まち歩きマップ「和泉そぞろ」de街クネしてみた ~国分峠周辺の段~
大阪府和泉市の情報を勝手に発信する「勝手に和泉市ラボ」。
今回の「勝手に和泉市ラボ」はラボ長のガミがお届けします。
いずみ市民大学まちづくり学科のみなさんが作った街歩きマップ「和泉そぞろ」を見ながら、街クネをするシリーズ第3弾!
今回は第1回目の光明池周辺の段の時に気になっていた、光明皇后誕生伝説の地、外環エリアの国分峠周辺を街クネしてきました。
「和泉そぞろ」を見ながら、国分峠周辺へ!
今回参考にしたまち歩きマップ「和泉そぞろ」はこちら!

(和泉市民大学まちづくり学科7期生作成)
※ちなみに「和泉そぞろ」を紹介している「和泉市おでかけナビ」には
この地図の紹介はありませんでした。(2025年7月現在)
南池田地区と横山地区を繋げる国分峠。ここから天野街道(河内長野方面)と父鬼街道(紀の川方面)に分かれる交通の要所で、かつては茶屋、足袋屋、豆腐屋などもあって、大変賑やかな場所だったそうです。
またこの周辺には聖武天皇の妃、光明皇后の生誕の地として数々の伝説が残る地でもあります。
ちなみにこの地図のプロデュースはもちろん、いずみ市民大学まちづくり学部観光おもてなし学科の名物講師・陸奥賢先生!
光明皇后に想いを馳せながら、街クネに行きたいと思います。
スタートは南海バス・天野山線 平井バス停から
南海バス 天野山線(401系統)は堺市・和泉市・河内長野市の3市を結ぶ延長約18kmの広域バス路線。鉄道では直通できない南海電鉄泉北線「光明池駅」と南海高野線・近鉄長野線「河内長野駅」を1時間弱で結ぶ路線。
今回は光明池駅から目的地に向かいます。


光明池方面側のバス停。
先ほどのバス停から山手側に少し離れてあります。

最初の目的地に向かいます。

今回の街クネはエモさを予感させます。

最初の目的地:高野山真言宗・十六山羅漢寺

真言宗のお寺ですが、寺伝によれば奈良時代に高僧で光明皇后にも所縁のある智海上人が開基したということです。


羅漢像には「気軽に十六羅漢に参拝してもらい、心のよりどころにしてもらうことができれば」という住職の思いが込められているそうです。

左側には身代地蔵尊さまが
ちなみにぼけ除け二十四地蔵尊霊場の19番目でもあり、泉州横山谷大師めぐり1番目のお寺だそうです。

和泉市の指定文化財「大日如来坐像」は拝めませんでした。
残念、、、
次は「光明皇后千人風呂」の伝承地へ
続いてあの光明皇后の伝説にまつわる場所に向かうことに。

なかなか街中では見られません。

市街地ではあまり見られない
なかなかのレア瓦では?



光明皇后が建立した「千人風呂」があったと
いわれている場所が見えてきました。

「千人風呂」があったといわれている場所。
本当にここで合っているのか不安、、、
『洗場手引草』によると仏教に深く帰依した光明皇后は大和・法華寺に浴室を建立し、貧しい方、病気の方など千人に施浴を行い、最後の一人を洗い終わると金色の仏になったといいます。国分寺の北側の山裾(崖下)エリアは湧水地で、地元の伝説では、ここにも光明皇后が建立した「千人風呂」があったといいます。
ちなみに次に向かう和泉国分寺には、「光明皇后千人風呂の柱」が保管されているそうです。
いざ!国分寺へ!
先ほどの場所から少し坂を登り、再び路地に戻ります。




山号は護国山で「和泉そぞろ」では
護国山国分寺と呼称しています
高野山真言宗の寺院です。寺伝では、かつて安楽寺と号する寺院で、7世紀頃の創建といいます。聖武天皇が国分寺建立の詔を天平13年(741)に出しますが、当時はまだ和泉国(当地は河内国でした)はなく、天平宝字元年(757)に和泉国が設立し、その後の承和6年(839)に安楽寺が国分寺に指定されたといいます。
大阪といえば、最初から摂津、河内、和泉の国と思っていたのですが、昔は摂津と河内しかなかったんですね。知らなかった、、、


しかし訪れた際には誰もいなかったため、「千人風呂の柱」はどこにあるかわからず、確認することができませんでした。残念、、、
国分町町民会館・藤坂與三郎屋敷跡地へ
和泉国分寺を後に次の目的地へ向かいます。




