Photo by
naota_t
愛するものを守りたい―それがモノであるとき
人は愛するものを持った時に、強くなる。
その「もの」が「者」、すなわち人であるとき
それは理解されやすいだろう。
大好きな相手を守りたいと思う人もいれば、
生まれたばかりの子どもを守りたい一心で、
一気に強くなる人もいる。
家族を養うために仕事に励む人もいれば、
家族と共にいることを選び、仕事を手放す人もいる。
いずれの行動も、
その根底にあるのは深い愛である。
けれども、学芸員という仕事においては
その「もの」が「モノ」(美術品)であることがある。
命をかけても守りたい対象が
人ではなく「モノ」であるということは
どうやら簡単には理解されない。
それは「物欲」なのだろうか。
そもそもそれらは自分の所有物ではない。
所有することに
価値を見出しているわけでもない。
むしろ時には、
その「モノ」を手放すことに
意味を見出すことすらある。
個人の手にあれば、
その人の死とともに
不確かな運命にさらされるかもしれない。
だが組織のもとにあれば
より長く守られる可能性がある。
そう考えるからだ。
数百年の時を生きてきた美術品にとって
私たちが関わる時間など
ほんの一瞬に過ぎない。
自ら消費するためのものではなく
過去から託され、
未来へ渡していくべきものだからこそ
その時代ごとの最善を考え、
保存の形を選ぶ。
必ずしも、今の常識だけに
縛られるわけではない。
つい先日、思いがけない作品に出会った。
こんな作品がまだあったのか。
大きな衝撃と共に、至福の時を過ごした。
けれど、そのことはまだ語ることができない。
人との出会いに運命を感じることがあるように、
モノにもまた、運命的な出会いがある。
なぜか手元に巡ってくるモノたち。
思いがけない場所で再会するモノたち。
数百年の年を経て
今、目の前に現れるモノたちを
どうにかして守りたい。
その思いと葛藤が、
日々、続いている。
