インドに駐在して感じた「日本の若い世代に機会を届けたい!」という思い
2024年にカタリバへ入職し、キッカケプログラムの自治体連携を推進するチームで活動しています。入職を決めたきっかけは、前職でインドに駐在したことでした。インドにいたから見えてきた日本のこと。
今日は、そのときの思いと、今感じていることについてお話します。
カタリバに入職する前は、途上国支援を行う政府系機関で6年ほど働いていました。そのきっかけは、小学6年生の頃にさかのぼります。
当時、授業で環境問題について調べた際、地球温暖化や海面上昇、砂漠化といった地球の将来を脅かす課題を知り、強い不安と怖さを覚えました。それを母に話したとき、「将来はそういう課題を解決する仕事に就いたら?」と言われ、貧困・紛争なども含む多くのグローバルな課題に興味を持つようになったのです。
その思いは大学でも変わらず、卒業後、国際的な課題を解決できる機関に就職しました。
数年後からは、インドの首都デリーに2年ほど駐在。インフラプロジェクトの実施監理を担当し、飲み水が不足していたり汚水が川に直接流されていたりする地域に、浄水場や下水処理場を整備する事業に取り組みました。
インドで暮らし始めたときの印象は「とにかくカオス!」(笑)
デリーは発展した大都市ですが、道路では車列が入り乱れてクラクションが飛び交っていたり、そうかと思うと角から突然牛が歩いて出てきたり。
ただし、地方部には電気も水も引かれてない地域がまだありますが、そうした地域もいたるところで、インフラ整備が進み、ビルが建ち、新しい産業が興り、国の成長の勢いを感じました。
インドの人々と話す中でも、「この国の明日は今日よりよくなる」「いずれは世界をリードする国になる」など、自国の将来への期待や自信が感じられることが多くありました。
その一方で、母国・日本をかえりみると、経済が停滞し、少子高齢化やインフレなどの将来が不安になるような暗いニュースばかり。日本人の同世代の友人からも、国の将来に不安を感じている声を多く聞きました。
そんな中で、次第に「これからは日本の若い世代のために何かしたい」という思いが湧いてきたのです。
私自身、幼少期に父が他界し母子家庭で育ったため、進路選択時に金銭面を考慮した部分がありました。また、広島の片田舎で育ったので、地方部と都市部の機会格差や情報格差も強く感じていました。
そうした自分のルーツからも、「子どもの頃に多様な生き方・選択肢があることに気づけるかが人生に大きく関わる」と感じ、そういう機会を子どもたちに届けたいと思うようになりました。
そうして、駐在後にカタリバのキッカケプログラム事業部に入職。現在は、自治体連携チームに参画して2年が経ちます。
カタリバは、とにかくスピード感がすごいと感じています。何も決まってない中を、走りながら作り上げていく、ある意味ベンチャー企業のような雰囲気があります。
最初は頭を切り替えるのが大変でしたが、今はこういった仕事の仕方も面白いと感じています。
前職が海外、それもインドというタフな環境だったので、メンタルが鍛えられたのかもしれません(笑)
ただ、最近は、子ども支援の意義をさまざまな関係者と共有して動くことの難しさも感じています。
いろいろなステークホルダーを巻き込んで調整していくことは、前職とも共通しますが、前職では数字やデータを用いたロジカルな説明を意識することが多くありました。
対して、カタリバで子ども支援現場の方々と協力関係をつくるうえでは、困難な環境にある子どもたちがたくさん存在することへの危機感を共有したり、実際に支援した子どもたちがどのように変化したかという具体例を伝えるなど、エモーショナルな要素がより価値をもつと感じます。
これからは、そういう能力をもっと身につけていきたいと考えています。
同時に、カタリバ内の他事業部や外部の支援機関や企業の方々との連携にも、積極的に取り組んでいけたらと思っています。
今回のコラム担当:小山 春佳(こやま・はるか)/ キッカケプログラム
大学卒業後、国際協力を担う政府系機関に就職。南アジア地域のインフラ開発に携わり、インドに駐在。6年間務めたのち、2024年にカタリバへ入職。現在は自治体連携を推進するチームに所属し、自治体と協力して困難な環境にいる子どもを1人でも多く見つけ、支援につなぐことに取り組んでいる。
