再び家族になる――夭折した父の「後始末」として傷を引き受けた三人の話
これは自慢の家族の物語です。父が夭折し、我々は自ら選んで、再び家族になりました。家族とは何か。答えは様々だけど、僕はこう考えます。
「教育者の家の兄が潰された。家の名誉がかかっている」
4学年下のきょうだいは中3の受験で、ア・テストの失敗を挽回し、学区で一番偏差値の高い高校に進みました。当時そんな気持ちだったことは、大学を出てから教えてくれました。気骨のある面がありました。
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某私大主席卒業からすべて失う
予備校で国立大のコースを受けたけど、精神的に不安定になったから、私立に変えて進学しました。その卒業式の頃に、主席になるほど努力したのに、統合失調症(当時は双極性障害で、診断名が変わりました)を発症。
ストレス脆弱性は、私同様持っているので、よく倒れるまで努力したと、誇りに想います。お前も苦労したなと。
晩年、「プライドなんてもう持てないよ」と、話してくれたことがあります。無理もないけど、僕らはV.E.フランクルの態度価値を話し合いました。
友達のようで
90年代も2000年代もCDの時代だから、貸し借りとか、欲しいアルバムあるから半分出してと言われる間柄でした。
僕は漫画禁止な家で、ドラえもんからはじめて親と交渉し、まずはコロコロコミックスを読めるようにしました。父が一度だけ、大学生協で取り寄せてくれたこともあります。こうして、少しずつジャンプコミックスも読めるように努力しました。ドラゴンボールもシティーハンターも。
ヤツは、物心ついたら僕の部屋に漫画あるので、「貸してね」と読んでおり、漫画禁止時代を知らない漫画ネイティブなのです。第一子あるあるかもしれませんね。
僕とまじめさのベクトルが違うので、わりとちゃっかりしてる面もありました。
口をきかない時期もあった
母子家庭で協力して暮らしているので、大学を出て共に協力するのではなく、メンタルを壊したことをすぐには理解出来ませんでした。責めたりしないけど、どう接していいか分からなかった。マンションではなく、戸建ての木造家屋で、お手洗いも1階・2階に一つずつあるし、お互いの生活するスペースを調整することと、僕が都心でハードワークしていたので、食事・入浴・睡眠・着替えに帰っており、物理的に家にいる時間も少なかったです。
時間をかけて、自分の家族に何が起きたのか向き合いました。あの頃、交流のあった10歳上の読書仲間からは、よく叱られていました。分かろうとしろと。偏見を持っているつもりも、憎悪も無いけれど、僕の中の暗黙の前提を自覚出来なかったのでしょう。つまり、私の無知と偏見です。
それを自覚し、心から謝り、また家族になりました。だめな兄を、許してくれる家族でした。
この頃、母は、状況が分かるので、家の中で安心出来るよう、調整や通訳、彼女の言葉にすると「交通整理」をしてくれていました。
足が湾曲するほどの負荷
この、我が家の第二子の発症は2003年のこと。もう22年前で、母は56歳でした。僕は都心で勤めがある。晩婚の母は、やっと子育てが終わると安心していました。父の生前から彼とのコミュニュケーションで苦労し、父の療養を6年支え、その後は、当時小6の僕と小2の第二子を一人で子育てしました。長く重い責任がやっと果たせる。
ところが、4学年下のきょうだいは時限爆弾を持って生まれたようなもので、病に倒れました。
子どもにとって最悪の事態だと、母は泣いたと聞いています。
けど切り替えて、障害が重く入退院が多いきょうだいのために、見舞いだけでなく、重い洗濯物を届け続け、14年の間に年を取り足が曲がるほどでも、きょうだいを支え続けました。
母を尊敬するし、成人しても出来る限り親が自助で支えることは、社会の制度設計として無理があると感じています。ここは、何かあれば社会が支える仕組みにするか、民間で保険を用意すると、これから子育てする方々の不安を減らせるから、少子化対策(安心して親になる意味)になるかもしれません。僕らは、無限に責任は負えない。
遺伝と環境の他もあるかも
我が家の場合、僕が生まれて、父方の伯父のことが、露呈しました。父が「喘息」と説明しており、結婚前に遺伝のことも話し合ったのに父が言わなかった・言えなかったという事態でした。
その後、夫婦で医療機関などで相談し調べたため、私ときょうだいの間は5年近く(学年は4年)離れています。当時、分からないということでした。
遺伝か環境か。個人的には両方だと思う。
ストレス脆弱性は過敏さ・敏感さでもあるから、例えばコールセンター時代に、同僚は怒らせてしまうけれど、なぜ気が付かずに刺激するのだろうと感じることはありました。新人研修やメールの指導は自社の方針を教わることが中心で、お客様への話し方は最初の電話のモニタニングでOK出たので(重いクレームに出て対応出来たから)、とくに教わっていません。だからホスピタリティの本などを通勤電車で読み、お客様に接して場数を踏むことで、お客様に育てていただきました。
20代の若者として読書量が多かったことは有利ですが、過敏さは生まれ持ったものです。僕は、亡くしたきょうだいと比較すると、凡人です。
サンプル数が少なすぎるけれど、父の兄と私のきょうだいは将来を期待される能力でした。例えば、僕も中学英語は教科書を音読して暗唱しましたが、きょうだいは高校英語も暗記するのが苦にならず、いわゆる映像記憶みたいなタイプです。母と私で、進学校に通うきょうだいの、学び方に驚いたものです。記憶力が高いから、大学時代は第二外国語を楽しそうに学んでいました。父は社会的地位もありました。研究者として悔いはあるでしょうけど、彼の指導教授に認められ、愛弟子として可愛がってもらえたことは、父にとって幸運でした。友人や知人で経歴や資格など能力が高い当事者も知っています。
こうしたことから、何らかの能力の高さとストレス脆弱性は相関するかもしれないと、仮定しています。発症したら管理すればいいし、発症していなくて過敏さやストレスに弱い傾向があるのなら無理をしないことがいいと思う。
まとめ
花瓶は落とせば割れるけど、落としてみないと割れ方は分からないのと同じで、人間もストレスや過労は命に関わるけれど、どう壊れるかは分からないから。
バラク・オバマ元大統領の選ぶ年間ベストブックとして知り、読むのに勇気がいったけれど、読んで良かったです。国と文化は違うし、病気の症状の出方も個人差が大きいです。
自分たちの家族に何が起きたのか、知ろうとするお気持ちに打たれますし、こうして本にまとめられたことは、公共への貢献としても尊敬します。
オバマさんが読んで勧めて下さる、ということは、近親者で、伯父ときょうだいが苦しんだ病だから、感謝も抱くし、人としての温かみを感じました。
何が言いたいかというと、うちのきょうだいは歴史に残ることは無いし、療養し苦しむことを通して人として成熟していきました。私が探した牧師から教えを受けてクリスチャンになり、先に教会のお墓に埋葬されるって、お前はちゃっかりしたヤツだな、と苦笑いしています。
上手く言えないけど、能力が高いから、お給料がいいから、愛するわけではなく、信頼できて共に食事をしたいか否か、笑いのツボはどうかといった文化を共有出来るかが、私にとっての家族観です。
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