ピントが合わないカメラ

その桜の木は大きく幹は太く、枝も幼稚園児が2・3人座っても微動だにしない、けれど風には揺られてゆっくりとリズムを刻んでいた。

今日は3月1日、公園の河津桜が春になったか気温を確かめるかのようにパラパラと少しだけ咲き始めている。Instagramで眺める桜は、構図も鮮やかさも素晴らしい反面、香りはしない。スマホから顔を上げる。花弁が団地の向こうで、静かな溶けない雪を降らす。花の散る音は聞こえない。風は、ゆるやかなリズムを木々に与えている。

幼稚園時代を思い出そうとすると、なぜか一番取り出しやすい手前にあるのが、この枝だ。花見とか日本の伝統もまだよく分からない頃だから、乗って触って感じた。

枝から幼稚園の庭を見ると、向かって右はプール。今は、シーズンではないので少し汚れて見える。全体的にオリーブグリーンでグラデーションしている。逆は、門と飼育小屋がある。鶏とうさぎだった記憶があるが、他の動物もいたかもしれない。少し獣くさく、アンモニア臭がする。鶏は活発に小屋の中を歩き餌をついばみ、うさぎは数匹で小屋の角に固まって団子になって休んでいた。

正面は1980年代当時、新築ではないため、1970年代のデザインであろうパステルホワイトで煉瓦色の屋根の二階建ての幼稚園が、平べったいサンドイッチみたいに桜の木と正対している。

あの頃は何も分からなかった。怖いことは少なく、不思議なことは尽きなかった。

ある日、友達と遊ぶ約束をしたが、まだ4歳くらいの頃だから、その子が約束を忘れてしまったことが一度だけあった。親に電話で確認してもらい、約束は白紙になった。けれど、また翌日桜の木に登った。

桜の木が特に好きだったわけではない。ただ、黒くゴツゴツしたかりんとうみたいな樹皮は、幼い我々の手足にちょうどよく、木登りのための確かな足場だった。

そこがなぜ我々の特等席なのか、まだ言葉にできなかった。なら、今言葉にするだろうか。言葉は分析を伴うから、あの枝がなぜ我々を惹きつけたのかを言葉にするとこぼれ落ちるし、記憶が上書きされてしまう。なら、言葉にしないことがあっても、一つくらい許されるだろう。

40年の月日は、仲の良かった友達の顔さえ、虫食いのような、あるいはどうしても解けないジグソーパズルと似て、浮遊感のある溶けるような質感がある。まして、名前を覚えているのは同じ小学校に通った子達だから、隣の学区の友達の記憶は薄い。

思い出せないけれど、お泊まり会が楽しくてなかなか寝付けなかったこと、卒園式にスーツで来てくれたそれぞれの保護者達、園の中をトイレの帰りに探検してお昼のお弁当が搬入される工程を見上げたことなど、確かにあの日、あの場所に居た。友達も先生も怖いお爺さん理事長も、ピントが合わないカメラみたいに、記憶のレンズの向こうに居る。時系列ではなく、印象に残ったことほど、思い出しやすいようだ。

時に洗われて風化に耐えた、輪郭を失った記憶のかけらの一つ一つが、私の人生を温めてくれた。大きな川の下流の丸い石と似ている。

あの桜の木も代替わりし、風に揺られてゆっくりとあの頃と同じリズムを刻んでいるだろう。逞しい枝に子ども達を軽々と乗せ、永遠に夢現なあの頃の誰かの揺るぎない船として、優しい桜餅の香りと共に。風化に耐える「何か」を探しに。


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三澤直己 | カラストラガラ / Trgr | フォロバ100% ここまでお読み下さり感謝。各種SNSでのシェアも励みになります。非営利の取り組みが多いため、チップのご検討、助かります。