その時、歴史が止まった|華のアイドルとチキンなオヤジたちのジグザグ飛行~『オヤジの心に灯った小さな火』
【1分でわかるあらすじ】
普通の会社員だった僕は、地味なおじさん二人組のユニット「藤岡藤巻」の活動に巻き込まれる。オヤジの妄想から生まれたデュエット曲は、奇跡的にトップアイドルとのコラボが決定。ヒット曲の切符を手にしたかと思いきや、彼らは「テレビに出たら家族にバレる」というまさかの理由で、全プロモーションを拒否! 必死に逃げ回るおじさん、神対応で乗り切るアイドル。それを間近で目撃する僕。普通のドラマのセオリー(右肩上がり)を根底から覆す、事実にしか成し得ない『逆ジグザグ飛行』のお話。
これは、後にジブリ映画『崖の上のポニョ』で、本人の意思とは裏腹に国民的歌手になってしまうおじさんたちの、愛おしきチキンパンク前日譚です。
プロローグ
世の中には、面白いのに知られてない話がたくさんある。これはそんな話のひとつだ。
「藤岡藤巻」…と言ったところで、ピンとこないかもしれない。でも、「ぽーにょぽにょ♪」とジブリ映画『崖の上のポニョ』の主題歌を歌っていた可愛らしい女の子の後ろにいた目立たないおじさん二人組といえば、5日前の夕食を思い出すみたいに、ぼんやりと浮かぶ方もおられると思う。
この話は、「藤岡藤巻」がポニョを歌う前に、当時のトップアイドルだった里田まいちゃんと『オヤジの心に灯った小さな火』というデュエットソングを出していたお話です。話題性もあって、カラオケにも入っているのに、ほとんど知られることがなかったこの歌。蓋を開ければ、誰もがそりゃそうだよ!とうなずきたくなるノンフィクションの物語です。
2007年8月、観客でいっぱいになっている渋谷のライブハウス「クアトロ」。曲が終わって拍手を浴びるステージの中央には、バンドを従えた、スーツ姿の2人の地味な中年オヤジが、ステージライトに照らされていた。オヤジの一人が、マイクを握っている。
「では次の曲は『オヤジの心に灯った小さな火』という歌です。里田まいちゃんとのデュエットなので、彼女を大きな拍手でお迎えください。では、里田まいちゃん!」
会場からアイドルを迎える大きな拍手が起こった。
第一章 藤岡藤巻に巻き込まれる
僕はごくふつうの会社員だ。だけど、クラブ活動でもするように、「藤岡藤巻」の二人と毎月のように顔をあわせている。
きっかけは、なんでもないことだった。その昔、ヘンな放送禁止の歌ばかりを歌っていた「まりちゃんズ」という3人組のバンドがあったんだ。今ならきっと、コンプライアンスの方が逃げ出してる。何しろデビュー曲のタイトルが『ブスにはブスの生き方がある』だからね。
世間では「下品だ」「ひどい歌だ」と笑われていたコミックバンドだったけど、僕は、ウケればいいという突き抜けた面白さがパンクのレベルにまで達した本物だと思っていたから、そのことをブログに書いたんだよ。バンドが解散してから、もう随分と経っていた頃のことだった。そもそも僕が彼らを知ったのも解散してからだしね。
そしたら元メンバーの藤岡さんから「ブログを読みました。はじめて褒められました」ってメールをもらったんだ。もちろん、ホントに本物なのかなって半信半疑だった。だって、そんな人いる?
