早稲田 文化構想学部 私立専願にしたのは半分は数学からの逃げ、半分は自分探しのため【87人目】
北海道から早稲田大学に合格されたsatoyuさん、今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

それまでは特別支援の先生方面になろうと考えていたので、東北大学の教育学部か筑波大学の障害科学類に行こうと考えていました。しかしだんだんと「弟の姉」としての人生しか歩めないのではないかと思い、関心が薄れていきました。そうとは知らない母は彼女のツテや進路に対して期待をかけてくることが多く、高2の冬に「あなたの夢を押し付けないで!」と自分の考えていることを吐露することができました。私立専願にしたのは半分は数学からの逃げ、半分は自分探しのためでした。
と語るその教育答え合わせに迫ります。
1.回答者略歴
Q:お名前を教えて下さい。
satoyu
Q:年代を教えて下さい。
30代
Q:性別を教えて下さい。
女性
Q:ご出身地を教えて下さい。
北海道
Q:最終学歴を教えて下さい。
早稲田大学 文化構想学部
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
公立小→(中学受験)国立中→(高校受験)公立高→(現役)大学
Q:ざっくりのご職業・業界を教えて下さい。
会社員(フルタイム)
Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
真面目で曲がったことが嫌い。地味すぎず社交的すぎず
<学習スタイル>
Q:ご自身の学習スタイルについて、以下の観点でお答えください。
①一夜漬け(衝動的)or しっかり準備する(計画的)
一夜漬け(衝動的):その時の気分でガッと進めるので勉強する時とそうでない時の波が激しいです。
②気になる(几帳面)or気にならない(アバウト)
気にならない(アバウト):定期テストに関しては3日漬けのためアバウト。試験の日まではナーバスなものの、当日の朝には当たって砕けろ精神になります。
③気にならない(楽観的)or 気になる(悲観的)
気になる(悲観的):基本ネガティブで、最悪な想像を考えすぎて予想よりもましだったという状況を作り出そうとしていました。
④別解や理論の背景を調べるor 別解や理論の背景は気にしない
別解や理論の背景を調べる:調べすぎてドツボにはまるので、行き過ぎたらストップをかける時もあります。
⑤終わらせた(完遂)or途中まで(飽き性)
途中まで(飽き性):だいたい最初の数ページで終わります。ただ、それぞれの教科で核にしている教材はありました。
⑥宅浪できた(自律的)or宅浪は無理(他律的)
宅浪は無理(他律的):中学の頃から完全に塾頼りだったため、志望校に落ちたら滑り止めを選んでいたと思います。
⑦夜型or朝型
夜型:朝起きるのは得意ではないです。ただ、夜も塾から帰ってきてからは寝るだけでした。育休中には早起き勉強していた時期もあります。
<学習資質>
Q:学生時代のご自身の学習資質をクラスメートと比較し、相対評価5段階でお書き下さい(5が最良)。

