見出し画像

noteの『スキ』は、ちょっと照れる

SNSの「いいね」って、もはや拍手の代わりですよね。ウケたらポン、泣けたらポン、なんか知らんけどポン。気づけば親指が仕事してる。現代人の条件反射です。

でもね、noteの「スキ」って、なんか違う。
あの♡マーク、押す瞬間に、ちょっとためらうんです。「これ、ほんとに押しちゃっていいのかな」って。いや、押せるんですけど……ちょっと照れる。

「スキ」は「好き」だ。恥ずかしいに決まってる。
noteの「スキ」って、「いいね」と似てるようで、
全然ちがう感情のスイッチだと思うんです。

「いいね」は他人に見せる前提がある。
「私はコレが好きだ!共感して!」って、
ある意味で他人に向かっての主張なんですよね。

でも「スキ」は、心にふっと湧いた気持ちを、
ためらいながら置いていくような感じ。
これはもう、内緒の気持ちの告白です。

この恥ずかしさ、私の中ではこういうことです。

好きという言葉には、理屈がない。
だから、自分の感情がむき出しになる。

そこには欲望もちょっと混ざっていて、
「あなたいいですね」「もっと書いてほしいです」って、相手を求める自分が見えてしまう。

気づけば私は「もっとちょうだい」って顔してて、
投稿者の前で少しだけ、情けない自分になってる気がするんです。

尊敬にも似たこの気持ちを伝えたいのに、私はどこか臆病で、だから「スキ」を押すのがどうにも照れくさい。

なんで好きなのか自分でもわからない
わからないから言えない
言えないから恥ずかしい
恥ずかしい、でも伝えたい

もうね、青春のぐるぐる再来。

「好きです」って言ったら、引かれることもあります。その温度差ときたら、10年経っても思い出せるレベル。だけど「推し」なら、そんな思いをしなくて済むんですよね。

「推し」って言葉は、感情を制度化してくれます。
「好き」って説明しにくいし、時間やモノで証明するのは野暮。でも「これは推しです」って言えば、それだけで伝わる。

不安定な気持ちが、「ライブに行く」「グッズを買う」「シェアする」みたいな、わかりやすい“行動”に変わっていく。そんな仕組みなんです。

それって、ちょっと守られてる感じでもあります。気持ちをさらけ出さずにいられるので。

この仕組みは社会的にも経済的にも、とても都合がいい。「好き」を誰にでもわかる形にして、繰り返し流通させることができますから。

とはいえ、そうやって「好き」が制度に包まれていくうちに、その少し痛くて、うまく言葉にできない部分が、だんだん見えにくくなっている気もします。

noteで「スキ」ボタンを押すときに照れるのは、「推し」の外にある、生の感情がふいに顔を出すからだと思うのです。

隠れる場所も、寄りかかるものもない。ただ、言葉にできない気持ちが自分の中にあって、それを小さなハートでそっと差し出す。

こぼれそうで、はにかんでて、でもまっすぐな「好き」。恥ずかしさごと差し出す姿が、美しいと思うんです。

「推し」も好きだけど、「好き」はもっと、いい。


……で、あの。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます。こういう文章って、読んでもらえるだけで十分なんです。ほんとに。

ところで、noteの「スキ」ボタンっていいですよね。押すと小さなハートがピョンと跳ねる。あれ、ちょっとかわいくて好きなんですよね。

いや別に、押してほしいわけじゃなくて。
ただ「そういう文化、いいよね」っていう、
それだけなんですけど。

まあでも「間違えてスキつけちゃった!」って人がいたら、それはそれで。知らないふりをして、ありがたく受け取ります。

……言葉にするの、ちょっと恥ずかしいですね。
でもやっぱり、好きってこうなのかもしれません。

なんか、それっぽいことを言った気がします。
ここで最後に、ハートがピョンって跳ねたら──
この文章も、うまく着地できた事になるはずです。


いいなと思ったら応援しよう!

借り火暮らし|エッセイと日常 この記事から何かを得た人がいたとしたら、それはたぶんあなたの才能とちょっとした偶然です。おめでとうございます。

この記事が参加している募集