で、すぐに顔をあわせることになった。場所は、渋谷の路地裏にある大衆居酒屋。怪しい人だったら、すぐ逃げられるようにと、店に入ったらまず非常口を確認したよ。奥の座敷のテーブルに藤岡さんと、同じく元メンバーの藤巻さんがいた。そして、いざ会ってみたらすぐにバカ話で盛り上がったんだ。それが2004年の暮れのこと。
二人は小学校からの同級生で、藤岡さんは元大手レコード会社の音楽プロデューサー、藤巻さんは大手広告代理店という裏方のプロ。いわゆる業界の人だから、なんか偉ぶってるんだろうなって勝手にイメージしてた。でも、初めて会った時から二人にはそんなところがまるでなくて、随分と年下の僕にも同級生みたいに接してくれた。
ケイ「業界のひとって、もっと上から目線かと思ってました」
藤巻「なんで? でもさ、オレたちが20代の頃、まりちゃんズをやってた時は、周囲の大人たちがみんなすごく偉そうだったんだよね。上から目線で、ホントにイヤな感じでさ。で、『あんな風には絶対になるものか』って思ったんだよ」
藤岡「そうそう! そしたら、その気持ちが強すぎて、逆にどんどん卑屈になってっちゃったんだよね」
藤巻「逆の方向に行き過ぎたよ。なんにでも妥協するよ」
それはそれでどうなの?って思った。サラリーマンの処世術じゃん。どんな業界でもサラリーマンは変わらない。
藤巻「この前、”まりちゃんズ”を解散してから、何十年ぶりかではじめてライブをやったんだよ。断ってたんだけど、ライブハウスのオーナーに『どうしてもやってほしい』って言われてさ。で、藤岡とふたりだったんだけど、やってみたら、ウケて楽しかったんだよね」
藤岡「オレたちも50代になって、仕事も落ち着いてきたからね。今度、ふたりで、藤岡藤巻というバンドを組もうと思うんだよ。だからブレインになってよ」
ブレインなんて名前だけだ。それがなんなのかは未だによくわからない。でも、こんな感じで話が進んで、今に至っている。
第二章 なんだかヘンな人たち
藤岡藤巻が活動を始めたのは2005年。それからは毎週、3人で麻布十番の居酒屋に集まっては、バカ話でゲラゲラと笑ってた。すると、そこでのバカ話をネタにして、翌週には藤岡さんが新曲のデモを作ってくる。
業界は違えども、3人とも会社員だったから、そんな風にして、中年サラリーマンの情けなさや開き直りをテーマにした歌が、次々と生まれていった。わかりやすく言えば、ヘンな歌だ。
「この前さ、友達がこれみてよって、情けない顔で携帯(ガラケー)をみせるわけ。奥さんからのメールなんだけど、のぞいて見たら”牛乳、サランラップ、海苔”って3行あるだけなんだよ。『買ってきてね』との一言もないんだよね」
こんな会話から、翌週には『牛乳・トイレットペーパー・海苔』というデモができる。サランラップは商品名だから、紅白に出られなくなるかもと、トイレットペーパーに変えたところなんていじらしい。
「学生時代の藤岡んちには、父親があちこちにベタベタと人生訓みたいなのを貼ってたんだよ。オヤジって標語とか説教とか好きだよな」と笑ってると、翌週には父親が息子に説教する『息子よ』のデモがあがってくる。「キャバクラ嬢に本気になるオヤジってなんだろうね」と笑ってれば、そんなオヤジを主人公とする『娘よ』のデモがと、毎週のように曲が生まれていった。
ちょうどこの頃、若い頃にバンドを組んでたオヤジたちが、中年になってまたバンドをはじめようかっていう「オヤジバンドブーム」の流れもあってか、藤岡藤巻は少しずつ知られるようになってきた。そして、一年後にはソニーミュージックからメジャーデビューすることになったんだ。
とはいえ、「藤岡藤巻」のレコード会社での立ち位置はなんだかヘンだった。誰も構ってくれない感じというか、関わりたくない感じというか、放っておかれてる。でも、それは当たり前のこと。だって妙なオヤジバンドになんて近づきたくない。厄介なことに巻き込まれないように、そっとしておく。それがサラリーマンの生存の知恵というもの。僕が社員だったらそうする。