Q.理解力:地頭、要領は良かったですか? 頭の回転は速かったですか?
→4
授業がつまらないと思えばすぐに教科書の先読みをしたり単語暗記をしたり、その時間内を(私の中では)有効に使っていました。定期テストは数日勉強すれば上位の点数を取れました。数的センスはないです。
Q.暗記力:生物や社会など暗記科目は得意でしたか?
→5
丸暗記や暗唱はまったくできないものの、ひとつの事柄から関連付けて芋づる式に思い出すことには長けていると思います。
Q.勉強時間:トータルの勉強時間は人より多かったと思いますか?
→3
難関大受験生としてはたいして多くないと思います。高2の頃から平日は22時まで塾の自習室、休日6~7時間くらいです。
Q.進路意欲:〇〇大学に行きたい、〇〇になりたいという気持ちは強かったですか?
→4
父親が早稲田大学出身のため、少なくてもGMARCHか関関同立以上には行きたかったです。勝手に闘争心を燃やしていました。
Q.競争心:勉強で人に負けたくないという気持ちは強かったですか?
→5
中学校で地方のエリート層に囲まれたため、必然的に競争主義の渦に巻き込まれました。中学の頃は定期テストの点数で競い合っていました。
Q.外部因子:家族や友人、学校や塾からの影響は大きかったですか?
→5
友人と塾の環境が大きかったです。北海道には文系大学が限られるため「文系なら東京の私大を受けた方が良い」という流れができていました。
Q.体力・健康:長時間勉強できるスタミナ、体力はありましたか? 長時間勉強しても風邪を引かない健康な体でしたか?
→2
かなりマイナス思考が強く、高2から精神的に体調を崩すことはありました。引退後の運動部勢の追い上げにビクビクしていました。
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
①親が無意識に行っていることが、結果的に基礎学力につながりました。勉強に関してはまったく口を出されていません。
②中受できる学校が限られる地域のため、周りの勉強へのやる気はほぼなし。
③その地域の中ではエリート層の集まる学校だったため、順位への執念が芽生えました。6割が同じ地域の進学校へ行くので、すでに競争相手が固定されていました。
④特に環境に左右される子であれば、受験の意識が高い生徒の集まる学校にいた方が勉強しやすいと思います。自分で切り拓けるタイプだとこだわる必要はないと感じます。
2.保護者の教育スタンス(配点30点)
Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。

Q:お母様の教育方針は、どのようなものでしたか?それは学力醸成にどう影響しましたか?
ひとつ下の弟に重度知的障害があるため、弟のフォローと療育で忙しくしていました。一緒に遊んでもらった記憶はほとんどありません。ただ、外へ連れて行ってもらったり、友達とたくさん遊べるようにしてくれました。
テストや模試の点数に関しては無関心。ただ、私が小4の頃に「養護学校(特別支援)の先生になりたい」と言ったことで将来の夢に関して託そうとするものが多く、高2の終わりにかなりぶつかりました。志望校はその反動で選んだところがあります。
Q:お父様の教育方針は、どのようなものでしたか?それは学力醸成にどう影響しましたか?
仕事人間のため家にいる時間は少なく、完全に放任主義でした。
浪人で予備校に行くまで外部で勉強したことのない苦労人だったため、教育費はしっかりかけたい母親に反対することはありませんでした。
Q:祖父母や親族は、貴方の教育あるいは学力に影響を与えましたか?それは学力醸成にどう影響しましたか?
母方の祖父母は私が小さい頃に亡くなりました。父方の祖父母は車で通える距離に住んでいましたが、祖父は無関心、祖母は小学校卒業からひたすら働いていた苦労人。勉強のことについてとやかく言われることはありませんでした。
Q:ご兄弟(姉妹)と教育方針に違いはありましたか?それは学力醸成にどう影響しましたか?
弟は最重度の知的障害(オウム返しもできず、絵カードなどで意思疎通)。
ただ、母が弟を地域の中で育てられるように相当苦心しており、「辛抱強さ」「努力の大切さ」などは母の背中から学んだかもしれません。
また、小さな頃から弟の面倒を任されてきたことによって、観察力や全体を俯瞰して見る力がついたと思います。
Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
①旅好き
手のかかる弟がいるのに、頻繁に近場の旅行や年1回は飛行機に乗る距離の国内旅行をしていました。外のアスレチックにもよく行っていました。
アスレチックについては、まずは受験に体力が肝心なのと、脳と心は繋がっているなぁと大人になるにつれて感じます。
そして動きを通して身体感覚が身につき、その時の感情の言語化や動かし方など、非認知能力として国語や理科などにも関わっていると思っています。
②言葉遣い
下品な言葉は言語道断。少しでも用法や表現が違えば父からも母からも直されました。(母は家庭環境さえよければもっと学歴の高い大学へ行っていたはずです)
③テレビを見ながらの会話
NHKやニュースステーション(現:報道ステーション)を見ながら政治の愚痴や社会関係について話すのが父母の日課になっていました。また、父が歴史好きなため、大河ドラマを見ながら人物について解説してもらっていました。
Q:親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

