時間をかけることで、絵のウェイトが増す
・絵って何だろう
絵って何でしょうか。
僕は、自分が絵を描きたくなるときは、描きたいもののイメージが脳内・自分の内側にわき上がってきて、それが一定水位を越えたとき、描きたくなる・・・。そういうものだと感じています。
だから何も浮かんでこないときは、以前記事にも書いたように、インプットを積極的に行ってやればよい。あるいは寝る。休む。そういう行動をとると、描く気は自然と復活してきます。
成人向けマンガや絵などはまさにそうで、リビドーが強く盛んな若い20~30代は、強いイメージが脳内・心の内側にあり、それが横溢するようにして、作画していたものです。
PCがないときはアイシーの原稿用紙や大学ノートに、コミスタやクリスタがでてきたときはそれに、ほとんど半ば無意識的に、「描かずにおれない・・・」というようにして描いていました。面白いものです。理由なんか分かっていない。描かず・やらずにおれない・・・。そういうものでした。
いまは冷静に、一歩ひいた目で見つめているようにして作画している(つもり)です。
自分の直すべきところも分かってきたので、正すべきところは正しています。が、基本的に、絵を描きたい気持ちは、そういうものでした。
自分の心の表現・心境、その表現が絵であったわけです。それを刻銘に紙面に記すことで、ある種の解放感・カタルシスが得られ、また読者にめぐまれ反応をもらうことで、承認欲求も満たされていく。そのような好循環が形成されていく。
いまはTVはほとんど見ず、YouTubeとゲームをするための機械と化しています。ネットがTVを相対化してくれたお陰で、僕は表現というものに出会うことが出来、こうやって活動し続けることができました。
絵とは心象表現、心の表現、自分の心が何を感じているのか、何を思っているのか、それを豊潤な意味を伴って表現してくれるツールなのですね。
・「表紙」に悩む
ところで、最近、小説の表紙を描きなおそうと思っていました。ある瞬間、いいイメージが浮かんだので、それをすくい取っていく感じで、紙面に焼き付けようと作画していました。が、描いていると「構図が単純だなあ、いつも同じような絵を描いているなあ」と思うことがありました。
そこで絵の添削動画などをよく見ていたので、そこから構図を引っ張ってきて、真似をして、作画しよう・・・。そのように考えたときがありました。
しかし、そのとき思ったのです。「あれ、自分にとって絵って、何だっけ。そんな人の構図やポーズを真似して、当てはめるように描いていくのが僕の作画だったっけ・・・?」
そもそも、自分の心内にあるイメージがあって、あるいは描いているうちに楽しくなり、イメージが広がっていって、それを描写する・・・。そこに絵の醍醐味があったはずです。
人の構図を参照することはあっても、自分の中にあるイメージに忠実にあろうとして、参考にするために、していたはず。イメージを知っているのは自分だけであり、そこにオリジナリティがあり、イメージを掘り起こし、自分が何を考えているかを無意識レベルに至るまで、紙面に焼き付けていく。そこに絵の醍醐味があったのではなかろうか。
そう思ったのですね。
昔は、自分の“外”から引っ張ってこようという意識がとても強かった。できないなら、真似をすればいい。比較対照する気持ちが強く、本当に描きたいものを描けていないのです。人の真似をして、てっとりばやく「絵」を完成すればいい・・・。そう思っていました。
でもそこでなおざりにして、手っ取り早くチャチャっと済ませる。そうしていて満足するか。本当の意味で納得いっているだろうか。
・過去の絵に教えられる
過去一週間かけて描いた絵はやはり重みがあります。そして20時間ほどの絵というのは、やはりウェイトが下がる。簡素な絵だな・・・、そう思ってしまう。
そこで直観しているものは何でしょうか。
描き込めるのに、描いていない。心のなかではまだ思っていることがある。それを表現し切れていない。
絵に描ける時間が、少ない。より一枚の絵に心をこめて、精神をこめて、描く。
どこかで見切りをつけているんですね。「これでいい、『次』、『次』・・・」と。目が外に向いて、次から次へと展開する欲・事象世界に翻弄されている・・・。
そこに根本原因があるのですね。
時間が短かった。そういえば最近、簡素な絵ばかり描いていたなあ。描き込みが薄いのに、時間も短い。
クリスタで作業時間を計れるので、その絵に何時間かけているのかは、けっこう正確に知ることができます。作業していないときは止まる仕組みなので、作業として手を動かしている時間帯だけ計ってくれているので、時間は正確に知れます。
やっぱり表紙といったら3~40時間くらい、できれば一週間くらいかけて描きたい。それを15~20くらいで、チャチャッと済ませていないか。そこを反省すべきだった。
最近は素材がたくさんでてきて、背景や立ち絵なども、「有償素材」で簡単に済ませられるようになりました。AIもでてきた。それで楽になった面もありますが、作画・創作という面では、僕にとっては、むしろ後退したといっていい。
楽に描けることも大切だとは思うが、背景までも描いて、一枚の絵にいろんな心的内容を込めていくからこそ、その絵に重み(ウェイト)が出てきて、手応えを感じることができるのです。
便利な有償素材やAIは確かに便利で、時間に追われているときなどにつじつまを合わせてくれる。そういう使い方は確かに簡便です。しかし、時間をかけないと感じられない絵の重みって、やっぱりあるんですね。
慣れれば慣れるほど、時間をかけれるようになるような気がします。初期の頃は顕著で、次、次、と描きたいものが乱立している状態で、一枚数時間でアップしていました。まさに素人根性で、欲に翻弄されて、じっくりと、自分が本当にやりたいことをみつめる時間的余裕を、自分に与えられていないのですね。
やりたいこと=欲に翻弄されて、一枚の絵にかける時間が短くなればなるほど、安易な方向に流されていっている・・・。そういうふうに考えていこうと思っています。
・心の中が乱れているときは、おとなしく文章を書く・寝る
描いていると、文章なんかどうでもいい、早く作画したい・・・。そう思うことがよくあります。絵に没頭していると、時間が惜しくなることがある。その気持ちにまかせたほうがいいときもありますが、でも僕にとって、絵ってサブだったのです。文章がメインなんです。文章を捨てて、絵に・・・って何か間違ってないだろうか。
そういう風に感じるときは、だいたい心の中が焦っていたり、時間的に余裕を感じられていなかったり、なにかに執着していたりする。あるいは、単純に疲れている。なので休みが取れていないと思い寝たり、湯船に浸かってリラックスすることです。そういうのもインプットと思っていい。
それをやると、心身ともに回復し、客観的に俯瞰して絵を見ることができるようになります。
書いてみることで、自分の心の中身が整頓されて、問題点が整理されます。迷っている原因がわかってくる。そうしたら次にすることは、もう明らかです。
絵で詰まったら、書くか寝るか。そして、外界の事象にとらわれずに、一枚の絵に時間をじっくりかけていく。そしてまた文章を書いていく。この辺のルーチンが心地よく感じますね。