そんなわけで「藤岡藤巻」は、あまり構われることなく、自由に活動をしていた。そして、僕はそんな彼らと行動を共にして、企画のアイデアを出したり、幕間のコントを書いたりしてた。
デビューするからには、アルバムが必要だ。曲のストックは十分にあったから、すぐにファーストアルバム『藤岡藤巻Ⅰ』の制作がはじまった。それにしても初めて見たレコーディング風景には驚いたな。
だって想像してたレコーディングってのは、スタジオに入ると精神統一的なものとか、発声練習的なものとかがあって、そこには「やる気がみなぎるぜ」みたいな空気が充満してるもんだと思ってたからね。
だけど実際のレコーディング風景は全然違ってた。例えば『牛乳・サランラップ・海苔』のスタジオはこんな感じだ。
藤岡さんがバンドメンバーと準備したカラオケに、自分の歌パートを録音する。そこに会社帰りの藤巻さんがやってくる。ちょろっと言葉を交わすと、藤巻さんは鞄をそこらへんの椅子に置いて、会議室にでも入るみたいに録音ブースに入る。藤岡さんはミキシングルームからトークバックで指示を出す。
藤岡「この歌は”歌う”っていう感じじゃなくて、リズムもとらなくていいから」
藤巻「この歌は誰みたいに歌えばいい?」
藤岡「誰って…君みたいにでいいよ」
藤岡さんはマイクをオフにして「だいたい、”誰みたい”にって指示してもできないじゃん」と、ボソっとつぶやく。
ミキシングを補佐する女性スタッフが、「今日の録音スケジュールは時間的には順調ですよね」と藤岡さんに声をかける。
藤岡「だって普通は、歌う人って『今のは納得できないから、もう一回やらしてくれ』とかって言うものじゃん。藤巻くんは、早く終らせたいから絶対にそういうことを言わないからね」
歌の最後の方には「犬に吠えられて驚く」という場面がある。ヘッドフォンから流れる犬の吠え声にあわせて驚き声をあげる藤巻さん。歌の録音とはうってかわって、小芝居になると急に熱心になる。藤岡さんのディレクションも歌より厳しい。
藤岡「もっと地味に驚いて! もっと情けない感じで!」
藤巻「うわぁ!」
藤岡「驚くタイミングがちょっと早いよ。あと更に情けなく!」
藤岡さんは、藤巻さんのモニターを切るとミキサーに指示をだした。
藤岡「藤巻くんのヘッドフォンに、犬の音だけをすごくデカくして流してくれる? 藤巻くんが本当にびっくりするから」
藤岡さんは海千山千のディレクターだ。藤巻さんはうまくノセられて、あるいは怒られてボーカルを録る。一方の藤巻さんはといえば、ブースを出ると急に引き締まった顔つきになって、出前のメニューを食い入るように見ていた。
藤岡さんが少し得意そうに語る。
「藤巻くんのボーカルを録れるのはオレしかいないからね。だって音程がどこにいくかわからないんだもん。もうダメだと思ったら、突然、いい感じになったりするんだよ。で、よし、あともう一回歌えば完璧だと思って、もう一回歌ってもらうと、音程がとんでもないとこにいっちゃって。あぁ、さっきの人に戻ってきてほしいなぁと思っても、もう二度と帰ってきてくれないんだよね。それどころか違う人が出て来ちゃったりするし。その加減を見極めてディレクションできる人はオレしかいないよ」
なんなの、この人たち? レコーディングって、こんなものなのかとずっと思ってたけど、こんなものなのは「藤岡藤巻」だけだった。
第三章 若い子に褒められて
2006年11月。アルバム「藤岡藤巻Ⅰ」が発売されてから半年後、セカンドアルバムの制作が決まった。そして市ヶ谷のCBSソニーで打ち合わせを終えたあと、20代の女性社員と藤岡藤巻と僕は、近くの居酒屋に足を運んだ。
居酒屋の座敷で若い娘とテーブルを挟んだ藤岡藤巻の二人は、妙に嬉しそうだ。ビールを飲み交わして話も弾む。そこでまた女性が二人をくすぐるようなことをいうわけさ。
女性「私、藤岡藤巻さんの大ファンなんですよ!」
藤岡「ほんとなの? またテキトーにそんなこと言っちゃって」
女性「ホントですよ。一度、お話したいと思ってたんです」
藤巻「もしかして、オレたちのライブに来てくれたの?」