Q:上記の減点(もしくは満点たる)のポイントを教えて下さい。
模試でどんなに点数がよくても「ふーん、良かったね」というスタンスだったので、プレッシャーはありませんでしたがもう少し気にかけてほしかったです。
Q:それは両親ともにですか?お父様とお母様とで意味合いが違うかなと思いお聞きする次第です。(早稲田卒のお父様を意識されてたのか、など)
両親ともにです。私が勝手に父に対抗心を抱いていただけで、父からは本当に何も言われたことがありません。
ただ、父の中では「私が現役で早稲田に行けたのは小さいうちから課金されているからだ(自分は何も教育に金かけてもらっていない)」という意識があったと社会人になってから母から聞きました。
3.~小学校時代※小学受験含む(配点10点)
Q:小学受験はしましたか?
していません。4~8歳まで横浜に住んでいましたが、数年以内に北海道に戻ることが決まっていたので選択肢にもなかったです。
Q:毎日学校以外でどれくらい勉強していましたか?(年間の平均値で算出してください。)

【低学年】
小1の頃にくり上がり・くり下がりの計算ができず、冬休みに泣きながらワークを解かされました。それ以外に勉強した記憶がありません。学研のワークは取っていましたがおまけの冊子ばかり読んでいました。
【高学年】
小6で塾に行くまでは学校の宿題のみ。塾に行ってからも基本はその宿題のみ。
Q:各科目の成績について、クラスあるいは学年の中での相対評価を回答して下さい(5が最良)


全体:小2の頃は、勉強なしで小受を経験した生徒よりもテストの点数は良かったです。基本100点でたまにケアレスミス。
国語:本をたくさん読んでいたか学校で練習する以外で漢字を勉強したことはありません。音読も得意でした。
算数:小1でくり上がりの計算、小3で時計の計算につまづいた以外は公立学校のテストであれば問題ありませんでした。しかし、数字は好きではありませんでした。
理科:無難にできました。ただ、関心は薄かったです。
社会:無難にできました。授業が暇で教科書の他のページを繰り返し読んでいたのが結果的に知識定着につながった気がします。
Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?

Q:勉強のモチベーションはどう生まれていましたか?
知的好奇心が強かったですが、「あなたは優秀だから」と言われ続けていたのが後にプレッシャーとなっていきました。
Q:学校の先生や友達、塾の存在は勉強にどう作用・影響しましたか?
学習習慣のないクラスメート達を見て逆に焦っていました。塾へ行くと市内では勉強に力を入れている層が集まっていたので楽しく過ごせました。
Q:面白いですね。僕には上記2文が(いい意味で)奇異に感じました。両文の詳細をお聞きしたいです。
・都会の人は中受で長時間勉強しているのにクラスメートまるでその意識がない。田舎にいてはまずいかもしれない。
・小学校の勉強も簡単だったので、塾に行ったら多少難しい問題にも出会えるし、同じレベルで話せる相手がいてよかったです。
Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:上の中で学業に関わる習い事を始めたきっかけを教えて下さい。
英語:横浜に引っ越した4歳の頃に、たまたま訪問販売で来た英語の体験で「これがやりたい」と訴えたそうです。上記の習い事の中で、これだけは自発的に始めました。引越しのため、小2でやめました。
そろばん:近くのお友達と一緒に送迎もしてもらえるので、完全に学童代わりに通わされました。母としては計算力を伸ばしてほしかったそうです。
Q:習い事の学業成績への影響の分析をお願いします。
英語:フォニックス(文字の読み方)をしっかり教えてくれる教室で、発音の良さやハロウィンなどの海外の文化に触れるきっかけになりました。フレーズを覚えるまでには至らなかったので、引っ越しがなければもっと続けたかったです。
そろばん:基本的な計算力は身に付きました。2年でそろばん2級くらいだったかと思います。当時は筆算しなくても多少の暗算はできました。
Q:小学校までの読書について教えて下さい。

