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(加害)に向き合う話の話②-ゆうめい池田亮さん

4月27日まで新宿シアタートップスにて上演され、ただいま配信中の『逆光が聞こえる』。
かるがも団地としては初めて「加害」をテーマに創作を行っています。

そこで、過去加害的な要素をテーマの一部として劇作を行ってきたゲストをお招きして、「(加害)に向き合う話の話」という関連企画を行います。
脚本・演出の藤田・脚本補佐の古戸森がゲストとお話して、作品についての考えを深めていきます。

第二弾のゲストは、ゆうめいの池田亮さんです。

01.ごあいさつと皆さんについて

佃:
それでは始めさせていただければ。かるがも団地『逆光が聞こえる』関連企画「加害に向き合う話の話」第2回です。本作が扱うテーマ「加害」にまつわる話を扱ってきた作家の方々をゲストにお招きして伺っていくというコンセプトでやっています。今回のゲストは作家・演出家・造形作家の池田亮さんです。よろしくお願いします。まずはかるがも側から自己紹介からお願いします。

藤田:
よろしくお願いします。かるがも団地の藤田恭輔と申します。かるがも団地では主宰・作演出担当です。団体は東京都立大学の演劇サークル同期3人で結成したユニットで、作風は一言で言うとヒューマンコメディです。今僕は29歳なんですが、この歳までに感じてきた物事への個人的な感覚、人生の旨み、苦味、辛(つら)みなどから着想したお話を、基本的に柔らかな感じ、軽やかなテイストで描くコメディを作ってきました。

古戸森:
今日はよろしくお願いします。かるがも団地の古戸森陽乃と申します。池田さんに初めてお会いした時は本名で活動していたのですが、名前が変わりました笑。演劇では主に宣伝美術をやっています。かるがも団地では他にもSNSの運営や、脚本補佐として藤田の相談に乗って、一緒に脚本を作っていたりもします。

池田:
よろしくお願いします。脚本家・演出家・造形作家の池田亮と申します。合同会社ゆうめいの代表社員を務めております。2015年にゆうめいという舞台映像美術を作る団体を立ち上げまして、普段作っている作品は主に舞台作品、映像作品が多く、他に展示なども行っています。

舞台に関しては、人々の原体験から抽出される感覚や個人的な感情、客観視されるもの、主観などを重ね合わせて創作者の現実とフィクションが入り交じる作品のクリエーションと空間演出。また、そういった企画を立ち上げて作品にしていく過程を作品にするなどのアプローチを行っています。他にはガチャガチャを作ったり、ハンドメイドを細々と作ったりもしています。

古戸森:
細々と…? 大々的にやっていらっしゃる印象です。

池田:
ハンドメイドショップ*1 は僕の手が回らなくなるとすぐ閉店してしまうんです…。

佃:
ハンドメイドなんで仕方ないですよ笑。皆さんありがとうございます。本日のファシリテーションと進行を務めます佃直哉です。かまどキッチンという劇団で主宰と企画制作をしています。お二人が人間の繊細な機微を扱った作品を作っているのに対して、人間が一切出てこない作品ばかり作っています。

古戸森さんには宣伝美術で関わっていただいて、藤田さんとは昨年宝宝というユニットで作品創作を共にさせていただいて、池田さんには私が企画するワークショップグループ「ドラマチック界隈」でファシリテーションをやってもらったり…という感じで、皆さんとはゆるく関係させていただいております。本日はよろしくお願いします。

談笑中の4人

*1 ハンドメイドショップ
池田さんが運営するハンドメイドショップ「トイフクロ」のこと。SNSでも話題となった「水栓のクリスタルハンドル指輪」をはじめとするハンドメイド商品が販売されている。HP:https://yyyry.theshop.jp/

   

02.加害であることは、はじめからわかっていた――『弟兄』の加害性

佃:
池田さんの過去作品には今回かるがも団地が題材とする過去の加害や、加害性といったものを扱われてきたものがありました。特に劇団の立ち上げ初期は池田さんの過去のいじめの経験を加害として自覚的に扱ってきたと思われます。当時モチーフを扱おうと思った理由を伺ってもよろしいでしょうか? お話しするのに精神的に負担などあれば、いつでも仰ってください。

池田:
はい。旗揚げ当初から『俺』という自分の原体験だったり、当時自分と同居していた方の原体験を元にした作品などを作ってきました。実際に本名を出して「池田亮です」と名乗る登場人物を舞台上に出し始めたのは『弟兄(おととい)』という作品が初めてです。

演劇をはじめるまで自分は物語の創作は実名という立場ではなく、ネット上で匿名の「名無し」として、誰から見ても名前が全くわからない状態で小説などをたくさん書いて投稿してきたんです。なので、最初に物語をやり始めるってなったときに気になったことのひとつが「自分の名前が作家として出てしまう」ことで、すごく衝撃だったんですよね。

自分の中で『弟兄』という作品は自分の原体験を劇にしようという気持ちより、作品の中で名前を出せるという仕組み、演劇の中で作家がどういう人間なのかって名前を出せることがフックになっていたのがベースにあります。『弟兄』は自分のいじめ体験を加害者の実名を出しながら描いているんですけど、作品の中で作者の人格が見えるってなったとき、ご覧になった方にはご理解いただけたと思うのですが、観ている途中で「池田も加害者では?」って目線が生まれる作品だと考えています。

匿名で作品を作るときと全然違って、「これを誰が作ったのか」が更に見られるのが演劇だと思ったので、池田も加害者であるという目線を持たれるのは承知の上で、その特性を活かしたものにしたかったんです

かつ「弟兄」の初演は相手の、自分が加害者だと思っていた人に、名前を出していいかみたいなことを酒の席で聞いたら「まあいいんじゃね?」って適当な返事を貰ったのでそれを許可だと受け取ってやってしまいました。向こうも演劇を馬鹿にしていたというか、「ああ、夢破れていく人のやつね笑」みたいな嘲笑のニュアンスがあったので、その油断の隙を突こうと思ったんです。

