国鉄時代の「我慢が当たり前」みたいな空気、まだ残ってる気がする。 でも、限界まで耐え続けた結果、壊れる人もいるんだよね。 静かに疲弊してる人、結構多いと思う。
「我慢できる人が偉い」 そんな空気の中で、生きてきた。
日本には、昔から「耐えること」を美徳にする空気がある。
多少つらくても黙って働く。 混雑していても文句を言わない。 体調が悪くても休まない。 苦しくても「みんな頑張ってるから」で終わる。
特に、昔の国鉄時代のような「我慢が当たり前」という感覚は、今もいろんな場所に残っている気がする。
もちろん、忍耐そのものが悪いわけじゃない。 耐える力に助けられる場面もある。
でも、限界まで耐え続けた結果、壊れてしまう人もいる。
今日は、そんな「静かに疲弊している人」のことを書きたい。
「まだ頑張れる」が、一番危ないこともある
発達障害や精神障害を抱えている人の中には、「無理をしている自覚」が薄い人が結構いる。
周りに合わせようとして、 空気を読もうとして、 迷惑をかけないようにして、
気づいたら、自分の感覚を後回しにしている。
本当は、 騒音がしんどい。 人混みが苦しい。 予定変更で頭が真っ白になる。 疲れている。
でも、それを言えない。
「みんな我慢してる」 「自分だけ弱音を吐けない」 そうやって、無理を積み重ねていく。
そしてある日、急に動けなくなる。
これは怠けではない。 甘えでもない。
ずっとアクセルを踏み続けて、心と身体のブレーキが壊れてしまった状態に近い。
しかも厄介なのは、周囲から見えにくいこと。
骨折みたいに外から分からないから、 「普通に見えるのに」 「考えすぎじゃない?」 と言われてしまう。
だからさらに、自分を責めてしまう。
「耐え続けること」だけが正解じゃない
自分も、「休む=悪いこと」だと思っていた時期が長かった。
止まったら終わる。 頑張れない自分には価値がない。
そんな感覚がずっとあった。
でも実際には、 壊れてから立て直す方が、何倍も大変だった。
心療内科に通うこと。 睡眠を整えること。 少しだけ外に出ること。 「今日は何もできなかった」を受け入れること。
そういう小さいことを、一つずつ積み直していく必要があった。
だから今は、「無理して100点」より、「壊れずに1点」の方が大事だと思っている。
健康な人基準で生きると、 「まだ頑張れる」が続いてしまう。
でも、本当に必要なのは、 「まだ壊れてないから大丈夫」ではなく、 「壊れる前に休む」ことなのかもしれない。
静かに疲弊している人へ
今の社会って、声が大きい人が目立つ。
でも実際には、 静かに疲れている人の方が多い気がする。
毎日ちゃんと通勤してるけど、限界ギリギリの人。 笑っているけど、家に帰ると動けない人。 「普通」を演じ続けて、消耗している人。
発達障害や精神障害を持っていると、どうしても「合わせる努力」をしすぎてしまう。
だからこそ、 「しんどい」と感じる感覚を、無視しないでほしい。
疲れているなら、疲れているでいい。 休みたいなら、休んでもいい。
社会の空気より、自分の心と身体の方が大事だから。
耐えることしか選べなかった人ほど、 「少し力を抜く」という選択を、自分に許してあげてほしいと思う。