Q:活字との関り方(媒体、頻度、量)について教えて下さい。
小さい時から図書館は好きで、「天才えりちゃん」「かいけつゾロリ」「わたしのママは魔女」シリーズを読んでいました。小3からは図書館に月2~3回通い、赤毛のアンやレ・ミゼラブルなどの名作ものを毎回10冊ほど借りていました。小4でハリーポッターに出会い、1~3巻までは空き時間すべて充てて1日で読破していました。毎日1章は読んで場面を空想しており、その頃「ハリー・ポッター選手権」があればいい線いっていたと思います。
Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
・小4から「週休2日制」が始まりました。2個下の友達は2桁×2桁までの筆算しかやっておらず、このまま学校に任せていたら馬鹿になると思っていました。
・横浜の友達が小4までに何人も日能研に通いはじめ、高学年には休日7時間勉強していると言っていました。こんな田舎で1位になったところで意味がないと焦りを感じました。
Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

とにかく本ばかり読んでいたので学習的なことはあまりしていませんが、逆に自分で色々な知識を得る時間があったのかもしれません。科学的な問いを立てたり、観察や実験ができる環境にあれば良かったと思います。
4.中学時代※中学受験含む(配点20点)
Q:私立の中学受験は考えましたか?
国立の附属中学校を受検しました。選択肢がその地域ではほとんどありませんでした。
Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)


(公立ルートの方のみ)中学校の頃の内申点の平均を教えて下さい。

全体:基本学年10位以内、平均90点以上。吹奏楽部→塾で家にいる時間は少なかったです。宿題はバスの中か休み時間で終わらせていました。
英語:問題なくやっていましたが、小6でカタカナ英語、中学校で文法訳読を覚えてしまい、大学以降の英語力への足かせになりました。
国語:現代文の点数が安定しないことはありましたがずっと上位にはいました。中3で1週間ほど勉強して漢検2級を取得しました。
数学:中2の前期に一度4がつきましたが後期で5に上がりました。唯一70点台を取っていました。
理科:電気や物体の動きなどの物理分野で苦手意識を持っていました。塾で先取りするので、学校の問題はさほど難なく解いていました。
社会:歴史はほぼ満点でした。地理はそこまで好きではありませんでした。
Q:勉強のモチベーションはどう生まれていましたか?
学年順位が10番以内の中で競争があり、その中で負けたくないという意識はありました。ただ、塾頼りで家ではあまり勉強していません。
Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?

Q:学校の先生や友達、塾の存在は勉強にどう作用・影響しましたか?
塾の一番上のコースにいたので必然的に競争意識が働いていました。塾内での市内順位が貼りだされた際、1番でなければ素直に悔しかったです。
テストのたびに学校で「お前、今回何点だった?」と聞かれるので点数を気にしない方が難しかったと思います。
中学校はゆとり教育まっさかりでしたが、修学の計画を2カ月かけて考えたり発表や実験の機会が多かったり、いわゆる「良いゆとり教育」が受けられた気がします。基礎学力は塾が担保してくれていたので、期せずしてバランスが非常に良かったです。
Q:中学校時の勉強時間を教えて下さい。

Q:どう勉強をしていましたか?
家ではダラけて勉強できないので、学校の授業と週2~3の塾の授業を集中して受けていました。知っている内容であれば他のページを覗いたり宿題を先に終わらせたりして、知らない内容の時は自分の中で納得できる説明ができるまで考えました。宿題はバスの中でやることが多く、いかに字をガタガタにしないかに力を注ぎました。
習う内容も少なかったためか、学校の授業と塾の授業をしっかり聞いて直前に対策プリントを解いたりノートを読み直していれば点数は取れました。
Q:中学時代の習い事について教えて下さい。

