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エッセイ『極彩色の衝動』 Part.1 『HELLSING』について

 中学生になりたての頃だった。親に言われて学習塾に通うことになった私は、毎週金曜日の放課後、せっせと塾の自習室で漫画を読み耽っていた。学習なんてほとんどしてなかった。親が見つけてきたこの塾は講師陣にまったくやる気がなく、私や他の受講生は行く度に十分な自由時間を与えられていたのである。いわゆる普通の学習塾に通っていた方々からすればこれはひどい詐欺のように思われるかもしれないが、私の住んでいた地域はなかなかの僻地で誰しも学習への知識や意欲が低かったため、個人経営の塾であればフリーダムな環境になってしまうことが当たり前だったのだ。まあ勉強嫌いの我々にとってこれは大変好都合だったので、彼らの職務怠慢について両親に告げ口する者は誰一人いなかった。

 自習室の本棚には諸先輩方が置いていった様々な漫画が陳列されていたので、当時携帯電話も持っていなかった我々は基本的にここで時間を潰していた。麗しの先輩方、今思えば彼らの漫画センスはなかなか謎に満ちたものだった。『はだしのゲン』、『カムイ外伝』(カムイ伝はなぜかなかった)、『火の鳥』、『多重人格探偵サイコ』、『ジョジョの奇妙な冒険』、『魁!!男塾』、『ギャラリーフェイク』、『おるちゅばんエビちゅ』などが雑多に並ぶ本棚には統一性の欠片もなく、まさにカオスといって差し支えないものだった。しかし、毎度毎度『はだしのゲン』を読んだ後に『おるちゅばんエビちゅ』を手に取っていた友人のことを思い出す度、読む側だった我々もカオスの権化だったのだなあとしみじみ思う。

 私はというと毎回無難に『キン肉マン』を読んでいたのだが、ある日ふといつもと違う漫画を読んでみたいなと思い、何も考えず本棚に手を突っ込み、適当に引き抜いた漫画を読んでみることにした。
 途中の巻からだった為ストーリーはよくわからなかったのだが、そんなことどうでも良くなるレベルで衝撃的な内容だった。クソが、ファック、ファック!、畜生、ああ畜生、こんな汚い言葉が飛び交う中で流血人体欠損食人といったグロテスクな描写が踊り狂う世界、父を殺され母親を死姦された女性警官のトラウマへ読者をダイブさせる悪役、腕をもがれ、両の目を抉られ、自ら流した血の海へ倒れ伏す主人公、まさに彼女が死なんとするその瞬間、西部劇の英雄よろしく満身創痍の状態で登場して彼女の危機を救い、命を落とす好漢、「虫の分際で」と彼を侮辱した悪役にブチ切れ、怒りでもってトラウマを克服し、味方側の傭兵部隊をほぼ皆殺しにした醜悪な悪役の頭を鷲掴みにして壁に思い切り擦り付けずるずると削り取りボロ雑巾さながらの薄っぺらい肉塊にしてしまった主人公、セラスヴィクトリア…。ここまで読んだ私は強すぎる刺激のために気持ち悪くなってしまった。なんなんだこれは、どうしてこんなものが存在できるんだ?当時の私は目まいに苦しみながらそんなことを思った。ようやく脇に産毛が生え始めた頃の私に備わっていた青臭く幼い心のキャパシティを、この恐るべき漫画は軽く超えてしまっていたのだ。結局その日はめまいが治まらず早退した。なんとか家に辿り着いた私は、自らの気分を害した例の漫画を激しく嫌悪し、二度と読むものかと心に固く誓ったのだった。しかし面白いもので、一週間経っていつもの気分を取り戻した私は、性懲りも無くこの漫画を手に取って読んでいたのである。そして、本当はアーカードという無敵の吸血鬼が主人公であることを知り、勉強そっちのけで少佐の伝説的な演説を暗記し始め、講師から「暴力をふるって良いのはバケモノ共と異教徒共だけです」と言われたら「エイメン」と返すようになった。こうして私は、自らの趣味趣向に多大な影響を及ぼすことになった『HELLSIEG』という漫画に全身でのめり込んでいったのだ。

 人間誰しもが抱える矛盾「醜悪な本質と美しく崇高な力強さ」を完璧に捉えたのが
『HELLSING』という漫画だったと思う。「化け物を倒すのはいつだって人間だ」というアーカードの言葉が全てを表している。マトモな感覚の人間では到底扱いきれないであろう野生的かつ強烈な色彩を巧みに使い、深淵な主題を描ききった作品など、世界広しといえどもなかなかお目にかかれるものではない。世間知らずの私が見事に開発されてしまったのも無理のないことだった。
 ヒラコーに(良い意味で)毒されて以降私は、それまで読んでいた漫画や小説で心から満足することができなくなってしまった。もう『ボボボーボ・ボーボボ』を読んで無邪気に笑えなくなっていたし、『怪人二十面相』を読んでドキドキワクワクできなくなっていたのだ。厨二病を発症する年齢に差し掛かった人間に一番見せてはいけない漫画、それが『HELLSING』だ。もしみてしまったなら、もれなくその後の人生において私のように苦しむこととなるだろう。なにせ既に述べた通り、「蝶の様に舞い 蜂の様に死ね!!」とか「虫の人生はこれにて終了〜」なんて言葉が飛び交う作品なんてそうそう見つからないのだ。自宅のネット環境も整っていない上に検索の「け」の字も知らない、雑誌で情報収集する術さえ知らなかった頭の悪い私にできたことは、ひたすらブックオフで立ち読みして根気よく探すことくらいだった。部活終わりや休日を利用して何度も通い詰めたことで、『EDEN』や『攻殻機動隊』のような、これはマジで面白いなぁと思える漫画にたくさん出会えたけれども、結局自分の趣向に100パーセント合致する作品は見つけられなかった。新たに獲得したこの趣向を満たす作品を見つけ出すことは本当に容易でなかったのだ。しかし灯台下暗しというか、探し物は意外にも教室の中にあった。学級文庫の中に含まれていた『阿Q正伝』だ。今になって考えると、魯迅は後に私が中国古典文学や莫言にのめり込むきっかけになっていたと思う。現代日本でも指折りの奇人によって切り開かれた私の感覚は、巨大な大陸を席巻した大作家達が生み出した世界の扉へとゆるやかに導かれていったのである。

To be continued...(気が向いたら書きます)


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