1440分のうちの90分
1440分のうちの90分。
この時間が過去を遡り、今を繋いでくれたことに気づいたのは、その出来事から半年後だった。
その前に、15年以上前の話から始めたい。
僕が中学生の頃、実家に一匹の動物がやってきた。
当時、僕は野球をしていて、母親同士の繋がりがあった。
その縁で、育てきれなくなった子を引き取ることになった。
我が家では、ハムスター以上に大きなペットを飼ったことがなかった。
それでも、その子は突然、家族になった。
うさぎだった。
絵になるほど綺麗な、整った茶色の毛。
きなこを全身にまぶしたような彼だったから、名前は「きなこ」になった。
学生時代の僕のそばには、いつも彼がいた。
嫌がる彼にハーネスを付けて、散歩に行ったこともある。
体が細かったせいで途中で抜けてしまい、車の下から一時間も出てこなかったこともあった。
うさぎの寿命は、十年ほどだと聞く。
大学は九州を選んだ。
きなことは離れて暮らすことになったけれど、実家に帰るたびに彼の姿があった。
「ただいま」と言えること。
ケージがそこにあること。
それだけで、どこか安心できた。
居酒屋で働き始めて、二年が経った頃だった。
家までの道のりは、原付で海沿いをまっすぐ走る道だった。
信号待ちをしていると、ポケットにあるスマホが振動した。
兄からLINEだった。
『きなこが急に元気がなくなった』
うさぎは、苦しさを隠すのがとても上手な生き物。
きっと、ずっと苦しかったのだと思う。
きなこがうちにきて七年目のことだった。
きなこは兄の足の間で息を引き取った。
信号待ちの間、携帯に映ったきなこの姿を見ながら、大粒の涙を落としていた。
信号が変わり、景色が進み、街の音が大きくなる。
原付を走らせながら、何度も叫んでいた。
『ありがとう』よりも先に、最後に側にいてあげられなかった苦しさがあった。
その苦しさのまま、僕は原付のスピードを緩めることができなかった。
それから少し時間が経ち、僕は社会人になった。
きなこを失った母の穴は、思っていたより大きかったのだと思う。
我が家は、二匹目のうさぎを迎えることになった。
誰も、きなこの痛みを忘れたわけではなかった。
それでもまた、あの小さな温度を求めていたのだと思う。
きなこと同じ、ネザーランドドワーフの生まれたての子だった。
きなこと違って、警戒心が強く、なかなか心を許してくれない。それなのに、撫でられることだけは好きな子だった。
小さな体と、どこかやわらかい気配から、名前は『ここた』になった。
この種類のうさぎは成長してもさほど大きくならない。それでも、家の中にはまた少しだけ温かみが戻った。
ここたがいる日々は、確かに安堵だった。
その頃、僕は関東で働いていた。
転職を繰り返す中で、少しだけ実家に戻っていた時期がある。その頃は、ここたの世話をよくしていた。撫でる手を止めると、まだ続けて欲しいそうにこちらを見ながら、手の下に頭を入れてくる。
その姿を見ている間だけで、嫌なことは少し遠くにあった。
そこにいてくれることは、それだけで安心だった。
今の職場が決まり、広島に来る頃には、ここたはもうおじいちゃんになっていた。
その頃で九歳。人間で言えば、七十歳ほどだった。
ケージを飛び越えることもだんだんと難しくなっていた。
たまに大阪に帰ると、ここたに必ずと言っていいほど『ただいま』と声を掛けていた。
2025年11月。
母から、一通のLINEが届いた。
『ここちゃん、今日を乗り切れないかもしれない』
夜が深くなる手前、二十時頃だった。
きなこの時の景色が、頭の中に戻ってくる。
またしても僕は近くに居ない。
まだ彼は生きている。それでも。感情が止まらなかった。
嗚咽が止まらず言葉にならない夜だった。眠ることすらもできず、目がパンパンに腫れていた。
早朝、母から連絡があった。今日で最後になるかもしれない、と。
その連絡を受けて、僕は仕事に向かった。
漕ぎながらも顔から伝うものは隠しきれなかった。