Q:習い事の学業成績への影響面について教えて下さい。
ピアノは「辞める」と言えなくてズルズル続けており、先生もそれを承知で鑑賞の時間も多く取ってくれました。情操教育にはなった気がします。
習字も高校受験という名目で辞めるまでなんとなくやっていました。毛筆・硬筆ともに5段まではいったので、綺麗に見える字は書けるようになりました。
吹奏楽は拘束が長めの部活なので、学習時間の確保は難しくなるものの集中力や努力、周りとの関係調整などの非認知能力向上には役立ったと思います。
Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
地元の1番手の高校が理数に強い学校だったのですが、どう考えても文系教科への関心の方が強かったのでそのまま進学するのが嫌でした。札幌の私立高校も受けましたが、両親から「授業料や寮のお金がかかるので大学は国公立しか行かせられない」と言われました。将来の可能性を考えて地元の進学校を選びました。
Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

競争がなければ勉強する張り合いもなかったと思いますが、大学以降の長期的な学びを考えれば塾ではなく自分で自律して学習できる習慣を付けた方が良かったです。
5.高校時代※大学入試含む(配点40点)
Q:高校受験は考えましたか?
市内の公立一番手校と、札幌の私立の進学校を受検しました。
Q: 高校の一学年あたりの生徒数を教えて下さい。加えて、在籍当時の東大京大および国立公立医学科の進学者数を教えて下さい(概算で構いません)
当時1学年7クラス(280人)。東大京大は2~3年に1人、早慶は5人前後かと思います。北海道大学を目指す生徒が多いですが現役で受かるのは10~20名くらいでした
Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)


全体:高2の春に塾に自習室ができてからは平日22時まで居残り勉強をしていました。定期テストよりも模試を重視していました。授業で少しでも暇になると電子辞書で英単語や古文単語のテストをしたり、教科書の先読みをしていました。高2冬までは国立狙いだったものの、数学がネックで3科目受験に切り替えました。
英語:塾で文法問題に関して高1のうちに叩き込まれていたので知識問題は取れました。偏差値は60~65程度だったと思います。長文や英作文には苦手意識がありました。高2で英検2級に落ちて高3で取り直したので、とても得意だった訳ではありません。
国語:古文・漢文は知識がついた後はそれなりに取れました。現代文の上がり下がりが大きく、高2の冬に東進の出口先生の授業とテキストを3カ月くらいやっていたら安定してきました。偏差値は英語と同様です。
数学:塾の授業を受けて必死に4STEPという参考書を解いていましたが、理論がわからないとやる気がおきないのと、途中計算がガタガタすぎてケアレスミスが続き、他の教科に比べて偏差値が10くらい低かったです。数列でまったく意味がわからなくなり、損切りした方が良い大学に行けると高2の冬に諦めました。
理科:当時の理科総合Bという授業で物理とは絶対にお友達になれないと拒否し、以後生物のみを勉強しました。虫が嫌いすぎて遺伝のショウジョウバエの見開き拡大写真のページにはのりを貼って見えなくしたほど。遺伝以外の成績は授業とワークだけで安定していました。
社会:世界史と日本史で悩みましたが、地理があまり好きではないので時代で国境が変わるのは厳しいと思い、日本史にしました。しかし日本史の似たような名前の響きに苦戦しました。色んな参考書を読みまくり、ごはんを食べるときには授業のプリントを見ながら知識を確認するなどの地道な努力で高2までの模試は偏差値70以上、センターの問題も90点以上で安定していました。4択の推測問題が得意だったので、一問一答の書かせるタイプや記述試験などは苦手でした。
Q:高校の教育環境についてはどう考えていますか?

