日本二千年の人口史: 経済学と歴史人類学から探る生活と行動のダイナミズム (二十一世紀図書館) 新書 鬼頭宏 (著)
本書は、日本の人口変動を縄文時代から現代までたどりながら、人口が社会構造そのものをどのように形づくってきたかを読み解く一冊です。人口は単なる数ではなく、生活様式・家族・労働・制度を映し出す指標として扱われています。
その出発点として示されるのが、ロジスティック曲線です。これは、最初は指数関数的に増加しますが、人口が増えるにつれて食料や居住スペースなどの環境収容力の制約に直面し、成長が鈍化します。最終的には、その環境で維持できる最大の人口(環境収容力)で安定し、そのグラフは「S字型」を描くとされます。本書はこれを、米国の生物統計学者パールとリードによるキイロショウジョウバエの実験を引きながら、次のように述べています。
「結局、ショウジョウバエは無限に増殖することはなく、初めはゆっくりと、そして次第に増殖速度を高めたのち、ある水準に近づくに従って再び増加率は落ち、ほぼ一定水準を保つことが認められた。(中略)この曲線はたいていの生物にあてはまることが確かめられた。人間もまた例外ではない」
(15頁)続けて、次のように述べています。
「環境のもつ人口許容限度は固定的ではない。技術や制度のエポック的革新が人口包容力を拡大して余裕が生じると、人口を増加させる機構が働き始める。そして、新しい条件に達すると、抑制機構が働き人口は停滞する、といった運動が繰り返し引き起こされる。したがって長期的にみると、人口はいくつものロジスティック曲線を積み上げるようにして、波を描きながら成長することになる」(15‐16頁)。
この枠組みにより、本書では日本の人口の「増減の記録」ではなく、「どの時代にどのような制約が働いたか」という視点で読み解かれています。
実際に人口は自然環境や社会構造と密接に結びついて変動してきました。例えば、十一・十二世紀は温暖化のピークと同時に乾燥化の時代であり、それが度重なる旱害となって現れました。旱害は特に西日本を中心にその大きな被害をもたらした点に触れ、「人口増加が、東日本では10%の増加を見たのに対し、西日本ではその半分にも満たなかったのはそのためであろう。この世紀末に平家が倒れ、東国に源氏が政権をうち樹てることができたのも、このような自然史との脈絡においても考える必要がある」(55頁)と記載し、気候変動が人口分布や政治構造にまで影響を及ぼしたとしています。
また、前工業化社会に共通な人口学的特徴として、大都市は人口増加を阻害する「マイナスの作用を及ぼしていた」としています。その理由として「都市の高い死亡率と低い出生率に原因があった。その結果、都市内部において人口を再生産することが不可能となり、人口を維持するために周辺農村からの不断の人口流入を必要としたのである。そして都市に吸い寄せられた人口は、農村よりも高い死亡率の危険に囲まれていた。都市は人を喰う「蟻地獄」(速水融)のようなものであった」(85頁)とし、都市は人口増加の中心ではなく、むしろ人口を吸収し消耗する場であったとしています。
こうした中で特に重要なのが、江戸時代における人口調整の仕組みです。十七世紀から十八世紀にかけて日本はマルサス的危機に直面しながらも、出生のコントロールによって人口圧力を吸収したとして、こう述べています。
「マルサス的チェック(積極的制限)(注:人口が食料生産能力を超えて増加した際、増えすぎた人口を強制的に抑える力)が現れる可能性があったが、意識的な人口抑制がそれを回避したことによって、一人あたりの所得水準を維持しただけでなく、それを高めることに成功したのである」(89-90頁)。その具体的手段として、「江戸時代に実行された出生制限は、現代と比べればやはり荒々しいやり方で実行された。間引き(嬰児殺し)であり堕胎である」(165頁)。
なぜそのような制限が行われたのかについて、本書は婚姻構造の変化から説明しています。
