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二重人格の人と暮らしていた

朝、目を覚ますと、私の枕元に座っていた彼と目が合った。神妙な顔をしていた。
心臓が止まるかと思った。すぐに起き上がって、自然と正座になった。

「黙ってたけど、俺、二重人格なんだよね。」

「寝起きにこんな告白は嫌だ」というお題の回答だったら、間違いなく優勝しているだろう。なにを言い出すのか。

彼が二重人格なわけがなかった。一年も同棲してきたから分かる。そんな素振りは一瞬たりともなかった。

ああ、そうか、寝起きドッキリか。
彼の顔を見た。めちゃくちゃ真顔。あ、これ本気のやつだ。


彼は一枚の手紙を差し出した。

その手紙は一面赤い文字で埋まっていた。全てカタカナで、逆手で書いたような乱れた文字。「ボクハ サビシイ」というようなことが長文で綴られていた。

明らかに異様な手紙に、私は絶句するしかなかった。

そこから彼の長い告白が始まった。要約するとこんな感じだ。

・赤い手紙は、俺が寝てる間にもう一人の人格が書いた。
・その人格は子どもの頃から俺の中にいる。
・俺は大人になったけど、その人格は子どものまま。だから漢字も書けないし字が下手。
・ショックな出来事があると、その人格が出てきてしまう。
・人格の入れ替わりはコントロールできない。

彼の告白を静かに聞いた。

なんだかよく分からないドラマが始まってしまった。いや、これがドラマだったらまだいい。今、めちゃくちゃ現実だ。

床に置いた赤い手紙を見て思った。なんでカタカナなのか。「ヲ」なんてかなり久しぶりに見たな……。

私は真剣な顔をしながらどうでもいいことを考えて、現実逃避するしかなかった。



なぜ子どもの人格が出てきてしまったのか

二重人格を信じるか信じないかは置いといて、子どもの人格が出てきた理由はすぐに分かった。

一週間前、彼に別れ話を持ち掛けたからだ。それがショックで人格が入れ替わるスイッチが入ってしまったんだろう。

だからといって、別れ話は今さら取り消せない。私の気持ちは修復不可能なところまできていた。


彼は、今まで出会ったどんな人よりも気難しかった。

朝、ホットケーキを作ろうしたら牛乳がなかった。なので、代わりに水を入れて生地を作った。それを見た彼が怒り狂って家を出ていってしまった。
彼が力まかせに閉めた団地の重い鉄の扉から、ほとんど爆発みたいな轟音が炸裂した。私はショックで泣いた。牛乳さえ買っておけば爆発は防げただろうに。

また、別の日の話だが、私の外出中に彼からの電話に出られず、折り返すタイミングを逃したので、メールだけを返してから帰宅した。
玄関のドアを開けると、部屋は真っ暗で、奥の畳の部屋であぐらをかいて無言で座っている彼が見えた。一升瓶(芋焼酎)を抱えていた。
地縛霊。昭和のおじさんの。腰が抜けるかと思った。いや、いっそお化けのほうがよかったかもしれない。その後、お説教は2時間つづいた。

彼はあらゆる無礼を許さない人間で、私はそんな彼との暮らしが苦痛になってしまった。だから、勇気を出して別れを告げた。

そしたら、寝起きに二重人格を告白された。正直「なんでだよ」と思った。

ただ、この状態で家を出ていくのは気が進まなかった。
私のせいで彼の人格(精神)がおかしくなるのは、やっぱり責任を感じてしまう。できるだけ平和に家を出て行きたい。
頭を悩ませながら、数日が経った。



一人称が「俺」から「ボク」に

朝起きると、彼が普通に明るい様子で挨拶してきた。
異様だった。別れを切り出した日からずっと、お通夜みたいな空気だったのに。

恐る恐る話しかけると、彼は自分のことを「ボク」と言った。普段の彼の一人称は「俺」だ。

彼は赤い手紙を書いたという子どもの人格になっていた。
突然、別人格と対面し、緊張が走る。

相手は子どもの人格なので、優しく諭すように元の人格に戻るようお願いをしてみた。
だめだった。夜眠るまで彼は子どもの人格のままだった。

ちなみに幼稚園児ぐらい人格のはずだが、ベランダでマイルドセブンスーパーライトを吸っていた。二重人格の仕組み、傍からだと全然分からない。

そこから子どもの人格の時間が、日に日に長くなった。
また数日が経ち、私はだんだんと二重人格の人と暮らす生活に慣れ始めていた。



バラエティー豊富な人格

ここ数日、仕事の日は元の人格に戻り、休日は子どもの人格になっているようだった。

曜日替わりの人格。そんなことをされたら嫌でも思ってしまう。
この二重人格、設定に荒がありすぎる。

休日に彼に話しかけた。
「俺」と言うので、珍しくオリジナルの彼のほうだ。と思ったら、様子がおかしい。

なんと3人目の人格がそこにいた。ふ、増えた。
私は絶望しながらも、3人目の人格に事情聴取を試みた。
どうやら乱暴者らしい。いよいよ殴られるのか。本格的にこわくなってきた。

身の危険を感じていたところ、さらに追い打ちをかけられた。
4人目の人格もいるとのこと。急にめちゃくちゃ増える。
これが定食屋のランチだったらバラエティー豊富で嬉しいけど、人格はそうレパートリーを増やしてもらっても困る。

いちおう聞くと、4人目の人格は自傷行為をするらしい。

私の中でなにかの糸が切れたのをはっきりと感じた。

ダメだ! もう出ていこう!



あっけない最後

彼の交渉の手段は、人格を増やすことだった。
でも、彼が子どもになろうが、乱暴者になろうが、自傷行為をするかまってちゃんになろうが、よくよく考えると私に関係なさすぎる。

私は何があっても家を出ていくという姿勢を貫き通した。
すると、ある日、彼が静かにどこかへ出かけていった。

1時間後、彼から長文のメールが届いた。
海岸にいるらしい。それで、海の波をずっと眺めていたら、彼の中の人格たちは全員消えてしまったとのこと。

海の効果、絶大すぎる。
「なんで?」と聞くのはもう野暮だろう。壮大なストーリーで魅了し続けたマンガの最後が夢オチだった時と同じ気持ちになった。

いや、海で全部OKになったのなら、それでOKだ。


ついに退去の日になった。
私が荷物を持って家を出ようとした時に、彼がキッチンのシンクにもたれながら言った。

「入居した時の頭金の半分、15万円払ってくれない?」

始まりはあんなにドラマっぽかったのに。最後はかなり現実的なことを言うようになった。
お金を請求されているのに、不思議とほっとしていた。

私は逃げるように去り、後日、彼の指定口座にお金を振り込んで、やっと全てを終わらせた。



若気の至りとよく言うものだが、あのころの私たちは至りすぎていたなと思う。なんであんなことになったんだろう。

あれから20年経って、私は素敵な人と出会い、今は夫婦で楽しく暮らしている。
それでも当時のことを未だに夢に見る。うなされて絶叫して夜中に飛び起きてしまう。

彼もそうなんだろうか。夜中に左手で赤い手紙を書いたことを夢に見るのだろうか。それとも、あの記憶もあの日海に置いてきたのだろうか。

私も海に行って、至りすぎていた若さを波に連れ去ってもらったほうがいいのかもしれない。

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