なので自分は相手の名前を出すことが加害だとわかっていながら、自分の名前を出すってことが危ういとわかっていながら、でも作者が見られるという構造を用いたら『弟兄』のようなことが演劇でできるんじゃないかって可能性を面白がっていました。今思い返すとリスクヘッジが全然なっていないですね…。

『弟兄』って作品は自分が加害をされていたと描いているけれど、自分が加害をしていたという方向にも段々と目線が向かっていく話になっていて、自分が作品を作ることが加害であるってことを描くのも、『弟兄』をやろうと思った時から考えていたことでした。

これは作品の詳細な話にもなっちゃうんですけど…。

藤田:
どうぞどうぞ。

池田:
なぜ演劇でそういった作品をやりたかったかというと、『弟兄』の中でも再現されたエピソードなんですが、「はねるのトびら」ってバラエティ番組の中でイケてない扱いの芸人3人によって組まれたパロディユニット「悲愴感*2」ってものがあって、僕と友人は高校の陸上部ではそういうキャラで「ジミーズ」ってあだ名をつけられてたんですけど、その僕ら「ジミーズ」が先輩たちを送る会で「悲愴感」の曲とダンスをやらされたんですよね。

僕はその扱いを自虐として、笑いに変えうるものとして受け止めることができたけど、ひとりの友人は「それを笑いには変換できない。自分は芸人じゃない」って言っていて。後で彼に何がやりたかったのかを聞いたら「東京事変」って言うんですよ。彼、椎名林檎がめちゃくちゃ好きだったんで。僕は「似合わなくね」とか言ってたんですけど…それを今でも思い出すことがあって。

しかも、その悲愴感の次が吹奏楽部の超豪華な演奏とかなんですよ! それでその前はバレー部のすごいダンスで…!

藤田:
あ、全校規模でやってるんだ。部内とかじゃなくて。しんどいなそれ。

池田:
それでもう「これミスだろ…」って空気にみんながなるってことがあって。その時のリベンジを果たしたいみたいな気持ちがあったんです。舞台上で「メジャーな吹奏楽やダンスに悲愴感かつジミーズでどう勝つか」をずっと考え続けていたら演劇作品になっていたってレイヤーもありますね。

もちろん『弟兄』の中で描いた復讐みたいな自分の暗い感情も含むものではあるんですけど。根本としては「もしあの時ああだったら…」とか「やり直すとしたら」っていう過去へのアプローチが詰まった作品でしたね。

古戸森:
自分の体験を作品に載せるって方法は、私小説などを例とした表現のパターンとしてあると思います。ただ池田さんは本当に自分の名前を使っているじゃないですか。「池田亮役じゃなくて、でも自分に近い経験をしてきたキャラクター」を舞台に乗せる手法の方がやりやすかったように思うんですけど、いきなり本人を舞台上に乗せることは怖くなかったんですか?

池田:
怖さは…書いているときには明確にあって、果たしてこれをやっていいのかって疑問がずっとある状態でした。演出するときに俳優に読んでもらって、全然違う存在が読むっていうことに変わっていった一方、言わせてしまっているみたいな罪悪感もすごいあって。

でも中村亮太くん…今は転転飯店をやってる亮太くんは台本にない言葉みたいなものをたくさん言える人で、僕はそれがすごい良いと思っていました。その演技があるからこの作品は俳優の芝居によって成り立つ作品だと思えるようになった。

あとは演出で、現実で起こった話をしているけど、舞台上はあくまでファンタジーというか「そんなことはないよね」の余白を残すというか。俳優の演技のタッチとか、現実で喧嘩している距離感は近いけど、舞台上ではかなり距離を取ってもらう。ちょっと現実になりきらない距離の空間づくりを心がけることで、個人に終始するものではなく、俯瞰する目線にする。そうすることで表現の怖さ・危うさを別の視点に変えていこうとしていました。

佃:
次の話題に移りたいと思いつつもう少しだけ。池田さんの中ではどこかリアルになりきらないというか、フィクションとして俯瞰できるものにすることを意識しながら初演の上演を行ったと思うのですが、初演は特にいじめ被害の実体験を演劇にしたというセンセーショナルな受け取られ方をしていたイメージがあります。

その時の観客の反応や、観客が自分の体験とかエピソードを想起しやすい作品を発表してみて、観客にどう思われて、ご自身でどう思ったか。想定とのズレやブレなどをお伺いできれば幸いです。

池田:
まず思ったのがよくないことをしたということです。それを最初に強く思ったのは、本多劇場グループが主催する「下北ウェーブ*3」で初演した『弟兄』の戯曲と劇評が山﨑健太さんが出していた『紙背』という演劇批評誌に載って、その劇評を読んだときです。

山﨑さんの批評の中には、結局他者を傷つける行為や復讐を肯定していることに繋がるのではという疑念があり、当時の自分もその疑念を意識した時、「やっぱりやらない方が良かったかもしれない」とすごく思いました。

その時に取った手段としては、ひたすらたとえどんな感想でもリツイート(リポスト)することと、感想で「いじめの体験が…」ということが言及された際、自分のアカウントやインタビューで「あれは結構盛ってたり、演出でこうしたり…」と答えていくことです。

当時はむしろ良くないって言っていただける方の存在がありがたかったですね。『弟兄』のような作品で評価も高いとなると絶対悪いと言いづらい空気があると思うんです。でも「これを本人(いじめ加害者)が見たらどういう風に感じるか想像できるんですか?」みたいな問いはやっぱりされるべきというか。これは演劇であるから、そうだよなと思いました。

自分はあくまで演劇として描いて、自分が受けた被害を表現するだけが目的ではないってことを承知の上でやっていた。でもそこに個人的な感情が乗ってしまっていたとは思うし、そういう風に思われているっていうことには、分かってもいましたが後から更に気づきましたね。


