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25年前に、ヒッチハイクで日本一周した話 連載モノです

第4話

そうして乗せてもらった運ちゃんに夜ご飯をおごってもらい活力十分。
夜のヒッチハイク、しかも高速のPA、家族連れや、トラックの運ちゃんが大半だ。中には面白がって話しかけてくる若い野次馬が数名いるぐらい。
簡単に会話しつつも余計な体力と時間遣わさせんなと、ちょっと切れてる相方(Y)。機嫌が悪くなってるYを横目にスケッチブックを掲げる自分。超紳士じゃんと言い聞かせてるww
陣取っていた場所から立ち上がりトラックの近くをうろつくY、そしていつものノリで運ちゃんと話し込んでいる。離れていても聞こえてくる話し声、「ごめんね~乗せてあげられなくて。。。」と会話の最後はたいていこの言葉。
ここで更なる気づきが、なんとナンバープレートを見ると大体の予想ができるようになってくる。これはやはり数をこなしてきたからこそわかる境地。当時は「悟り開いた」とか言っていたような。出発が鹿児島県、東京方面つまり目指しているのは上の方だから、「東北方面のナンバープレートのトラック捕まえれば完璧じゃない」と二人して足りない頭から知恵をふり絞った。だがここで経験がものをいう。関西から上は上でも東北方面だと東京に寄らないコースがあるようで、頭の中でへ~そういうことかと。日本地図と高速道路が描かれる。経験に勝るものなし!と。関東のナンバープレートか関西のナンバープレートかその間の県のナンバープレートに狙いを定めて数打ち当たる作戦にすることに。これが刺さる!ことに、やり始めて1時間ぐらいでつかまえることができた。
そして長かった1日目の夜が更けていく。またまた寝台に乗った瞬間眠りに落ちるかと思いきや、今回は粘ったほうだ。夜ということもあり運ちゃんの方から話しかけてくれる。聞かれれば話すし話題には事欠かない。なんせ日本1周中だから。運ちゃんも夜から夜中にかけてトラックを走らせ続ける。みんなが家で休んでる頃にトラックを走らせ距離と時間を稼ぐやり方だ。25年前の当時は長距離トラックの運ちゃんはそれが常識だった。今思えば超絶ブラックだと思う。当時はその厳しさもそこまで意識せずに接してたから、もうそろそろ寝かせてくれと思っていたと思う。あとはYに任せたと。。。深い眠りに着く。そして朝、ガッツリ寝てたみたいで未だに走り続けている。寝てる間に1度PAに寄ってトイレ休憩していたようだ。
それにしても長距離トラックの運ちゃんってリスペクトだわ。マジすげー。
もう東京まで、あと1,2回ヒッチハイクすれば着く距離まで来ている。
寝てる間の移動距離と時間経過が凄まじかった。「もう一度言わせてくれ!マジでリスペクト!」と二人でテンションアゲアゲだった。ここで話題が東京についてからの話しになる。思ったよりもだいぶ早く東京に着くことになりそうでどうするか真剣に話し合った。なんせ田舎から出てきてそこまで金もなくどう過ごすか?誰かに会うか?そのまま東北方面に突き進むか?などそんな多くもない選択肢を並べ時間と金と話し合う。
そして東京が近づくに連れて混み始める高速、そうだ順調すぎて忘れてた。


田舎者の想像とりあえずタワー

これがあるんだ高速は。と渋滞がついに顔を出す。もう東京が近いはずなのに一向に進まない。むしろ停まっている時間のほうが長かった。ここから先はヒッチハイクしたらあとは時間との戦い、車の中で同じ面子で数時間一緒。当然話題は尽き、静まり返る車内。無理やり話題作りするY、この時間がこの旅の中で感じた苦しさ・辛さの一種だった。どの口が言ってんだと、自分に自分で言い聞かせてた。ただ乗りしてるだけのくせにと、自分に突っ込んでる。それぐらい長い時間見ず知らずの男たちだけの時間、しかも高卒の2人と運ちゃんの組み合わせ。普通に考えたら当然そうなる。住む世界が違うから。これもヒッチハイク旅の醍醐味だと思うことにした。が、やっぱり気まずい。ということで、自ら初めて次のPAで降りることを決意してそれを切り出す。自分たちが乗ってなければ渋滞になった時点で高速降りて下を進むという選択肢もあったはず。。。お互い勇気が出ず、きりだせなかった。乗せた手前降りろとは言いずらい。かと言って自分たちもその配慮に気づけない。なぜならその渋滞の経験も対処手段も思いつかないから。これはこの旅での学びの一つ。可能性の模索と言うこと(口に出して伝える)の勇気。是非この話を聞いて感銘を受けた人は参考にしてほしい!

P.S

25年前、東京と言えば田舎出身者から見た象徴は東京タワー一択だった。
もうあの時から25年が経った。。。中年を迎えてる自分に聞きたい、あの時のトラックの運ちゃんのようなすばらしい中年になってるのかと自問自答してる。改めて当時乗せてくれた方たちに感謝です。すばらしい思い出に。


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