目的地の国分町町民会館に


元は藤坂與三郎の屋敷跡でしたが国分町に土地を寄寄与したので記念碑が建立されています。與三郎は泉北郡山滝尋常高等小学校(現・岸和田市立山滝小学校)の校長や和泉市教育長などを務めました。また記念碑に名前が刻まれている與三郎の実子・藤坂昇は戦時中、特攻兵器「桜花」の実験・訓練部隊として編成された「神雷特別攻撃隊」(第七二一海軍航空隊)に所属しました。海軍中尉(戦死後、海軍少尉に特進)として1945年4月12日に「第三建武隊」として鹿屋基地を出撃し、沖縄周辺の米艦隊との交戦で壮絶な最期を遂げています(『太平洋戦争実戦ノート』より)。
町民会館を後に、次の目的地へ行こうとしたところ、向かいにオシャレな感じの建物を発見しました。

光明皇后の母鹿の足跡石がある浄福寺へ
今度は光明皇后伝説の地・母鹿の足跡石がある浄福寺へ向かいます。



和銅六年(713)に智海上人が開基したお寺です

「元気があれば何でも出来る」

智海上人がこの寺を開いて、周辺で修行を行っていた由縁のお寺。このあたりで用を足した智海上人の小便を女鹿がなめて、光明皇后が生まれた、という伝説があります。

滝の寺とも呼ばれています。

またその横には智海上人像も
本堂を拝観し、いよいよ母鹿の足跡石を見に行くことに!


しかしあまりの茂みの深さに進むことができず今回は断念することに。今回のメインの一つだったので無念、、、
非常に近いうちにリベンジしたいと思います。
気を取り直して、今度は光明皇后誕生所碑へ





石碑の上部には「盃上穴」が
石に穴をあけて子孫繁栄や五穀豊穣、厄除け、死者や祖霊の供養を願うといった風習、土俗信仰といわれています。神社仏閣の境内にある石灯籠、手水鉢、石段、石橋といった石造物によく見られます。
国分峠からゴールまで一気に駆け抜けます
光明皇后誕生所碑のある所がちょうど旧の街道のため、このまま道沿いを歩いてゴールを目指していきます。

どうやらこれが切坂城跡のようです
切坂城は戦国時代に根来・雑賀衆の拠点となり、織田信長の軍勢との激戦地となったところです。


修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が祀られたお堂です。
父鬼街道は葛城修行の聖地・和泉山脈に続く道のため、修験道の信仰が息づいています。

個人的な話ですが、私が役行者(役小角・えんのおづぬ)を初めて知ったのは小学生の時に読んだ小説「宇宙皇子」。あの時はこんな身近に役小角の面影があるなんて思ってもみませんでした。

もう少し勉強します

和泉市はいろんなところで、高台からのいい景色が眺めます。なので隠れた坂の町ではないかと勝手に思ってます。






この辺りの路地もいい感じです

槙尾学園方面に向かいゴールを目指します



またこの石塔の周辺には
日清・日露・太平洋戦争での戦没者のお墓も

大きなグランドは昔、横山高校だった跡地にできた
関西トランスウェイスポーツスタジアム
最後の目的地・こゆき食堂で一息をつこうと向かいましたが、、、

残念ですが、とりあえずゴールのバス停に向かいます。

以前ならここからバスに乗って和泉中央方面に戻れたのですが、現在はバス路線が廃線となり、朝夕の便しかない路線維持バスしか走っていないため、
一つ手前のバス亭、国分峠東に戻った方がいいかもしれません。

関西トランスウェイスポーツスタジアムが見えます
夏真っ盛りですが、グランドでは暑さに負けずに
サッカーや野球に励む学生たちの姿が

ここが現在、この地域の交通の要所になっています
ちなみに車でお越しの場合は、ここから歩いてすぐの関西トランスウェイスポーツスタジアムの駐車場を利用するのもありかも。

スタート地点の平井バス停にいくとスムーズです
まとめ
今回は国分峠を「和泉そぞろ」で街クネしてきましたが、和泉市に息づく光明皇后伝説により興味が沸く内容でした。ただリサーチ不足のためか、目的のものが見れなかったり、お店が閉まってたりと一部残念なところがあったので、次回はちゃんと確認してから挑みたいと思います。あと峠周辺なので、地味に坂を登るので意外と運動になります。ぜひとも運動靴での街クネをオススメします。
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