Q:学校の先生や友達、塾の存在は勉強にどう作用・影響しましたか?
学校では知識詰込み型の先生が多かったです。進学校といっても定員割れした年だったので、早慶を目指す生徒から専門学校すら怪しい生徒もいて、先生方もやりづらかったと思います。クラスメートは3年生の部活引退後から焦る人が多かったので、中学校の頃の点数を競い合っていたメンバーと中心につるんでいました。
Q:高校時の勉強時間を教えて下さい。

Q:どう勉強をしていましたか?
数・英は対面の塾に通っていました。3科目受験に切り替えてからは東進で現代文1講座と日本史の早慶対策講習をいくつかだけ取り、ひたすら自習室に居座っていたのでパックで契約している人たちに比べてコスパは良かったです。高3にZ会の難関→早慶対策の通信教材を取りました。その他の教科は学校の教材のみです。
Q:高校時代の習い事について教えて下さい。

Q:習い事の学業成績への影響面について教えて下さい。
部活は学校の講習や塾を優先できるということで選びました。旧帝大や早慶、医学部に進む先輩が多く、休憩時間にアドバイスをもらっていました。
地元の塾はとても親切にしてもらったのですが、「受験」に目が向きすぎてその後使える知識には結びつきづらかったと思います。
私の場合は東進の方が倍速や何度も巻き戻して解説を聞くことができたので、「知識を覚える」というだけであれば合っていました。ただし初めから東進に通っている生徒は年間パックで年間50万近くの講座を組まされており、消化するのに精一杯になっていて有効に使えているとは思えなかったです。
Z会は知的好奇心をくすぐる問題が多く、行きたい学部の学生生活レポートなどももらえて励みになりました。難点は添削が返ってくるまで時間がかかることで、今の時代はAIがあるので最適解とはいえなくなっているかもしれません。
Q:高校時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
①母との衝突
それまでは特別支援の先生方面になろうと考えていたので、東北大学の教育学部か筑波大学の障害科学類に行こうと考えていました。しかしだんだんと「弟の姉」としての人生しか歩めないのではないかと思い、関心が薄れていきました。そうとは知らない母は彼女のツテや進路に対して期待をかけてくることが多く、高2の冬に「あなたの夢を押し付けないで!」と自分の考えていることを吐露することができました。私立専願にしたのは半分は数学からの逃げ、半分は自分探しのためでした。
②母の病気発症
母が高3の春から咳と筋肉の衰えが続き、検査の結果、膠原病と肺炎を発症していました。状態が悪く、動けない母を見ていると気持ちは勉強どころではありませんでした。塾という逃げ場があって良かったです。夏に2カ月ほど入院し、薬が効いたおかげで現在も闘病を続けながら暮らせています。7科目のプレッシャーがあったら私が潰れていたと思うので、3科目に絞っておいて気持ち的には楽でした。
③担任の先生
高2の冬にプレッシャーから模試中に体調が悪くなり保健室で休んでいました。廊下で「他の人と比べるのではなく、今やっていることを着実にこなしなさい」と言われて肩の荷が少し降りたように感じました。母の体調が悪くて不安な時にも優しい言葉をかけていただきました。
Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

