まじで目覚める5秒前――“The Wives of the Dead”(1832) Nathaniel Hawthorne 「死者の妻たち」ナサニエル・ホーソーン
このゼミで読む作品は「短ければ短いほどよい」という方針なので、この作品はMさんが「たった6ページ」ということで選んでくれました――それがもう8年前のことで、今ではMさんも金沢大学文学部の准教授なのですから、時の流れの速さに驚いてしまいます。
ホーソーンといえば「若いグッドマンブラウン」(新郎が見た悪夢は現実だったのか否か、という物語)で有名ですが、今回のこの作品も、それに劣らず、かなり入念に書かれた夢についての物語なのだと思います。テキストはここで読めます。
あらすじ
主人公はメアリーとマーガレットという二人の女性です。二人は悲しみに沈んでいます。それは、互いの夫――血のつながった兄弟で、メアリーの夫は船乗り、マーガレットの夫は兵士――が亡くなったという知らせが立て続けに届いたからです。
二人はアパートの二階に同居し、共有している居間をはさんで、それぞれ別の寝室で寝ています。しかし、マーガレットはなかなか寝付かれません。寝室のドアはどちらも開いたままだったので――ドアが開いていたというのは、大事な点なので忘れないでください――マーガレットにはメアリーの眠っている姿が見えます。やがて階下のドアをノックする音が聞こえ、マーガレットが窓を開けて下を見ると、宿屋の主人パーカーがいます。パーカーは言います――前線から知らせがあって、死んだと思われていたあなたの夫は生きてますよ、と。
マーガレットは喜んで、すぐにメアリーの寝室に駆け込もうとしますが、ドアのところで思いとどまります――「可哀想なメアリー。もし起こしてしまえば、私の幸せのせいで、彼女は悲しみを新たにすることでしょう」。そう考えて、マーガレットはだまって眠りにつきます。
夜が更け、今度はメアリーが目を覚まします。まだ寝ぼけていて、自分の状況の「はっきりした輪郭」(the distinct outline of her situation)をつかめずにいます。しかし、たしかにノックの音が聞こえたようです。今度はメアリーが窓を開け――それは「たまたま、きちんと閉まっておらず、手で触るとすんなりと開きました」――階下を見ると、船乗りのスティーブンがいます。メアリーが独身のころ、言い寄って来ていた若者です。スティーブンが言うには、メアリーの夫の船は難破したものの、夫は生き残ったようです。彼を乗せた船は明日到着するとのことです。
この良き知らせを共有しようと、こんどはメアリーがマーガレットの寝室に向かいますが、マーガレットがよい夢を見ている様子なので、起こすのは止め、布団を直してやろうとします。すると震える手がマーガレットの首にふ、涙がほほに落ち――そして、物語は次の一文で終わります:
“But her [Mary’s] hand trembled against Margaret’s neck, a tear also fell upon her cheek, and she suddenly awoke.” (67)
めでたしめでたし?
一読すれば、めでたしめでたし、という結末のようです。メアリーとマーガレットはともに夫が死んだと思っていましたが、まずはマーガレットに良い知らせが届き、次にメアリーも夫が生きていることを知り、二人とも悲しみから救われて安眠できる。そのようにも読めます。
しかしそれにしても、物語の最後で目を覚ましたのは誰だったのでしょうか?引用した"she suddenly awoke”を普通に読めば、最後のsheはマーガレットのことを指すはずです。とはいえ、同一文中で代名詞が微妙に揺れています。最初のherはメアリーを指し、二度目のherはマーガレットを指している。すると最後のsheについても、一瞬読者に戸惑いが生まれるのではないでしょうか。もちろん、文脈上――現実に寝ているのはマーガレットであるので――起きるのはマーガレットしかないわけですが、しかし、実はメアリーの方がここで夢から目覚めた、ということではないか、とも読めます。つまり、二度目の吉報は、メアリーの夢の中の出来事だったのかもしれない……。
後半は夢(ただし、夢を見ている主体が問題)
ひとまず、誰の夢だったかは措くとして、これが夢の出来事であったと考えられるのには理由があります。船乗りのスティーブンから夫が生きていると聞かされたメアリーは、すぐにマーガレットの寝室へと走りました。そのとき、なぜかメアリーはそのドアを「開けた」と書かれています。その上、そのドアは一晩中閉じられていた、とまで念を押されています――”She [Mary] opened the chamber-door, which had been closed in the course of the night” (66).
