンビニ駐車場以外で喫煙できていなかった運転手「わかるわー」と一言。
掛川城近隣めぐり
天守閣のある方に戻る通りがかりに大きな山車がしまわれているだろう建物を見る。何と呼ぶのだろう、ダシコ?(ダシグラ、とかヤマグラ、とか呼び方は色々あるらしいが、ダシコはないようだった)

右側の蔵の紋が雀?

左脇の紋は漢字みたい。読めない。

※ これも後から地図を見たら、この場所は仁藤町屋台小屋とあった。
仁藤町の法被に「頭」らしき文字があったが、これも「頭」なのか?
そして、雀はもしかして連雀町?とも思ったのだが、ちょっとよく解らないので今後の課題としよう(そんなんばっかり)。
ゲイスベルト・ヘンミィ墓所
南に歩いて、先ほど車で通りかかった折に気になった場所に行く。
お寺のようだが、入口に妙に長いカタカナが書かれた石の案内があったので。
「和蘭使節ゲースヘルトヘムミ先生古墳」とある。古墳だと?

お寺の門をくぐり中に入るが、それらしきものが見られず、比較的新しい本堂は閉まっていて、数組の靴が揃えられていたので法事のさなかだった様子。
脇には子ども園らしきこじんまりした建物と遊具や園庭などが見える。
結局分からずに通過。(後から地図を見たら、「古墳」に気づかずに脇を通り過ぎていた。目が節穴)
帰宅後、写真を見たのだが確かに当時としては変わったお墓の様相だったとは思う。
江戸時代の長崎(出島)のオランダ商館長であったゲイスベルト・ヘンミィは将軍徳川家斉に謁見後、長崎へ帰る途中に掛川宿で客死し、天然寺に葬られました。
墓石は当時のオランダ人墓の意匠を現在に伝えるものとして、市の文化財に指定されています。
https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/kanko/docs/13119.html
ステーションビル掛川座
運転手が「なんかヘンな建物がある」と歩いて行ったのでついて行くと、確かに不思議な外観のビルがあった。
「掛川座」とあるので、かつての映画館なのか?

建物入口に、切符売り場みたいのもついている。
昔はどの町にも映画館があったよね~としみじみしながら通る。
島田市のみのる座も素敵だったよね。
※ これも帰宅後知ったが、かつての映画館「掛川座」を模して建てられたものらしい。このような記事を見つけたのでご紹介を。
ぜんぜん知らなかったのだが、元々、掛川座は私たちが車を停めた大手門駐車場の場所にあったのだって。なんだかご縁を感じたよ。
連雀町から掛川こだわりっぱ
小さな川を渡って西側の商店街を少し行く。大手門が見えた。

連雀町に、掛川本陣通りという居酒屋さんなどの横丁風通りがあった。
日中だからか、人はほとんどいない様子。奥の方でランチを営業しているお店もあるようだった。夜はにぎわいそう。泊りだったらぜひ来てみたい場所だね。

次の交差点を北に折れて掛川城に近づいていくと、お城前の逆川にほど近い場所にこのような売店や食事処の一画があった。

掛川こだわりっぱ
この日は大型バスもいて、やや賑わっていた。
レンタル着物のお店もあった。城下町を着物でお散歩できるらしい。

チョイノリという三輪モビリティレンタルもあった。春からリスタートとあるので、今借りられるのかまだなのかちょっと不明。
サイトを見る限りでは16歳以上、免許なしで乗れるらしいのだが。

山内一豊と妻お千代の顔はめパネルもあった。次男くんに「やってみて!」と勧めたが入らず。「ほら、手も入れられるよ!」と教えたらようやくちょっとだけ顔を入れてくれた(撮影するヒマもなかった)。

お土産物屋さんで「長い木の橋」という日本酒(1合)550円だったか、を買う。よく見たら島田市の醸造会社だったので、蓬莱橋のことかも。確かに長い木の橋だよね。
よく見たら若竹の会社だ!
「酒は若竹。うめ~っけな~」の宣伝を知らない静岡人がいるだろうか(いるかも)。
運転手の動きがやや鈍る。なんでも、喫煙場所を見つけたのだが女子トイレ出入口すぐ前なので吸いにくいからやめとく、だって。
まあいいさ、いよいよ、掛川城にもう少し近づくよ!
掛川城ニアミスの松尾池跡から二の丸美術館経路
逆川にかかる緑橋を渡ってすぐ、左側に松尾池跡という表示を見つける。
昔は池があって、内堀に使われたらしい。