本当はいますぐ大阪に行きたかった。それでも、仕事に行くべきだと思ってしまった。
僕は一度、仕事を選んだ。
職場には、いつも一緒に働いている女性がいた。
着いた途端、僕はぼそっと呟いてしまった。
『ちょっと今日は使い物にならないかもしれない』
彼女はどうしたの?と聞いてくれる。
僕は、喋ることもままならず、呼吸が苦しくなり、ただ彼女を目の前にして泣いていた。
途切れ途切れの言葉を拾った彼女は、まっすぐに言った。
『今行かなきゃね、絶対に後悔するよ』
『行っといで』
僕は、降ろしてもいなかったリュックをそのまま背負いながら、会社を後にした。急ぎたい一心で、右手に握った携帯をポケットにしまうことすら忘れていた。
母に急いで帰ると伝え、僕は自転車も置いたまま大阪に向かった。
正しくは、自転車で来ていたことすら忘れていた。
ただ帰りたい。それしか頭になかった。
急遽仕事を休むことを会社に伝えた。
人によってはこんなことで…と思うかもしれないし、嘘をつこうかと、魔が刺した一瞬もあった。でも、そのままを正直に伝えても、否定されることはなかった。
広島での移動は、基本的に自転車だった。
久しぶりに乗換案内のアプリを開き、滅多に乗らない路面電車に乗った。
朝の路面電車は仕事に行く人、学校に向かう人で溢れていた。
きっと、僕の目は腫れていた。それでも、グッと堪えて普通を装った。
「大丈夫」「きっと大丈夫」
心の中で何回思ったか分からない。
普段なら、窓の外の移り変わりをぼんやり眺めているのに、この日だけは、景色がスローモーションのように見えた。
「もっと早く」と思う内心だけが、先に進んでいた。
広島駅に着くと、人混みを避けるように足早に新幹線の改札へ向かった。
前回とは違う。
今度はどうしても側に行きたかった。
それ以外のことは、もう考えられなかった。
広島から大阪までは遠い。それでも、新幹線は速い。
その時間が、90分だった。
映画を一本見れるかどうかぐらいの時間。
僕は席についた。
携帯には、彼を撮った写真も動画もたくさん残っていた。けれど、携帯のロック画面を開くことですら怖かった。
ただ、窓の外の流れていくだけの景色を見ていた。
間に合わなくてもいい。それでも、最後に一目だけでも見たかった。
頭の中では、彼が走り回ったり、寝そべったりしている映像ばかりが押し寄せていた。
窓の外を向いても、涙は勝手に落ちた。
普段の90分は、長いようで短い。そのはずなのに、この日はとても長かった。
彼の命は、90分も持たないかもしれない。
あんなに元気だったここた。
あんなに健気だった彼に、もう90分も残っていないかもしれない。
この時の僕は、向かえていることすら忘れていた。ただ残りの時間を気にするだけになっていた。
思い返すのは、彼を撫でていた記憶ばかりだった。
わかってる。
人も、動物も、同じだ。
命には終わりがある。その瞬間が来ることも分かっていたはずだった。
それでも、受け入れられない時間がある。
四十分ほど経った頃、母から連絡があった。
「お父さんが最寄り駅まで迎えに行ってくれます」
ただ、それだけの言葉だった。
家族は、僕が向かっている意味を分かってくれていた。でも僕は、その言葉を見て別のことを思った。
ここたのことを書いていないということは、ここたはまだ生きている。
さらに携帯をぎゅっと握りしめた。
人から見えないように、窓の外の景色だけをずっと見ていた。
大阪に着いてから、足早に乗り換えを済ませた。
震える手足を必死に動かしながら、最寄り駅へ向かった。
このあたりに関しては記憶が曖昧だ。
帰ってきたことに安堵している自分ではなかった。ずっと、彼だけを思っていた。
最寄り駅に着く頃、僕は自然と涙が止まっていた。
父の前で泣いている姿を見せたくなかったのかもしれない。
それよりも、まだ生きているんだよね、という安堵を共有したかった。
父の車を見つけて乗り込んでも、「おかえり」「ただいま」すらもない。
たった一言。
父は、「ほんまに危ない状況やで」とだけ言った。
父は、いつも通り淡々としていた。