女性「いえ、ライブには行ってないですけど。…今度、行きたいと思ってま
すけど」
藤巻「あっ、そうなの。じゃ、CDとか買ってくれたんだ?」
女性「いえ、買ってはないですけど。…会社のみんなで遊びに行ったときに車で聴かせてくれたので」
藤巻「いいのいいの。気に入ってもらえれば嬉しいからね」
藤岡「ねえ、ちょっと質問なんだけどさ。何歳ぐらいまでだったら年が離れててもつき合えると思う?」
女性「私、おじさん好きなんですよ。年配でもぜーんぜん、大丈夫です!」
藤岡「えぇ、ホント!?」
藤巻「ホントにマジで?」
女性「はい!」
二人のオヤジが、目を輝かせている。それにしても、なんとダラしない顔をするのか。表情筋がぶらぶらしてる。
藤巻「オレ、なんかドキっとしちゃった」
藤岡「藤巻くんさぁ、露骨に嬉しそうな顔してるけど、別にきみとおつき合いしたいって言ってるわけじゃないからね」
藤巻「あっ、そうか…。そうだよね。なんか今、小さな火がポッと灯った気がしちゃって」
藤岡「マンガみたいに、こう心の中にポっと火が灯く感じね」
藤巻「そうそう! それだよ」
二人のこぼれるような笑顔。オレにはそんな顔をみせたことはないぞ。彼らはこの一瞬の間に、どんな妄想を浮かべていたのか。いや、絶対に知りたくはない。
藤岡「で、年配って、いくつぐらいまでだったら許容範囲なの?」
女性「私は結構、広いですからね。40代ぐらいまでなら全然平気ですよ!」
藤岡,藤巻「えっ…」
女性「ヘンですか?」
50代のオヤジたちから一瞬にして笑顔が消えた。しょんぼりしてる。おそらく月に向かう途中で爆発事故が起きたアポロ13号の乗組員たちも、その瞬間、このような表情を浮かべたのではあるまいか。だがアポロ13号の乗組員たちは決して、くじけなかった。藤岡藤巻も、わずかな可能性に賭けた。
藤岡「いや、あの、50代とかはどう?」
女性「うちのお父さんが50代なので、さすがにちょっと…」
藤岡藤巻を乗せたアポロ13号は、宇宙の塵となって虚空を漂う。
藤巻「なんか火が消えちゃったよ」
藤岡「一瞬で灯って、一瞬で消えたよね」
女性「…」
藤岡「でもさ、オヤジってのは勝手に妄想するよね。会社でも女子社員と目が合っただけで、自分を好きなんじゃないかとかさ」
藤巻「そうそう、妄想力だよね。オヤジは妄想で生きてるから」
藤岡「そういえば昔、友達と”妄想オヤジが女の子が書く日記を想像したら”っていう遊びを、飲み屋とかで話してゲラゲラ笑ってた時期があったな。あれ、これでなんか一曲、作れるかも」
若い女性の一言でアップダウンするオヤジたち。だが、そこには歌のヒントがあった。そして、藤岡さんの言葉どおり、この時の会話から、新たな楽曲が生まれることになる。そして、これがこの物語の立ち上がりなんだ。
第四章 調子に乗ってデュエット曲が誕生
それから約3週間後、藤岡藤巻と僕は、彼らのホームタウン大森にいた。
3人の毎週定例のミーティングは、たいていはフォーク居酒屋『風に吹かれて』で行われていた。
ここはステージがある居酒屋風のライブハウス。店の奥に楽器が設置されたステージがあって、客席にはテーブルが並んでいる。35名から50名ぐらいが収容できる店なんだ。
店のオーナーは初期のバンドメンバーで、藤岡藤巻の中学の先輩でもある。そんなわけで、店の定休日には、ミーティングや練習の場として借りている。先客がいるときは、近くのカラオケボックスが打ち合わせ場所になる。
三人でテーブルを囲んで、缶ビールを飲みながらミーティングがはじまった。たいていの場合は無駄話からはじまって、藤巻さんとゲラゲラ笑ってると、「おまえら、真面目に考えろ!」と藤岡さんに怒られる。
この日は、しばらくバカ話で笑ったところで、藤岡さんがテーブルにCDラジカセを置いた。
藤岡「この前の居酒屋の会話から、こんな歌を作ったんだよね。タイトルは『オヤジの心に灯った小さな火』っていうんだけど、今回はムード歌謡にしてみた。歌のサビになるところで、藤巻くんがオヤジの妄想日記を読むセリフが入る構成。セリフはまだ作ってないから、藤巻くんが考えてよ。こういうの得意でしょ?」