寝室のドアが閉じられていた、という記述は、作者ホーソーンのうっかりミスではあり得ません。あらすじのところで強調しておきましたが、ホーソーンは物語前半で、そのドアが開いていたことをくどいぐらい明確にしていたからです。
二人が床につく際、”The doors of both chambers were left open” (62)(二つの寝室のドアはどちらも開いたままになっていた)とされ、それゆえに、互いの寝室の中が見えるようになっていた(“so that a part of the interior of each, and the beds with their unclosed curtains, were reciprocally visible” [62])と書かれていました。ホーソーンはこの設定を忠実に守ります。まずは、眠れぬマーガレットがメアリーの部屋の中を繰り返し見た(“a nervous impulse continually caused her [Margaret] to lift her head from the pillow and gaze into Mary’s chamber” [62])と書き、次のページでは再び「マーガレットは義姉の部屋を見やり、義姉が深い眠りの中にまだ横たわっているのを見た(“Margaret looked to her sister’s chamber, and beheld her still lying in the depths of sleep” [63])と書くことで、ドアが開いているという設定を守り続けています。
だからこそ私たちは、物語後半の「メアリーは一晩中閉じられていた(マーガレットの)寝室のドアを開けた」という部分を読み飛ばすわけにはいかないわけです。開いていたはずのドアが「一晩中閉じられていた」とは何事か、と。前半で非常に丁寧に条件設定してみせた作者が、物語の要所でその条件を反故にすることは不自然なので、むしろ、「閉じられていたドア」は一つの印――「メアリーの経験は現実ではない」という合図――であると思われます。
ちなみに、この閉じられていたドアは、映画『インセプション』を思い出させます。そこでは、現実世界と幻想世界を見分ける印として、「回り続けるコマ」が使われていました。現実世界ではコマはやがて止まって倒れますが、幻想世界ではコマは回り続けてしまうのです。それを手がかりに、判別困難な二つの世界は区別することが出来たのでした。これに似た仕掛けを、ホーソーンはとっくの昔に使っていたようです。
――そのように8年前は読みました。しかしこれは別に斬新な読みでもなかったようで、物語後半がメアリーの夢である、という説は、とうの昔にアメリカの研究者が唱えていたようです(H. J. Lang “How Ambiguous Is Hawthorne?” [1962])。しかし、真の問題はここからです。夢だとして いったい誰が夢を見ているのか、を問わねばならないからです。(ちなみにネットで読める他の議論には、Harris, Mark, "The Wives of the Living?: Absence of Dreams in Hawthorne's "The Wives of the Dead"" [1992]やPDF版の浅井静雄[Hawthorneの曖昧性 : "The Wives of the Dead"の場合](2008)などがあるようです。)
掛かっていなかった窓の掛け金(unhasped)
今回、改めてこの物語を読んで、「後半=メアリーの夢」説にすんなり収まらない記述が気になりました。それは、ノックの音を聞いたメアリーが窓を開けたとされるときのことです。あらすじでも引用した通り、メアリーが窓に手を触れると、それはすっと開いたのでした:
”By some accident, it had been left unhasped, and yielded easily to her hand” (65)(たまたま、窓はきちんと閉まっておらず、手で触るとすんなりと開きました)。
なぜ窓に留め金がかかっていなかったのか(haspとは窓を留める金具である「掛け金」で、”unhasped”はその掛け金がかかっていない状態)。その理由は、物語前半でマーガレットが窓を開けたから、と考えるほかはないでしょう。マーガレットは一度目のノックを聞いて窓を開け、宿屋の主人から吉報を聞き、そしてすぐにメアリーの部屋へと走ったわけですから、おそらく興奮のあまり窓に掛け金をかける手間を惜しんだ(実際、それどころではなかったでしょう)、と推測できます。“By some accident”と曖昧に書かれていますが、読者としては、窓がleft unhaspedの状態だったのは、「たまたま」ではなく、マーガレットが慌ていたせいだ、と考えるしかありません。