Q:減点(もしくは満点たる)のポイントを教えて下さい。
ここでも塾頼りの勉強をしていたので、自分で計画を立てて終わらせるクセをつけておけばその後に苦労しなかったと思います。負の感情で勉強以外のことには目を向けないようにしていたので、精神的にキツかったです。
Q:今振り返ってやれば良かった事は(習い事や留学、中学受験、塾)?
英語は文法訳読、知識偏重のスタイルが染みついたせいでその後「使える」ものにするのに何年も時間を無駄にしました。勉強に余裕があったのであれば、英語字幕や字幕なしでドラマを見てみたり、(その頃あったかわかりませんが)オンライン英会話などに時間を使いたかったです。
Q:受験された大学と、志望動機、合否を教えて下さい。
〈私立大学〉
第1志望:早稲田大学文化構想学部(合格)
「人文学系の講義が多種多様にあり、自由にカスタマイズできる」というところから自分探しにピッタリだと思ったため。現古漢問題や日本史の資料問題など、クセのある問題に対応できたのがよかったです。
第2志望:早稲田大学教育学部(不合格)
教育方面も捨てがたいと思っていたため。手ごたえはありましたが落ちました。
第3志望:早稲田大学文学部(不合格)
文化構想学部の前身だから。歯が立ちませんでした。
第4志望:立命館大学文学部(合格)
札幌でも受験が受けられたので、金銭面と移動面でメリットがあり、前哨戦として受験しました。
第5志望:明治大学文学部(合格)
早稲田の受験日の間にあったため。
Q:ずばり難関大学に合格した最大のポイントは何だと思いますか?
自分の学習資質。(当時は)記述問題が少なく、4択や史料から推測するのが得意な私には得点しやすかったです。国語・英語・日本史という得意教科に絞って受験をすることができたのが救いでした。
Q:難関大学に合格した事は、入学後の貴方の人生にどう影響していますか?
【学生時代】
半数が指定校と内部進学で、さまざまな人がいました。ただ、できる人はサークルやアルバイト漬けでも短時間で好成績を上げ、力の違いを見せつけられました。今まで「優等生」といわれてきた核がなくなり、やりたいことも見つからず、なんとなく楽そうな単位をとって過ごしていました。本当の意味で「モラトリアム」生活でした。
【社会人】
家庭で家事などを教わらず、計画性がなかったり事務作業をこなすのが苦手なので「学歴はあるのに仕事ができない」と取られ、逆学歴コンプレックスでした。しかし時が経つにつれ、その時の学びから派生して物事を深く見たり俯瞰したりすることができることに気づき、今では誇りに思っています。
Q:ご自身の子供にはどんな教育方針を立てようと考えますか?
とにかく遊びの中から気付きを作ることを意識しています。子どもからの質問にわかりやすく答えたり、逆に「それってどういうことだと思う?」と聞き返したりしてみています。また、私の英語の学び直しからおうち英語に手を出しており、そこで学んだことを英語の動画で確認することもあります。基本的に本人たちがやりたくないことは一旦置いて時期が来たらやろうと思っていますが、どこかで歯を食いしばって向かっていく経験も必要だろうな、とは考えています。
Q:答え合わせを終えてのご感想をご自由にどうぞ。
他の方の体験記を読んでいて覚悟していたのですが、思いのほか長かった… でも自分の学習状況を振り返る機会があってよかったです。
ちょっと余談

Q:学生時代に恋人がいた場合、恋人の存在は、勉強にプラスでしたか? マイナスでしたか?
高校時代に付き合っている人はいましたが、塾がデート場所でした。自分のペースでコツコツ勉強できる人だったので、必然的に塾に足が向かいました。
Q:学生時代、片思いの人はいましたか? 片思いは、勉強にプラスでしたか? マイナスでしたか?
上記と同一人物でした。片思いのモヤモヤが続くのであれば、早く告白してしまえばよかったと思っています。
Q:BIG5の性格診断を実施し、診断結果を教えて頂けませんか?

6.採点後面談
どうも#1のカラシカシです。
僕は「もっと早く塾に入ってればよかった」という後悔があり、satoyuさんは「早くから塾に依存し過ぎた」という反省をしており、この点振り返っての評価が真逆だったので非常に面白いなと。
実は、僕はこの自分の反省を知人・友人に話した時に「勉強法を暗中模索した経験値があるから、良くも悪くも今のお前の『まずは自分なりに考える』の個性があるのでは?」と言われたことがあって…学力の醸成・学歴の早期獲得という意味では遠回りでしたが、個性の確立という意味では良かったのかな??とも。どうなんでしょうね??まだあまり納得感のない意見ですが…
皆さんの感想も是非教えて下さい!
satoyuさん試験期間中お忙しい中、ひたすらに誠実で丁寧な答え合わせ本当にありがとうございました。

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