それだけで十分だった。
辛い中、ここたは今も闘っている。そんなことを胸にしまいながらも家に着いた。
なぜだか、その頃には心が落ち着いていた。
玄関を開けて、荷物も下ろさないまま、リビングの扉を開けた。
そこに居たのは母と弟。
そして、立ち上がることすらできず、横たわっているここただった。
母に涙はなかった。
目線を合わせるように横になっている弟。
そばには、ティッシュの山があった。
その姿が、何より意外だった。
思えば、弟が大人になってから、ここまで咽び泣く姿を見たことがなかった。
自然と僕は、泣けなかった。
泣かないという選択を取っていた。
息も薄いここたのそばに座り、数少ない言葉をかけた。
「ここちゃん、ありがとうね」
まだ彼は息をしている。
「大丈夫か」と言いかけた。
でも、様子を見れば、大丈夫ではないことは明らかだった。
元気に歩き回っていた足は細くなり、片方には力が入らず、体勢すら変えられない。
でも、本当に小さく、胸の辺りが鼓動を打っていた。
撫でながら、僕はできるだけ穏やかな顔をしていた。
よう頑張ったね。
長いこと生きてくれたもんね。
そんな言葉が、自然と口から出た。
母は言っていた。
「さっきは本当に危なかったけれど、今少し落ち着いているよ」
分からないけれど、その瞬間、帰ってきてよかったと心底思った。
弟が泣きすぎてティッシュを一箱使い果たしていた頃、母は仕事に行くことを選んだ。
きっと、見守ってくれる家族に託したのだと思う。
今になって思えば、それも母の覚悟だったのかもしれない。
母が出て行って、数分が経った頃だった。
滅多に鳴かないここたが、突然、甲高い声で鳴き始めた。うさぎには声帯がなく、甲高い声は苦しみを表していた。
弟が少し慌て始めた
「ここちゃんどうしたんや?」
「苦しいんか、大丈夫か?」
こんなに優しく声をかける弟を見たのは、初めてだったかもしれない。
僕は慌てずに、ここたを撫で続けた
必死に生き続けようとするここたに、僕は同じ言葉をかけ続けた。
「十分生きたよ。十分ありがとうなんやで」
それから、数分のことだった。
ここたは鳴かなくなった。
目の光が少しずつ失われ、胸の鼓動が止まった。
帰ってきてから、ずっと我慢していた。
弟があまりにも泣いていたからだと思う。
でも無理だった。
声にもならないほど、ここたが見えなくなるほど、僕は泣いた。
「ありがとうね。本当にありがとうね」と言い続けた。
涙が止まらない中で、ふと思った。
良いように解釈したかっただけかもしれない。
それでも、きっと待っていてくれたのだと思いたかった。
僕が家に帰ってきてから三十分ほどの出来事だった。
それだけで、ここに辿り着くまで生きてくれたことが、ただありがたかった。
草をあまり食べず、うさぎ用のフードばかり欲しがるここたに、何度も「草も食べなあかんで」と言っていたこと。
決まった場所で用を足すここたのトイレを綺麗にするのは、僕の日課だった。
家に帰れば、彼がいる。
その当たり前がなくなった喪失感と、最後に会えた嬉しさで感情がぐちゃぐちゃだった。
弟には弟の、ここたとの時間があったのだと思う。
少しだけ、弟の知らなかった一面を見た気がした。
母に連絡を送ると、母は急いで帰ってきた。
母親は優しそうに撫でながら笑顔で話しかけていた。
でも、徐々に言葉が出なくなっていった。
その姿を見て、僕はまた堪えきれなくなった。
一番ここたの近くにいた母は、この日がいつか来ることを、誰よりも分かっていたのかもしれない。それでも日常の中では、そこにいて、動いていることが当たり前だった。
兄は、その場に居合わせることができないまま、ここたの最後を知ることになった。
兄にLINEを送ること自体、とても切なかった。
『ここちゃん天国に行きました。最後まで懸命に生きてたよ。』
普段、僕たち兄弟は滅多なことがない限り、連絡を取ることをしない。
だからこそ、連絡があったときは緊急なことが多い。
母から少しは聞いていたのだろう。