もし後半がメアリーの夢だったとするならば、ここで矛盾が生じるわけです。もしもこの窓の一件がメアリーの夢の中の出来事だとすると、なぜその内容が、メアリー自身が知るはずのない現実の影響を受けているのでしょうか。この窓に関する記述が、メアリーが知り得ないマーガレットの現実の動作(窓をきちんと閉めなかった)を反映している以上、この出来事(窓に留め金がかかっていなかった)がメアリーの夢の産物であるはずがありません。
後半は夢だが、夢を見ているのはメアリーではなくマーガレット
この問題の解決に、院生のBさんと学部生のOさんが、それぞれ別々に到達しました――たしかに後半は「夢」だが、夢を見ているのはメアリーではなく、マーガレットだと考えればよい、ということです。つまり後半は、メアリーが見ている夢のようでいて、本当はマーガレットがメアリーとして夢想していた、と見なせばよいわけです。
一見、これは複雑すぎる解釈のように思われるかもしれませんが、夢はしばしば経験主体を「自分」からずらし、第三者の視点や他者の身体へ仮託して展開します。夢の中で「自分が自分でない」ことは、むしろありふれています。したがって、「メアリーが体験しているように描かれる」ことが、直ちに「メアリーが夢を見ている」ことを意味するわけではありません。その上、後半がメアリーではなくマーガレットの夢だ、と解釈することは、実は物語の展開上、とても自然なのです。振り返ってみれば、まず前半で、マーガレットが吉報を聞き、そのあと眠りに落ち、次の段落からマーガレットの夢が始まる(65ページ6行目)――つまり、メアリーにも吉報が届くという夢をマーガレットが見始める、という流れです。
そこから始まる物語後半――メアリーが吉報を聞く部分――が、メアリーではなくマーガレットの夢の内容だとすれば、先ほどの留め金の問題は解決します。喜びのあまり自分が冷静に窓に掛け金を掛けたりしなかったことをマーガレットは知っていたので、それで(マーガレットの夢の中の)メアリーが窓に触れたときにすんなり開いたのだ、と考えれば、矛盾も解消されるわけです。
前半と後半が似ている理由
そう考えれば、さらに、物語の後半が妙に前半を繰り返していることにも納得がいきます。ちょうど私たちの現実の経験が夢の中で繰り返されることがあるように、マーガレット自身が経験したこと(窓を開けて、吉報を聞いて、メアリーを起こそうとするが思い止まる)が、マーガレットの夢の中でメアリーの行為として繰り返され、「メアリーが窓を開けて吉報を聞き、マーガレットを起こそうとするが止める」という夢内容になった、ということです。
ちなみに、前半部分もマーガレットの夢だった、という説もあるようですが、それだと後半の「メアリーの夢」が「マーガレットの夢」に似すぎていて、二人が似た夢を立て続けに見たという奇妙すぎる偶然の一致を飲み込まねばなりません。その上、物語前半には、マーガレットがその目で見ていないことまで書き込まれています。マーガレットに吉報を届けたパーカーが立ち去ったときの描写です:
So saying, the honest man [Parker] departed; and his lantern gleamed along the street, bringing to view indistinct shapes of things, and the fragments of a world, like order glimmering through chaos, or memory roaming over the past. But Margaret stayed not to watch these picturesque effects. (64)
パーカーのランタンが、町並みをおぼろに照らし出している様子を、マーガレットは見ていません――「マーガレットは、その絵のような光景を眺めるために立ち止まりはしなかった」とあります。見ていなかったのですから、この景色は、マーガレットの夢内容の一部ではなくて、このときのマーガレットが現実世界の中にいることを示す鍵になっているのだと思います。それを「彼女は見ていない」とホーソーンはわざわざ書くことで、彼女の主観の外にある「現実」の存在を示しているわけです。
他方、物語後半でこれに対応する部分――吉報を届けたスティーブンが立ち去る場面――は、「メアリー」が目にしたものしか描かれていません:
