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競争は成長のための、数ある手段の一つに過ぎない

よく「日本は国土が狭く資源も無い国」なんていう話を聞きますが、田舎に住んでいると、なかなかそんな実感を感じられなくて。というのは、土地だって広いし、山だって手入れが行き届いておらず、むしろ人が必要なほど。そして、雨が降って温暖なので、木々は自然に生える。むしろ、鉱物や石油などは、人間が本能的に「資源」とは感じられないと思う。鉄鉱石を見て「うわー、豊かだ」とは思わないでしょう。木々や田んぼを見れば「うわー、豊かだ」とは思うけど。

「日本に何も無い」というのは、原油とか、鉱物資源とかいう意味ならそうなんだろうけど、それは一方で、そのようなものが必要だという世界観に生きているからです。でも、生物としての人間に本当に必要なのは、木々や田んぼであって、そりゃ当たり前で、原油だけで生きられるわけが無いからです。日本よりサウジアラビアの方が「資源が無い」ですよ。水すら無いし。石油で海水から水を精製しているんですから、どんだけ資源が無いんだろうと思いますよ、サウジ。

石油が出ないのなら、そして、石油を買うために苦労するのなら、できるだけ石油を買わないでどうにかなるようにすれば良い。技術に対する投資というのは、生産効率を上げることと、自給率を(食料に限らず)上げられるようにすること。近くのもので、楽に生きられる、その方が無駄がありません。それを思わず、石油を買わなければいけない、そのために産業を育成しなければいけない、というのだと、ズレている。

例えば、日本は食料自給率がかなり低いですが(カロリーベースで36%ぐらい)、でも、日本は植物が生える土地なんだから、やれば出来るわけです。だったら、それが出来るようにすればいい。それは、自由競争の結果、やれればいいな、じゃ無いんです。自由競争というのは、違う条件のものが同じスタートラインでやるわけで、不平等なんです。

その話をすると、教育の目的は何かというと、子供を成長させることです。テストの競争というのは、そのための手段の一つでしか無い。でも、テストが平等で正しい、という思想が根底にあるから、テストが苦手なら成長の機会を奪われる。別に、暗記が苦手なら辞書を持ち込んだって構わないでしょう、それが成長に繋がるのであれば。と、僕は思うんです。ま、ただ、多くの教育というのは、成長させるという本質を見失って、テストというゲームをどうクリアするだけですから、ま、そもそも目的が違うんですけれども。

これと、経済における自由競争というのも、僕は似たものだと思っていて。自由競争で勝ち抜くことを目的とするのは、テストを「正しい」と思って、テスト対策ばかりするようなもの。それが成長に結びつくとは限らないし(大抵、結びつかない)、そこで成長せずに落ちぶれてしまう人(や国)も多数、出てくる。目的は「成長」なんです。例えば、日本の農業を成長させたければ、補助金をつけて、関税を設定すれば良い。それは、暗記が苦手な子供に辞書を持たせたりするようなものです。それが、僕は平等だと思う。

日本のような山岳部が多く、自然災害も多い土地柄で、グレートプレーンズの地下水を汲み上げて何千ヘクタールという単位で農業を営むアメリカ中西部と、同じ土俵でやることはできないんですよ。サヴァン症候群の人と暗記勝負しているようなものです。普通の人(そこまで暗記力が無い人)が、暗記勝負をして、いつも負けて、嫌になって、でも頑張れ、それが「平等」だと、教え込まれているわけです。そんな平等は勝手な定義でして、結果、世界を悪くしているんです。個々の能力が発揮されることが、世界を良くすることです。

食べ物なんていうのは、近くで作って、地域ごとの自給率を高める方が、安全保障上も、健康面でも新鮮なものが食べられるんだし、良いに決まっています。その「良い状態」に至ることが「成長」であるのなら、その成長に至るにはどうしたら良いか、ということなんです。その手段の一つに、たしかに「競争」は、あるでしょう。競争させることで、やる気が起こり、技術革新が促されるということは、ある。でも、競争は一手段に過ぎず、補助も、一手段。それらをうまく組み合わせて、成長し、世界を良くすることが、目的なわけです。

当初と話がずれたけれど(ま、いつものことです)、日本は資源が無いというのは、それは一つの物差しであり、この「テスト」だとそうですよ、ということです。別のテストだと、植物も生えるし、水はあるしで、とても「出来が良い」。で、そっちの方が人間生活の王道だと思うので、そういう物差しで成長させるようにするのが良いよ、ということです。その成長のためには、競争に限らず、いろいろな手段があるよ、という話でした。またあした。

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