僕が帰る前夜、兄は実家に戻っていた。
きっと、受け入れるしかないことだと分かっていた。
兄からの返事は『ありがとう』だけだった。
僕はきなこの時、「ありがとう」という言葉すら返すことができなかった。
事実を受け止めたくない自分だけが、ずっと残っていた。
ここたはふわふわのタオルに包まれた。
持ち上げると、昔抱きかかえた時よりもずっと軽かった。
小さな体で、こんなに長く生きてくれたここたが、また愛おしくなった。
その夜、誰も何事もなかったようには過ごせなかった。
弟は、写真を見返していた。
僕は、まだ現実から目を背けていたのだと思う。
次の日、仕事がある僕は帰るしかなかった。
その日、ここたは動物を埋葬してくれる施設で、きなこと同じ場所に行くことになった。
広島へ帰る新幹線も、行きと同じ90分だった。
それなのに、心に穴が空いたようで一点をずっと見つめていた。
最後に会えてよかった。
その気持ちは確かに大きい。
それでも、僕はとてもわがままだった。
ここたがいなくなったこと。
もう会えないこと。
そのことばかりが脳裏に浮かんでは、涙が溢れた。
どう転んでも、きっと後悔は残る。
そのことを、僕はまだ分かっていなかった。
母親からLINEが届いた。
ここたの写真を現像したい。
この写真が良くない?
そんな内容だった。
その場では、「とても良いと思う」と返せた。でも、まだ受け入れきれてはいなかった。
頭の中で『ここた』を思い浮かべることすら苦しかった。言葉にしようものなら、最後まで名前すら言えず詰まってしまう。
それでも僕は、広島へ帰っていた。
三ヶ月ほど経って、実家に帰る機会があった。
リビングのテレビ横には、ここたの写真が飾られていた。そして、リビングの奥にあったケージは、すっかりなくなって、そのスペースだけがぽっかりと空いていた。
その時には、ここたがいないことを少しずつ受け入れていた。
でも、帰ってきても「ただいま」を言えない寂しさは、胸の内に残っていた。
生きるものには、いつか終わりが来る。
それを受け入れるのは、そう簡単なことじゃない。
でも、ここたのおかげで気づいたこともあった。
普段あまり会話をしない家族の、知らなかった顔を見た気がした。
弟が、ティッシュを使い切るほど泣くとは思っていなかった。滅多に人前で泣かない母が、笑顔で涙を流している姿を見たのは、いつぶりだっただろう。
無愛想で仕事に厳しい父が、僕が休んだことには触れず、駅まで車で迎えに来てくれた。そんなことが、これまであっただろうか。
紛れもなく、ここたは家族の誰にとっても大切な存在だった。
かけがえのない家族だったのだと、あの日ようやく分かった。
弟の携帯の待ち受けが、ここたに変わっていることを母から聞いた。
僕たちは普段、あまり言葉を交わさない。
それでもあの日だけは、それぞれが足りない感情を少しずつ持ち寄っていたように思う。
今、この言葉を書きながらも思う。
あの日、職場に行く選択をして良かった。
涙を流しながらも、職場の人に話をすることができてよかった。
迷わず僕を送り出してくれた彼女には、どれだけお礼をしても伝えきれないものをもらった。
そのおかげで、僕は同じことを繰り返さずに済んだ。
1440分のうちの、たった90分。
その時間は、ここたの最期に間に合うためだけのものではなかった。
きなこに間に合えなかった日の自分と、現実に向き合いながら、迎えに行くための時間でもあったのだと思う。
映画を一本見られるかどうかくらいの時間。
その中にあったのは、これから先も大切にしていきたい記憶だった。
きっと人は、後悔を減らすことはできても、すべてをなくすことはできない。
だって、この文章を書きながらでも、何度涙を流したか分からない。
それでも、いつか思い出す記憶の中心に、出会えたことが残っているなら。
きっと、後悔の中にも、少しだけ笑みが残る。
今は、そんなふうに思っている。

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