四足門をくぐろうとしたが、上りになっていたせいか次男くんが動かず、しかたなく三日月堀の方から二の丸目指す。
運転手が「えー、掛川城ってひとつひとつ、いちいち料金取るらしいよ」とうるさいのでとりあえず無料の部分だけ見て歩くことになった。

二の丸御殿の脇を抜けて北側に。

今回、一番近くで見た掛川城天守閣。大きく見える割に中に入るとこじんまりしているのだが、逆に言えば大きく見せる工夫が随所にある、というのだろうか。

大日本報徳社
二の丸美術館の脇を東に抜けると、立派な屋根が見えた。
確かこのあたりが大日本報徳社だった? と思って近づいたらトイレ施設がついていた。トイレも立派だ~
大きな屋根は大講堂のものかな。

以前来た時はこの施設周りを歩いた覚えがあって、写真も残っていた。
今回はそそくさと通り過ぎたのみ。

この写真では左が部分的に画面に残るだけだが、左に「経済門」右に「道徳門」という柱がある。
これは、二宮尊徳が常々道徳と経済の両立を説いていたと言われることからきているらしい。「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は戯言(寝言)である」と言われたとか言われなかったとか。しかしなんか解る気がする。後半が特に、実(じつ)のない道徳観は絵にかいた餅みたいなものなのでは?と思えてしまうよ。

竹の丸チラ見
竹の丸の前まで歩いて行って中をチラ見。

運転手が「ここも有料だってさ~」と言うが、100円だよ?
しかし、お城の一部かと思っていたらどうも違うらしい。
江戸時代より続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が明治36年に本宅として建築した、桁行10間、梁間7間半の平屋建て寄棟造りの建物です。
大手門と番所
来た道を戻り有栖川宮威仁親王旧邸日本館(報徳社敷地)の裏手を通り抜け、辨天池から大きな通りに戻り、また先ほどの橋を渡り、今度は川沿いに少しだけ東に。
正面からではなく、裏手から入ったのでまず、稲荷神社に気づいてお参り。



ちなみに、大手門入ってすぐにある番所は、嘉永7(1854)年の大地震で倒壊後、安政6(1859)年に再現されたものだと。番所が現存するのは全国的にも珍しく、市の文化財に指定されているらしい。
大手門自体は天守閣と同じく平成に入ってから復元されたそうで、実際は現在地より50メートルほど南にあったんだって。
車に戻る前に、逆川沿いのすでにほころびつつある桜を愛でる。
掛川桜と言って、カンビザクラ系統の品種で早咲きらしい。

おまけ 地図とか
けっこう長くなってしまったが、歩いたのも結局、昨日の沼津駿河湾沿いよりも多かった。
途中、三日月掘のあたりで次男くんが珍しく「●×※~☆~ません」と怒って独り言でなにごとか宣言していたが、歩くのはもう十分だろう!?と言いたかったのだとおもう。まあその後もがんばって歩いていたけど。
最後に気になったこと。
掛川古城の下にあった看板に「天王山」とあったのだが、実際、徳川家康軍が掛川城にいた今川氏真を攻めた時に入ったとされる天王山(砦)は龍尾神社の山だったらしく、看板表記の間違いか? と思っていたのだが、記事を書く時に見つけた下の国立公文書館のデジタルアーカイブ(遠州掛川城絵図)に、大きな池を背負った天王山を発見し、あれ?と二度見した。
正保元(1644)年に江戸幕府の命で作成された、細かい石垣や山の高さなどが正確に記載された軍事的なものだったらしいので、あまり大きな誇張や間違いはなさそう。
そこでみる天王山は位置的に今の子角山のあたりで、池は北池という所なのでは?(今でも北池公園として池が残っている)
そして絵図の少し北側には「新天王山」と表記がある。こちらが神社の山?
そうなると、掛川古城の下にあった看板に偽りはないんだよな~
これも今後の課題ね(おいおい)。
結局何だかんだ、沢山歩いて楽しめたので本当に良かったです。
おしまい