*2 悲愴感
バラエティ番組『はねるのトびら』番組内で生まれた音楽ユニット。同番組内で出番が少ない芸人とその友人で結成された。ユニット名や楽曲は同時代に放送されたバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンII』内の音楽ユニット「羞恥心」のパロディ。

*3 下北ウェーブ
下北座本多劇場による「下北沢の演劇シーンに新たな波をおこす団体を発掘する/ 育成する」「劇場公演のあり方を再発見する」を命題に掲げた若手支援企画。
2017年から2019年まで三度にわたり実施されゆうめいは初年度に参加した。


03.はじめは結成即解散のつもりだった――ゆうめいの軌跡①

佃:
先ほど話題に挙げた『弟兄』もそうですが、かつて池田さんが劇団で創作してきた作品には、池田さん本人やご家族が登場人物として出てきて、池田さん役を中村さんが、池田さんのお父さん役を実の父である五島ケンノ介さんが演じられているようなシリーズがありました。ですが近年はそれらのシリーズからは距離を置いた作品の創作・上演を行っています。どのような流れで自身の意識、筆の取り方、劇団の在り方が変わって今のようなスタイルになったのかという変遷をお伺いしたいです。

池田:
元々2015年に立ち上げられたゆうめいは自分とりょこというメンバーが「こどものほんや ピースランド」という場所で発足公演…というか一夜限りの結成解散公演みたいなことをするためのものだったんです。

ピースランドはりょこの地元にあるブックカフェバーで、当時地元に住んでいたりょこが感じていた閉塞的な空気から唯一浮き足だったような場所だったんです。ヒッピー文化の影響をかなり受けていたり、地元にはない芸術的文脈の作品の展示や自費出版などもしているような、空間としては閉塞的だけど開けた文化を感じさせてくれる場だったそうです。

自分は墓石という普遍的なものが好きで、当時は墓石職人を目指していたんですけど、重い石を持ったときに腰を壊してしまって…。お金をなくしてしまいルポライターの仕事をしている中で美大の演劇部とのつながりができて、物語を書くようになった。演劇部に共にいたりょこと僕が話す中で、2015年にそのピースランドで公演をやってみることにしたのがゆうめいのはじまりです。

りょこはその後NHKやEテレのディレクターとして働いていて、自分はそのまま彫刻を続けていました。その頃に田中祐希(現・丙次)と三重で出会い、東京に戻った後で旗揚げ作品の『俺』を上演しました。それを観にきてくれた小松大二郎と出会って、以後の作品で俳優として参加してもらうことになりました。当時の作り方は自分の文脈で馴染みがあった展示とリンクするような作品が多かったですね。

翌年、黒澤たけるさんが入ってきてくれて。たけるさんは元々自分で劇団と作・演出をやっていたんですが、『俺』を観た後にコンタクトしてきてくれて「制作をやってみたい」と話していた黒澤さんにゆうめいの制作をお願いした…というのが経緯になります。

この頃は劇団の活動と並行して演劇以外のアニメやテレビドラマの脚本、演出助手をやっていて、自分が頑張ることで他の劇団員の今後の仕事やキャリアのハブになれそうだと思って、がむしゃらにやっていました。

2016年までは劇場公演をやったことがなく、美術教室の話をなぜかギャラリーで上演するアンビバレントさを楽しんだりしていたんですけど、2017年に下北ウェーブに参加することになり劇場で演劇と向き合う必要が出てきたんです。これまでギャラリーで演劇と展示のハイブリッドのような心持ちでやっていた表現が、劇場空間に変わることで見せ方も見られ方も変わってしまうことを実感したので、がっつり劇をやろう。と腹を括りました。

下北ウェーブ参加後は、作品は演劇に基づきつつも、自分やりょこが美大で学んできたプロモーションの術を活かして作家をいかにして外に出していくか、外の媒体と繋いでいくかを研究していた時期でもあって。僕が『ウマ娘』や『けだまのゴンじろー』というアニメの脚本をやる中であるアニメーションスタジオの社長と出会ったとき、その社長がアニメばかりじゃなく演劇も見ている人だったので、こうやって演劇の人とアニメの人が作品を互いに見るようになれば、刺激を与え合い、色んなところに広がっていけそうだなと考えていました。


04.演劇への、共感への期待の重み――ゆうめいの軌跡②

池田:
当初はギャラリーや屋外で作品展示含めずっと活動していこうと考えていたのに、演劇的な評価を受けていくに従って、劇場公演が増えていって、その劇場も大きくなっていく。劇場でやらせてもらえることは嬉しかったけれど、どこかにハンドメイドや展示をメインでやりたいんだよな…って気持ちもありました。

でも、求められるからには答えなければいけないとは感じていて、求められているからには自分の名前を出したものを作らないと…っていう自意識が2019年頃までずっと続いていました。あと、俳優のこまっちゃん(小松大二郎)とたなやん(丙次)、制作のたけるさんは演劇をメインのフィールドとしているから、みんなを成功させなければならないってプレッシャーがありました。

古戸森:
「演劇界で成らねばならない」みたいなプレッシャー、ありますよね。

池田:
それこそ彼らを「ゆうめい」にしなければ!って謎のプレッシャーがありましたね笑。その気負いの中で頑張って別の媒体のひとに売り込みに行ったりしていたんですけど…。2020年にコロナ禍に入ってしまった。

個人的にはコロナになった瞬間「演劇ができない」って衝撃を受けると同時に「今はハンドメイドができる!」って思いも抱いたりしていたんですけど、たけるさんはスズナリが取れていたこともあり「今こそ演劇をやるべきだ」という姿勢を持たれていて。

ただ、自分としては少人数のメンバーで制作業務を兼業し続ける体制のまま、未知の感染症が蔓延する中で演劇公演をやるリスクの方が怖かったから「できないです」と言ってしまった。