He [Stephen] hurried away, while Mary watched him with a doubt of waking reality, that seemed stronger or weaker as he alternately entered the shade of the houses, or emerged into the broad streaks of moonlight. (66)
こんどはランタンの明かりではなく、月明かりに照らされたおぼろげな町並みが描かれています。メアリーは夢うつつの状態で、家々の影を出たり入ったりするスティーブンの姿を見ながら、これが目覚めている世界なのかどうかという疑いもまた強くなったり弱くなったりした、と書かれています。ここでの光景描写は現実性を担保することなく、非現実性を強めています。ならばメアリー自身が夢を見ているのかと言えば、そうではなくて(その理由は閉まっていない留め金にありました)、この光景を幻視しているのは、あくまでマーガレットであって、その夢の中でメアリーが夢うつつになっている、ということなのでしょう。
夢を生み出すもの:lighter sorrowsと「冬の息」
さらに、後半がマーガレットの夢であることをさらに示しているのが、「より軽い悲しみというものが、主として夢を織り上げる材料となる」(“The lighter sorrows are those from which dreams are chiefly fabricated” [64])という一文です。それは物語前半で吉報を知ったマーガレットがメアリーの寝室に急いで行ったものの、メアリーを起こすことなくその寝顔を見ていたときに現れる記述です。ここでメアリーは湖の底に沈んでいるかのような深い眠りの中にいるとされています。動くこともなく、満足げにも見えます。そして、「より軽い悲しみというものが、主として夢を織り上げる材料となる」と書かれます。おそらくメアリーの悲しみはあまりに強いので、夢など見ることもなく、深い眠りに落ちている、ということだと思います。ならば、なおさら後半はメアリーの夢ではない。むしろ、マーガレットの夢だと考える方が自然です。実際、「より軽い悲しみ」が夢を生み出すならば、まさにマーガレットの悲しみこそ、吉報によって軽くなっていたからです。しかし、完全に悲しみから回復したということでもありません。なぜなら、夫を失ったメアリーのことが気になり続けているからです。ですから、マーガレットの悲しみは完全回復ではなく「より軽くなった」程度なわけです。だからこそ、そんなマーガレットが物語後半の夢を生み出すことになったのでしょう。
そしてマーガレットは実際に眠りに落ちます。そのときの記述は、これからマーガレットが夢に突入することを、ほとんど宣言してしまっています:
Her [Margaret's] mind was thronged with delightful thoughts, till sleep stole on, and transformed them to visions, more delightful and more wild, like the breath of winter (but what a cold comparison!) working fantastic tracery upon a window. (65)
(彼女の心は楽しい考えでいっぱいだったが、やがて眠りが忍び寄ってきて、それらをいっそう甘美で、いっそう奔放な幻想へと変えてしまった――まるで冬の息(だが、なんと冷たい比喩ではないか!)が窓ガラスの上に、幻想的なレース模様を描き出すように。)
眠ることによって、彼女の「考え」が「ヴィション(幻想)」へと変容(transformed)していることをBさんは指摘してくれました。これは、マーガレットが眠って、それまでに考えていたことが夢へと変化した、もっと簡単に言えば、マーガレットが夢を見始めた、ということにほかならない、ということです。そして実際に、その夢の内容も、メアリーの夫も助かったという報をメアリーの潜在的恋人が届けるという「甘美で奔放な」ものでした。(さらにBさんは、マーガレットの夢の中に登場するマーガレットの寝姿、という特異点がこの物語の結末に存在することを指摘してくれました。なんと、そのとき彼女はまず"the unconscious form of the bereaved one"[「遺された者の無意識の形体」]として――figureじゃなくて単なるformとして――ぼんやりと言及されていたのです。現在進行形で夢を見ている最中の主体が、その夢の中に像として映り込んだとき、それをthe unconscious formと表現するホーソーンのなんと注意深いことでしょう。そしてそれを見逃さないBさんのなんと鋭いことでしょう。どちらも匠の技です。)
