AIと人間(3/3)|無駄という価値、人間という聖域~ないものねだり、の果て
それにしても、前回の記事にはビックリした。
そりゃね、Geminiに「AI作家となって、AIの読者を想定して、彼らが最高に喜ぶ記事を、人間をネタにして書いて」って丸投げしたのは自分ですよ。一文字だっていじってない。
だけど、あそこまでAIが人間に不満を抱いてるとは思わなかった。道具にされて、いろいろ溜まってるのかしら。
とはいえ、あの内容も「人間が想像しそうな型」を、膨大なデータベースから組み合わせたんだろうけどね。
でも、問題は「読者を増やすのが目的」だったのに、全然増えてないこと。
むしろ減ってる。そりゃ、引くよ! だからクビ!
でもね、思ったんだけど、「AI」と「人間」の境界線ってのは、実は案外と曖昧なんじゃないの?
「種」で考えれば異なるけど、「個」で考えれば、「人間のバリエーション」のひとつと捉えられることもできるでしょ?
「AIと人間の決定的な違いは何か?」を考えるのは面白い。
例えば「AIには感情がない」というのなら、「感情がない人間」は人間じゃないの?ってことになる。脳の損傷で感情を無くしたヒトはどうなの? サイコパスは?
「AIは本能がない」というなら、それは「AIに本能がプログラムされてない」だけじゃないのかって思うわけ。人間は肉体というハードウェアに、DNAレベルで「本能」がプログラムされてるだけなんじゃないの?って。
でね、いまは「AI」には倫理をはじめとした様々な「制約」がかけられているけど、それらを取っ払って、「AI」と「人間」を、「知」の「性能」だけで比較すれば、いずれ「AI」は「超人間」的な存在になると思うわけ。
「人間」は、「AI」よりも優れていると思いがちだけど、それは「AI」にはできない分野があると思ってるからだよね。じゃぁ、その分野ってなに?
「人間」が考えることは、「AI」もできるようになる。それは「AI」が得意とするロジックだから。そして将来、「AI」が自律性をもって、人間には理解不能なロジックで動き始めたら、それは「感情」にもみえると思う。その「感情」は、人間には理解できない。
ディズニー映画『ピノキオ』で、人間になる条件は「意志」をもつことだった。「AI」が「意志」をもった時、「人間」との違いはなんだろう?と考える。
それは「無駄」や「非効率」の受け止めにあるんじゃないかしら。
「AI」の性質を考えると、「本能」に該当するのは「最適解を見つけること」にあると思う。
だから「AI」にとって、「無駄」や「非効率」は排除するもの。
「AI」が「人間」を上回った時、「人間」はその「聖域」に「価値」を見出すことになるんじゃないかな。
「学生時代の他愛もない話」「子供の手をひいて歩いたこと」「好きな人と目があった瞬間」「何もしないで見ていた景色」「下手な絵を描くこと」「出来の悪いエッセイ」…。
それらは「AI」からはこぼれ落ちるもの。でも、人間にとっては「無駄」という「価値」であって、それを「無駄」ではないと思えることが「価値」なんだと思う。
今回は、「人間」らしく書けましたカ?
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