たけるさんの求めていた挑戦的なビジョンというか「今だからこそ演劇をやるべき」って考えは演劇にとって必要なものだと思っていたし、乗りたい気持ちもあったし今でも乗れた可能性について考えて後悔することもありますけど、そのときは「無理ですよ!こんな…世界に勝てないですよ!」って結論になった。

でも、たけるさんは「スズナリができないならゆうめいを離れる」って覚悟をもってきていて、僕は結局答えることができなかった。そこでたけるさんには離れていただくことになった。

それからはずっとどうしよう…みたいな。延期したもののスズナリは決まっていて、水面下では東京芸術劇場での公演も決まっていて、断りたいと思いつつ、やらなければいけない責任感でパツパツでした。

そこからは制作を外部に依頼して、再演が多かったり、新作をやるにせよ過去の作品のブラッシュアップでつくる…みたいな形で公演をやっていました。でも俳優のモチベーションも下がっていて、なんでそのうえこんなリスクを背負ってまでやらなきゃいけないんだろう…と2023年くらいまでは思っていました。

コロナ禍で演劇と並行してやっていたのが、幅広いユーザーを喜ばせるためにライティングをする仕事です。喜んで、楽しんで、応援してもらえることにはやりがいを感じつつ、共感を呼ぶ人物像しか見られないのかという疑問や、バズる、ユーザーに愛してもらうための描写が市場に出回り続けることに若干のいやらしさや先が見える違和感を感じていて…。もうやめてくれ!知らないことを探したいって思っていた時期に書いたのが『ハートランド』でした。

その結果700万の赤字を出したんですけど笑。それでもう「自我を出すもんじゃないな…」と思っていたら岸田國士戯曲賞をこの前獲っちゃって、もうどうしたらいいのかわからなくなっているのが今です。より責任を感じてしまっています!

藤田:
人物として池田亮が登場していたドキュメンタリー・モキュメンタリーに近い作風から『ハートランド』以降の質感のフィクションに寄せていくにあたって考えていたことをもう少し伺いたいです。

池田:
匿名で書いている時は近作のようなタッチで書いていたので、質感を変えることに抵抗は全然なかったです。池田亮という人物が出ますって作風のときに、集客のことを考えるとどこかしら自分をいい風に見せないと今後お客さんがこないんじゃないか…。みたいなそれこそいやらしいことを考えてしまうこともあって。そういう見せ方はしたくないけど、そういう見せ方の方が集客につながる現状を当時は感じて、仕事と同じような葛藤がありました。

この人にはこういう事情があって…という物語では逃げられない「感情移入できない部分」が世の中に間違いなく、自分含め多く存在すると思っていて、その側面を描かないのはどうなんだと思うのがむしろ匿名のときの自分だったりもするので、その脳みそを使って書いた感じです。

佃:
ちなみに全然違ったら申し訳ないんですけど、スペースノットブランク*4 に提供していた原作は匿名のときのタッチに近い感じですか?

池田:
そっちにすごい近いですね。そっちにすごい近いものを、スペノのエッセンスを多少意識しながら書いていました。なるべく本当に何でこんなことするのかがわからないような展開を描きたいと思っていました。むしろスペノが自分に合わせてくれてました。

佃:
なるほど…。匿名時代に寄った作風への回帰みたいなものは少しずつ進行していったんですね笑。別団体に書き下ろした作品で少しずつ自分の別の側面を準備していくって話や共感についての問題意識は藤田くんも近いところがあると思います。なので前回の鼎談と重なるところはあると思うけど、あらためて藤田くんの書き方やかるがも側の団体の変遷をお話いただければ幸いです。


*4 スペースノットブランク
二人組の舞台作家である小野彩加と中澤陽が、2012年に設立した舞台芸術の創作を行うコレクティブ。本鼎談内で言及されている池田亮が原作を提供するシリーズは「メグハギサーガ」と呼ばれており、2025年現在までに『ウェア』『ハワワ』『セイ』の三作が上演されている。


5 軌跡をこっそり追いかけて――かるがも団地の歩み方

藤田:
僕は旗揚げ時は宮藤官九郎さんなどが好きだったので、はじめはあちゃらかおふざけできていれば楽しいみたいな学生の延長線で大学の演劇サークルの同期ふたりを誘って劇団をはじめた…って感じだと思います。ただ、劇団立ち上げの付近って、就活があまりうまくいかなかったり、当時の彼女にフラれたりとかで大学の終わりにメンタルがグラグラになった時期でもあって。サークル時代は8割がコメディみたいなノリだった作品のコメディのウェイトが下がり、ヒューマンドラマと半々になっていった…って感じですね。かるがも団地旗揚げ時の質感は。

古戸森:
私たちが大学のサークルにいたときは、演劇を続ける人はあまりいなかったよね。

藤田:
95%は普通に就職したり大学院に行ったりって感じで、サークル内のモチベーションもグラデーションがあって、すごくやる気ある人もゆるく楽しみたい人もいる。そんなはっきりしない環境で演劇をやっていたのでせっかく秋田から上京してきたし何かやってみたいって思いは燻ったまま、でも外で通用する自信は全くなくて就職したんです。

でも新卒1年目に働きながら「何かやりたい」とはやっぱり思っていて、自分が旗揚げをするならゆうめいが旗揚げ公演をやった新宿眼科画廊スペースOだなって思ってたんです。ずっと。先ほど小松さんが『俺』の初演を見て…って話をされてましたけど、僕も見てたんですよ。

古戸森:
当時藤田から「ゆうめいめちゃくちゃ面白かった!」って教えてもらって、私はその後上演された短編の『カッドォン』と『くやしい』を見ました。めちゃくちゃ面白かったです。でも『カッドォン』は想像していた作風とはギャップがありました…笑

藤田:
僕らはその後も眼科画廊の地下やスタジオ空洞でやったりして、あまりふたりには言ってなかったと思うけど、こっそり追いかけていきたい気持ちがあった。さらにその後もOFFOFFでやって…去年は三鷹をやらせてもらえた。