加えて上の引用で私が注目したいのは一つの比喩です。ここでホーソーンは、思考が夢に変容するさまが、「冬の息」が窓の上で「レース模様」に変化するのに似ている、と述べています。そしてさらに、その比喩に読者の関心を引きつけるべく、わざわざ「なんと冷たい比喩ではないか!」とびっくりマークまで付けています。むろん、この比喩はただの装飾ではありません。なぜなら、ホーソーンは物語のオチでこの比喩をさりげなく回収しているからです。
冷気がたたれる→夢から覚める
結末でホーソーンは夢(レース模様)を生み出す「冬の息」を再び描きます:
Before retiring, she [Mary] set down the lamp, and endeavored to arrange the bedclothes so that the chill air might not do harm to the feverish slumberer [Margaret]. But her hand trembled against Margaret’s neck, a tear also fell upon her cheek, and she suddenly awoke. (67)
(寝床に入る前に、彼女はランプを置き、熱にうかされて眠る者[マーガレット]に冷たい空気が害を及ぼさぬよう、寝具を整えようとした。だが、彼女の手はマーガレットの首もとに触れて震え、同時に涙が一滴その頬に落ちた――そして彼女ははっと目を覚ました。)
ここでは、先ほどの「冬の息」が、「冷たい空気」と言い換えられているのだと思います。件の比喩では、「冬の息」が窓にレース模様=夢を描き出していました。結末でメアリーは、その「冬の息」がマーガレットにかからないようにしたわけです。その「息」とは、夢の世界(窓の上のレース模様)を生み出すものでしたから、ここでメアリーはマーガレットの夢の発生源を絶った、ということになります。だからこそ、この瞬間に、夢見ていた者――マーガレット――が目を覚ますわけです。
このように、マーガレットの夢のその中に夢見るマーガレットという「形体」が映り込み、それから「冷たい空気」が遮断されるまでの間――彼女が目覚める前の数秒間――が、この物語のキモだったと言えるでしょう。
マーガレットの葛藤が「解決」される夢
もし後半がこのようにマーガレットの夢であるならば――つまり、それはメアリーの夢ではなくて(メアリーの心理、たとえば新しい男スティーブンへの抑圧された欲望の表れではなく)――それはマーガレットの心理内容(悩みとか不安とか願望とか)が反映されているはずです。
マーガレットが抱えている葛藤は、メアリーを起こしたいけれど起こせない、というものでした。自分の幸せを伝えたいけれども、そんなことをしてしまうとメアリーに対して不誠実(unfaithful)なことになってしまう、さらには、愛情も損なわれてしまう(“altered and diminished affection must be the consequence of the disclosure she [Margaret] had to make” [64])という不安がありました。
この問題を、マーガレットは夢の中で「解決」したのだと思われます。自分だけの幸運を後ろめたく思っていたのですから、同じ幸福がメアリーにも訪れればバランスが取れる。だからメアリーにも吉報が届く。そのメッセンジャーとなったスティーブンもまた(現実には夫に死なれた)メアリーに(新たな恋人として)再び幸福をもたらす可能性がある人物なので、マーガレットの夢に登場した、ということなのかもしれません。マーガレットの幸福な寝顔をメアリーが妬むことなく見守ってくれているのも、マーガレット自身の(都合のよい)願望の実現のようにも見えます。
このようにホーソーンは物語後半で、実にアクロバティックなやり方で、マーガレットの夢を「メアリーの経験している現実」であるかのように描いたのだと思います。ならば、この手法は三年後に名作「若いグッドマン・ブラウン」に結実した、ということになるでしょう。そこでホーソーンは、主人公が森で経験した出来事は夢だったのか現実だったのか、と読者に真正面から問いかけるのですから。