「十六・十七世紀は革命と呼んでもよいほどの大きな変動が婚姻構造に起きた時代である。それは以前に比べて、有配偶率、つまり結婚している者の比率が著しく高まった。(中略)こうして十八世紀までに、人口の大部分が生涯に一度は結婚を経験する社会が出現することになった」(101頁)。
このような婚姻構造のもとでは、「結婚の社会的抑制は有配偶率を抑えて出生率を制限する方法である。西ヨーロッパの前近代化社会では、経済的独立が結婚の前提になっていたから、これが一般的かつ有効な役割を果たしていた。しかし日本では十七世紀から十八世紀にかけて、ほとんどの男女が結婚するようになった社会に転じてからは未婚の役割は限定的となり、代わって結婚後の出生制限へと重点が移っていった」(165頁)としています。
本書は、これを単なる悲劇としてではなく、資源制約下における社会的な調整行動として位置づけています。
「むしろ人口と資源の不均衡がもたらす破局を事前に避けて、一定の生活水準を維持しようとする行動であったと言うのである、その見方を受け入れるなら、堕胎も間引きも幼い命の犠牲の上に、すでに生きている人々の生活を守ろうとする予防制限であった。生産の基盤も、技術・知識の体系も現代とは異なる社会であったことを理解しなければならないだろう。結果的に出生制限の幅広い実践は前近代経済成長を助け、一人当たり所得を引き上げることに成功したと考えられる」(174頁)
更に、こうした出生制限が人口を抑制して一人当たり所得を押し上げ、日本は近代化に有利な初期条件を獲得したという仮説を提示しています。
「倫理問題は別にして経済的帰結は明白だった。子供数制限が広く定着したことは、そしてそれが長く持続したことが、マルサスの罠に陥ることから回避させ、江戸時代後半の一人あたり所得水準の維持向上を可能とした。このことこそ、十七世紀の出発時点では似たような状況にあったにもかかわらず、十九世紀には工業化の達成において日本が中国よりもすっと先んずることになる原因でもあった」(89‐90頁)。
また、人口構造は家族や価値観にも深く影響を与えています。乳幼児死亡率が高い社会では、子どもに対する認識そのものが現代とは異なっていたとしています。「短命な社会は、多くの幼いものたちの犠牲の上に成り立つ社会である。(中略)子は宝として大切にされる反面、意志のないもとして命さえもがおとなの側の都合にしたがい、与えられもし、奪われもした。「七歳までは神のうち」ということわざがある。生存の可能性が不確かであるうちは人間として承認しないことは、夭折を嘆き悲しむ感情を緩和するうえでも、間引きを行ううえでもある種の合理性をもっていた」(151-152頁)
同時に、人口は単に抑制されるだけでなく、回復力も持っていたとしています。「意外に人口の回復力が強かった(中略)その理由はいろいろ考えられるが、一口でいうならば人口を一定規模に維持させるようなフィード・バック機構が働いていたということであろう。人口減少を埋めるべく、結婚率を高めたり、出生抑制を緩めたりするような、意識的および無意識的、補償的な人口再生産行動が高まるのである」(133頁)。
こうした人口・家族・社会の連動は、日本の近代化の前提条件となりました。本書では、十九世紀初頭には人口増加が需要を生み、経済発展を誘発した側面も指摘しています。
「人口成長が有効需要を増大させ、経済成長を誘発しなければならなかった。この点においても、最近の経済史研究は肯定的である。文政改鋳、そして人口増加による物価上昇は、賃金・年貢率の硬直的だったことから利潤を増大させ、予想利潤の上昇が民間投資を誘発して幕末の経済発展を実現した。それは新田開発件数の増加、日本海貨運の発展にみることができる。開港もまた人口成長を下から支え、明治期へと送る役割を果たしたであろう」(178頁)。
本書は、人口の増減を単なる数量の問題としてではなく、社会構造と人間の行動の相互作用として捉え直し、日本社会の成り立ちと変化を読み解く視点を提示しています。