古戸森:
激アツだったよね。私たちはゆうめいをずっと観てきたから。

藤田:
ほんとにね。場所選びについては影響を強く受けていて、実は去年も佃さんと一緒に長井健一さんという俳優が主宰する宝宝ってユニットの企画に作・演出で参加したときにも、インストールの途中だビルでやることを僕の方から提案したんです。以前ゆうめいがあそこでやっていた『ファン』を観てからずっと気になっていたので。

池田:
嬉しいです。観てこの場所を使いたいって思ってもらえるってことは、使わせてもらった場所に価値を還元できたってことだと思うので。

藤田:
作風の話に戻ると、立ち上げからしばらくは自分の人生上の悩みを登場人物に託してフィクションにする作り方を続けていました。けれど、自分だけを見つめ続ける作り方に限界を感じるようになっていったんです。不幸や鬱々としたことがあると凄い作品の原動力になるんだけど、別にそんな定期的に不幸が運ばれてくるわけでもないし、そういう負のインスピレーションを待つ姿勢でいることが健康じゃないなって思いはじめた。いや、本当に一番の原動力にはなるんですけど。

なので今まで溜め込んでいた大体の悩みを吐き出してしまった2022年くらいの頃はすごい悩んでました。「あ、なんかもうない。何も切実なことが自分にない」って。最初期は演劇を続けていけるかも不安だったんですけど、規模も大きくなってきて、身内以外のお客さんも増えてきて、充実していたからこそ創作がルーティンみたいになっている悩みもあった。

その頃から他者、自分以外が抱えるものに目線が行くようになって、自己完結型の葛藤から「自分と誰か」を主語にして、僕はこう思うけど、向こうはこう思っていて、という関係性の先に社会が見えるような作品の創作を行うようになったのがこの1、2年です。

今回はそこからもう少し踏み込んだ形で、今まで自分の劇団では上演して来ずに「三匹と三羽」ってユニットに書き下ろす形で上演してきたシリアスなトーンの作品で、ずっと自分が意識してきた題材を扱ってやってみようと思っているんです。

今まで僕は自分の人生の壁や他者の辛みに対して「こういう風に向き合えたら、思えたらいいね」っていうひとつのセラピーみたいな、理想郷を描いてきた部分があると思っていて、その物語の中に存在する人は良い人、優しい人が多かった。

もちろんそれが自分や観客に必要な物語だと思って作っているんですけど、それを団体がキャッチコピーにしている「多様性」という言葉と照らし合わせたときに、多様と言いつつ優しさの壁で囲って見えないようにしている人や属性があるんじゃないかと感じることがあって。

先ほど池田さんが仰っていた全然何考えてるかわからないし共感できない人の話にもつながるかもしれないですが、この壁の外に私たちが理解し得ないし認め難い人がいる。日常であまり意識したくないし、書くことはしてこなかったけど、でも現実にいるなとは思うんです。

その人たちに共感を寄せるわけではないし、認めるわけじゃないけど、今まで舞台上で捉えてきたものの画角を少し広げて、「彼らが存在している」ということを少し俯瞰して見ることに挑戦してみるつもりです。

佃:
ありがとうございます。それでは藤田くんが筆の変遷についてお話ししてくれたので、古戸森さんの方から団体の変遷について軽くお話し伺いたいです。

僕はかるがも団地のコミュニティの作り方…先ほど池田さんたちが実践してきたようなアートシーンにおける自分たちの特異さ、異質さといった価値を売り出す形ではなく、自分たちの友人関係を拡大し、ポジティブな言葉を交わし合って連帯を組み、集団で価値を高めていく在り方も作風と同じように特徴的だと思っています。

現代的、SNS文化的といったらそうかもしれないですが、どういった考えで過去の関係者をHP上で紹介する「かるがもフレンズ」という施策や、フレンズが参加する公演をSNS上で宣伝するなどの活動をされているんでしょうか。

古戸森:
私たちは大学サークルの同期3人ではじめたので、最初の公演は3人だけで出演も裏方もすべてやっていたんです。当日運営すらいない日もあって、その時は宮野が金庫を持って舞台裏にハケていく…みたいな感じでした笑。

池田
ああ、すごい一緒だ…笑。

古戸森:
演劇界で活躍している同世代に同じ大学の出身者がいないうえに人脈もないので、当初は仲間集めにとても苦労しました。第2回公演からオーディションで仲間を集めはじめたんですけど、参加してくれたみんなには「こんな海のものとも山のものとも知れない私たちと一緒にやってくれてありがとう!」って気持ちがすごくありました。だから、せめてもの恩返しとしてみんなを「かるがもフレンズ」と名付けて紹介することをはじめ、ファイリングしながら今でも続けているんです。

フレンズ…みんなの宣伝を継続して行なっているのは、今話したような感謝の気持ちと、みんなで一緒に知名度を上げたい、大きくなりたいという思いからです。「団体として大きくなりたい」という気持ちは持ちつつも、同期3人で好きな人たちと長く続けていくことを大事にしているので、宣伝や新年会やギャラリー公演などの活動も続けながら、資本や規模の階段は飛ばすことなく一歩ずつ進めていきたいと思っています。

ただ、やはり団体として大きくなることを目指して運営していくと、次第にわたしたちの権力が大きくなってしまう構造があると思います。いくらこちらが「仲間といっしょに」「フラットに」と思っていても、上昇志向が少なからずある以上自分たちが持ちうる権力については意識していかなければならないと思っています。そもそも上昇志向云々以前に「劇団-外注のキャスト・スタッフ」という関係性自体に権力勾配があるという前提もあります。その対策として、団体のホームページで、ハラスメントへの姿勢とガイドラインをまずちゃんと出す。稽古場でその読み合わせや意見交換ができるようにする、ということを2022年ごろから続けています。ひとつ前の三鷹からはハラスメント講習を受けられるようになって、今回は三鷹とは別の方にお願いして、異なる視点を学んでみている…って感じです。

上へのステップアップと横のコミュニティを広げていく活動のバランスが今の課題ですね。今はそれこそ演劇すごろくのようなステップアップに追われているので、横を広げていく活動にもう一度しっかり取り組むタイミングをつくれたらいいなと思っています。


06.温もりで包みクギを刺す、針のむしろと広告動画――ふたりの作劇

佃:
それでは、池田さんと藤田くんのおふたりにそれぞれの作劇の傾向と物語の落としどころという観点からお話をお伺いできればと思います。ゆうめい、かるがも団地の作品の個人的な印象を一度私の方からぐわーっとお話しさせていただきます。

おふたりの作品に抱く個人的な印象として、かるがも団地は「傷ついた人、困難な状況にある人の背中を押す」ようなことを大事にしているイメージで、ゆうめいは「原体験としてあった自分や知人の話をフィクションに昇華する」ことを作品ごとにテーマ・題材を変えて続けてきたイメージです。そして2団体の作品に共通することとして、ともに「傷ついた人へのエンパワメント、過ちを過ちとして突き放す態度」を意識しながら創作をしてきたことが挙げられると思っています。ただ一方「ディティールにこだわる箇所」と「物語の落としどころ」についてはかなり異なる印象です。

ゆうめいの作品は池田さんの嫌な思いをした原体験から創作がはじまっていることもあり、嫌なことへのディティールがとにかく細かい。その細かさに根ざして物語が展開されて、互いの価値観が軋む音が聞こえるような言葉の衝突で感情を揺らしてくるのに、救いというか落としどころへの持っていき方が極端に飛躍していて「ええ…」って思うというか。ぶっ飛んでると言えるくらい虚構性が高いところに飛んでいくことがあります。

居酒屋でいじめ加害者と会話するストレスのピークのようなシーンから転じて、夢から現れた弟がザリガニに食われる痛みを感じさせる謎の光をいじめ加害者に当てて倒し、東京事変の曲で踊るという『弟兄』のラストも、虚構性とカタルシスのある飛躍だったと感じています。また、飛躍の一種としてNFTやVR、ARなど現代演劇の観劇層にとっては正直あまり共感されないだろう価値観によって登場人物が救われたり、立場が変わったりすることも印象的だなと思ってます。

一方かるがも団地の作風は、観客が嫌な思いをする、嫌な体験を想起することを可能な限り避けている印象があります。これは作劇に限らず演出の話にもなってきますが、いわゆる「加害性を持っている登場人物」やゆうめいを観て感じるような「嫌な体験」をちょっと極端なくらいコミカルに戯画化して描いている点も大きな特徴です。劇団員の宮野さんが、あの愛嬌満点な感じの演技で言動だけ聞いているとヤバいやつを兼役で演じまくる…みたいな。

藤田:
いわゆる加害性がある…というか、演じるの精神的に負担がかかるような役はなるべく劇団員、僕とか宮野が演じるようにしてきたところはありますね。人によっては兼役を多く演じてもらうことがあるんですが、嫌な人を負わせてしまうことで客演さんに負荷をかけたくないと思っていたんです。

佃:
なるほどです。上記のような気遣いで観客がリアルな痛みを想起してしまうことを避けて温かな空気で藤田くんが言うところの「あちゃらかコメディ」を展開しつつ、気づけば物語の中には藤田くんが経験してきた問題や、今考えて向き合っているままならなさが充満している。

僕が藤田くんの作品で印象に残るのは、温かさと楽しさの中にちゃんと嫌なものがあって、ちゃんと観客を刺してくるところ。刺す釘の冷たさを温かさで包んで、どちらの部分の良さも感じさせてくれるバランス感覚にあると思っています。

ざっくりまとめると、嫌なところのディティールすごい細かいのに落としどころがぶっ飛んでいる人と、温かな空気のコメディを書いてるのに落としどころではかなり冷たい釘を刺す人。って感じで作風にほんのり対照性みたいなものがあるよなって感じています。

なので今回は「加害」のテーマに合わせて、作劇上の物語の下敷きになる過去の自分や他者を物語での抱きしめ方と加害、過ちを犯した人に対する突き放し方をおふたりがどのように捉えているかを聞いてみたいです。前置きが長くなってすみません…。

藤田:
なるほど…。佃さんに言われて思ったんですが、僕自身の性質として、はじめから寄り添われずにただ怒られたり注意されるのが苦手なんです。大変だったよねとかわかるよ、でもちゃんとしていかないといけないよね。みたいなのがよくて。

古戸森:
「藤田の思っていることもわかるよ。でもごめんなさいって言わないといけないよね。」みたいな笑。

藤田:
そうそう。自分がデフォルトでダメ寄りで、普通に失礼なことを言ってしまうことがあるので、そういう人に寄り添いたい気持ちはあるんです。でも、僕自身がそこから「変わっていかなきゃいかんぞ」という気持ちはあるので、「でもそのままではあかんぞ」と作品の中で刺すことがあるのかなと思います。

あとこれも自分の性質と繋がる話なんですが、僕は物語の落としどころをそんなに飛躍させないんです。僕は書くことが自分の気持ちと向き合うひとつのセラピーになっているから、登場人物への救いが極端な形だったりフィクションすぎてしまうと、自分が向き合ってきたことを消化しきれない。それが嫌なんです。

作品が終わった後も自分は現実で生きていくから、生きていくためにそのテーマに対する自分なりの落としどころを毎回書きながら見出したい。それを布石にして、リアルな自分の人生の続きを生きていきたいなと思っているから、リアルな生活軸の中の解決にあくまで持ち込むんだと思います。だから物語でも現実に起こりえないことはあまり書かないんです。

古戸森:
ifの救いみたいなシーンも書かないよね。私は観客としてはif演劇大好きなんだけど。そうだった可能性とか言われちゃうと、すぐ自動的に涙が出てきちゃうから。

藤田:
書かないね。やっぱりifでは書いている自分が救われないと思うから。自分は自分の生きる人生に物語を還元していきたいと思うから、空想じゃなくて自分の人生に取り入れられるものじゃないと身についた感じがしないというか。生きていくためのTIPSを手にすることも創作のひとつの目的なんでしょうね。

でも、観客としては僕も、終盤暗いシーンが続いてストレスがマックスまで高まったところにデカい音楽や高いボルテージの演技で現実から浮いたところに連れていかれる感覚は好きで。ゆうめいの作品でも『俺』のラストでMISIAの『Everything』が流れるところとか昔からずっと好きなんです。

池田:
ありがとうございます。僕の場合、たとえば嫌なところの細かさは自分が生きているときにとにかくそういうところが気になってしまうから生まれている気がします。

以前働いていたところで髪型はすごいドレッドで指に刺青が入っていて、腕には海軍の時計がついている人がいて、その人にすごい怒られたことがあるんです。怒りながら口にする言葉はとにかく酷いのにずっと海軍の時計を弄っていて。その人も怒り続けているうちに段々自分のクセがわかってきているのか、なんかときどき「ん?」ってなりながら、でもまだ海軍の時計を弄り続けてる。それを見て「本当にその手触りが好きなんだな」って思った瞬間が、自分にとって直接的じゃない部分の面白がり方、書き方の目覚めみたいなところがありますね。

ゆうめいで「ここでこれ流すの!?」みたいな飛躍のさせ方は、飛躍ではなくより現実的だと思ってもいて、Youtubeの広告とか釣り動画で「今緊急で動画回してます!」みたいなものに近いというか。全然緊急じゃないと思うのに、よくわからないから僕見ちゃうんですよ笑。それで中身は「今緊急で動画回してます…実はあの…猫ちゃん死んじゃいました!」みたいなことを言っている。そのテンションで言うことなの!? 怖っ!って思うんですけど。

藤田:
いやまず悲しめよ、と思いますよね。

池田:
本当に。でも、さっきまでエモーショナルな曲を聴いていたところで偶然飛ばされた動画に変なものが出てきてしまい「さっきまでの俺の感情は何だったんだ」って感じるようなことが、ゆうめいの作品内で起こる飛躍なのかもしれないです。

これは作品の中で起こっている事象から離れたいって気持ちと、事象以外の想像の可能性を提示したいからなのかなと思っていて。藤田さんの場合はずっと自分の悩みが反映された事象に向き合い続けていて、そのための嘘もあまりつきたくないと思っている。それが作品の良さでもあり、強さでもあるのかなと今聞いていて思ったんです。けど、僕の場合はもう何か全部を突き放して、変な広告動画が入ってくるような時間を現実感として求めてしまうときがあるんです。

作品には自分や自身を反映した存在が出てきて、彼らが何も解決しないような時間をずっと繰り返して、もう無理なんじゃないかって思った瞬間に「今緊急で動画回してます!」みたいな変な人が来るほうがまだ何か希望というか現実で起こりうることがあるというか。

佃:
それって、芸劇の観客に伝わらなくても急にチェンソーマン*5 やったりする感じですか?

池田:
そうそう! でもあれは僕が言いはじめたことじゃなくて、出演者の鈴鹿通義くんが「チェンソーマンなりきっていい?」って言ったんです。相島一之*6 さんいるのに!? って僕はむしろビックリしたくらいで。しかもチェンソーマンのシーン、あれだけで計5分くらいかかってるんですよね…笑。

古戸森:
私は『チェンソーマン』を知らなかったから「なんだ、なんだ」って思いながら見てました笑。池田さんのその独特な突き放し方、寄り添い方だと、私は『姿』の最後で場内に流れる池田さんの実のお母さんのアナウンスが印象的でした。

作中のお母さんとのシーンはけっこうしんどいものが多かったけど、これは事実を”元にしている”作品であって、現実の池田さんのご家族は作品とは別にまだ存在しているんだって思えて素敵だなと思いました。ただ一方、舞台上で起こっていることのリアリティにシンパシーを感じていた私の知人は、最後にお母さんからある程度フィクションでしたとアナウンスされることが裏切りのように感じてしまったとも話していて、それも印象的だったんです。

池田:
そのラストについては、自分は突き放した方がいいかなと思っていました。『姿』については最初に自分の話だと言いつつも、アナウンスではフィクションであることも示される。でも、こういう物語を作るにいたった僕がいて、その後も一応あって、生きている。という結果だけを残す終わり方にしたいと思いながら作っていました。物語の答えも事実もあえて出し切らずに「今、僕の目線が演劇になっています」という状態に留め続けることが、演劇で自分の話を描くってやり方でやれること、やりたかったことでした。

佃:
当時のゆうめいの作品は、観客との関係の結び方が特殊だからこそ古戸森さんの知人は裏切りのように思ってしまってしまったのかもしれません。少なくとも初期はフィクションではあるけれど「自分の話をする」っていう前提で観客と関係を結んでいた。最終的には飛躍した終わり方をするけど、最初に交わした「これは池田亮の話です」って言葉を信じすぎると、物語全体を裏切りや他人の不幸の消費のように感じてしまう。そんな誤解が生じやすい作風ではあったように思います。

一方藤田くんの作風は、言いたいことや伝えたいことを突然言われても伝わらないし受け入れられないって思う人格が反映されていて、コメディタッチな会話や温かな空気をつくることで、本質への動線をしっかりと整える。だから今まではそういう誤解はあまり生まれない作風だった。でも今回の作品はどうだろうって感じですね。

話を聞いていると、観客との関係性の結び方にも性格が出るなぁと思いますね。


*5 チェンソーマン
藤本タツキによる日本の漫画作品。週刊少年ジャンプにて第一部が2019年から2021年まで連載されていた。2025年現在もジャンプ+にて第二部が連載中。

*6 相島一之
劇作家・演出家・映画監督の三谷幸喜が率いる東京サンシャインボーイズの劇団員。現在はシス・カンパニー所属。池田亮作品には『ハートランド』で初参加し、昨年にも『球体の球体』に出演。

     

07.演劇は、自分の世界を崩される方が面白い――造形作家の演劇観

佃:
最後に少しだけ造形作家としての池田さんからのお話も伺いたいなと思います。池田さんの作品における美術は、作品世界を表現するだけではなく、都度特徴的なアイデアが反映された装置として舞台上に存在しているイメージです。そのような美術のアイデアと演出のアイデア、劇作のアイデアはどのように相互に関係しているのか、それとも切り離して考えているのかをお伺いしたいです。

池田:
作り方で言うと、最初にもう全部一気に走り出していて。僕の創作は彫刻的な…粘土を持ってくるみたいな感じなんです。先に心棒を作って、粘土をつけていくんですけど、脚本描きながら美術も考えて演出も考えて…って色んな粘土を同時並行でつけていっている感じです。美術も山本貴愛さんとお話しする前に自分で考えてしまっていて、打ち合わせをして台本をお渡しして、プランが出来上がった段階で自分のプランは完全に切り捨てるという選択をしています。

古戸森:
貴愛さんと考えが100%合致しない限り、自分の考えはほぼ切り捨てられるものだけど、脚本などと同時に考えておく。そして美術が決まったタイミングで池田案の美術の粘土を剥がすみたいな感じですか。

池田:
そんな感じですね。合致していない限り自分のは切り捨てるって決めて書いています。それ以上に貴愛さんが提案してくれるプランに楽しさと信頼を感じていることも理由です。

古戸森:
すべてのセクションを同じ”粘土”という素材で例えているのが今けっこう衝撃的です。池田さんにとってはテキストと演出と美術と俳優の演技が全部同じ素材に感じられているのがすごいなって思います。藤田の場合はそもそも脚本を書きたくて、脚本を礎にして演出を足していくタイプの作家だから。でも、池田さんは全部が同じ粘土なんだなぁ…って。

池田:
たしかに…美術のアイデアと同じように他も言われたらけっこうカットしちゃいますね。自分の大事だなあと思ってたセリフも切るので、「これ切っちゃっていいの?」って他の人から言われたりもするんですが。まあ演出こうなっちゃったし、キャストスタッフ関係者もその方がいいって言うし、いいかって。

佃:
前に池田さんとお話しする機会があったとき、演劇をやることの面白さは、人と作って、人のものが容赦無く入ってくることだって仰っていて。ひとりでやるなら自分で好きなようにやれる彫刻や造形でいいと思っているので、演劇だと他者のアイデアや意見を積極的に取り入れるって話をされていたのが印象的だったんです。

それはきっと演劇しか表現の軸足、アイデンティティを持たない人には中々持てない視点で、自分というアイデンティティの置き場をいくつも持っているからこそ、池田さんの演劇作品は今のような形になっているのかなと思います。

池田:
そうですね。自分は作品を匿名で発表することも、実名で発表することも危険というか、害をなしてしまうのでは…と思ってしまうときがあって。そのときに、自分で思いついた作品を誰にも発表しないという選択肢を取っていたりするんです。「この世界で自分しか知らないものを誰にも知らせずに取っておく」っていうことが自己のアイデンティティの獲得につながるって思考からそういうことをしているんですが、それが今仰ったようなこだわりのなさにつながっているのかなと思います。ひとりで書いた自分の世界はもう既にあるから、いいか。というような。

僕は自分以外の誰かがいるんだったら、自分の世界は崩れていった方が面白いと思ってしまうところがあります。その方が演劇っぽい感じになるというか。…まあでも後から「やっぱりあれ削んなかった方が良かったじゃん、いいセリフだったじゃん!」っていうのは結構あるかも笑。

古戸森:
どこかで「削ったいいセリフだけをめっちゃそれっぽく言う」ってイベントをやってみたらどうですか? 丙次さんに演じてもらって、いいセリフを次々と消化していく笑。

池田:
たしかに! 本当はもっと言いたいセリフがあるんですよ。削ったまま本番終わって1週間後くらいにそれに「あっ!」って気づくんです。「ここやっぱりそのままで良かったじゃん!」って。だからそれ、ちょっとやってみたいですね笑。


08.お疲れ様でした!!

佃:
本日はありがとうございました。池田さん、もし今後の公演の告知などがありましたら言える範囲でお願いいたします。

池田:
今年の11月にゆうめいが10周年を迎えます。それを記念して『養生』*7の全国ツアーをやらせていただきます。11月から12月にかけて、ロームシアター京都、三重県文化会館、いわきアリオス、札幌芸術劇場、高知県民ホールを回って、最後にKAATの大スタジオで上演する予定です。

内容は変わるというか、かなりバージョンアップする予定なので、ぜひ観ていただきたいです。

藤田:
みんなでいきましょう!

古戸森:
楽しみです!かるがも団地は4月末に上演した第10回本公演『逆光が聞こえる』配信中です。よろしくお願いいたします!


*7 『養生』
ゆうめいが2024年にザ・スズナリにて上演した長編演劇作品。第32回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞作。第68回岸田國士戯曲賞を受賞した『ハートランド』とセットになって戯曲が書籍として販売されている。2025年に全国ツアーを実施予定。

◎ゆうめい 活動情報

『養生』全国ツアー

作・演出・美術 池田亮
出演:本橋龍(ウンゲツィーファ)・黒澤多生(青年団)・丙次

日程 : 2025年11月1日(土)~12月28日(日)
会場 : 京都・三重・福島・北海道・高知・神奈川 各会場

◎かるがも団地

第10回本公演『逆光が聞こえる』
5/25まで配信中!

詳細:かるがも団地『逆光が聞こえる』特設HP

【配信観劇購入】
第10回本公演『逆光が聞こえる』【かるがも団地】 | オンライン

スチール撮影:冨岡英香(もちもち/マチルダアパルトマン)

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