藤巻「ムード歌謡かぁ。よくわかんないけど」
藤岡「オレだって知らないよ。でも、ムード歌謡には作法みたいなのがあるみたいよ。そういうのを知らなくて、雰囲気だけで作ったから、ムード歌謡っぽさが足りない気がするけど。しかも、あまりに自然にメロディが出てきちゃったから、どっかに同じ歌があるんじゃないかって不安でしょうがないんだよ。はじめからパクってれば元歌がはっきりしてるから、そういう心配がなくていいんだけど」
たしかにパクり元がはっきりしてれば、微妙にメロディを変えることができる。これが作曲の神髄というものなのか。
スピーカーから、『オヤジの心に灯った小さな火』のデモが流れてきた。これは後に「妄想バージョン」と呼ばれて、アルバムに収録されるものだ。完成版では曲間で藤巻さんが妄想日記を読む小芝居が入るけど、今はまだBGMだ。
小芝居パートでは、課長を演じる藤巻さんが、会社の若い女性に勝手に恋心を抱いて、自分に都合よく書いた妄想日記を感情豊かに読み上げる。「〇月〇日、まいの日記。今日、藤巻課長と目があっちゃいました!…」などと、小芝居がはじまると、誰もが「このバカオヤジが!」と笑ってしまう。
ケイ:「この歌、面白いですよ! でも、これってデュエットにしてもいいような気がするけど」
藤岡「やっぱりそう思う? オレもなんかそういう気がしてさ。実はデュエットバージョンも一応作ってみたんだよ。これもまだ歌詞がテキトーなんだけどね」
藤岡さんは、ごそごそとカバンから別のCDを取り出すと、ラジカセにセットした。スピーカーから流れるのは、さっきと同じ曲だ。でも、小芝居部分にメロディがついて、藤岡さんの多重録音で男女の掛け合いをするデュエットになっている。デュエット曲でありながら、「女性が男性を最後まで嫌がってすれ違う」という斬新な歌だ。
藤巻「わははー。これいいなぁ!」
藤岡「最後の部分をどうまとめるか、まだ思いついてないんだけどさ」
ケイ「これ、いいですよ! デュエットなら、人気がある人と歌えば便乗して売れるじゃないですか! コバンザメになれますよ!」
藤岡「そうなんだよ! オレたちだけで売れるわけないんだからさ。もう他力本願でいくしかないだろ」
藤巻「そうだよね。じゃ、誰に歌ってもらおうか? ムード歌謡だからテレサ・テンとかどう?」
ケイ「もう、死んでますけど。それに新入社員のイメージじゃないけど」
藤岡「やっぱし、アイドルでしょ! 相手役は、新入社員っていう想定なんだからさ」
藤巻「アイドルかぁ。『モーニング娘。』のメンバーみたいな?」
ケイ「いいじゃないですか。でも、そんなツテとかあるの?」
藤岡「藤巻さ、『モーニング娘。』の事務所に知り合いがいるから聞いてみてよ。ちゃんとデモを作るから」
盛り上がる藤岡藤巻。しかし、一世を風靡したアイドルグループにオヤジが曲を持ち込んで、相手にされるんだろうか。だが、火がついたオヤジは止まらない。「知り合い」というあいまいなツテだけで突撃していった。
第五章 デュエット相手が決まったよ
デュエットソング『オヤジの心に灯った小さな火』を売り込む気になった藤岡藤巻。
売り込み用にデモを用意するなら2曲は必要だろうということで、あらたに『オジサマって大好き♪』という歌も用意した。こちらは女性のリードボーカルに、オヤジが合いの手を入れるという構成だ。
そして歌詞には、これまた例の居酒屋での会話が反映されていた。つまり居酒屋で交わされた女性との会話から、『オヤジの心に灯った小さな火』の妄想版とデュエット版、そして『オジサマって大好き♪』という3曲が生まれたことになる。たまに若い女性と会話が出来たからといって、どこまでその記憶を絞り尽くそうというのか! まるで焼き鳥の串を味がなくなるまでしゃぶってるみたいだ。意地汚いぞ!
藤巻さんは、できあがったデモをハロプロの事務所に持ち込んだ。いろんなツテがあるもんだなと感心したけど、学生時代の先輩がいただけだった。
事務所から提案されたのは、バラエティ番組 『クイズ!ヘキサゴンⅡ 』でブレイク中の人気アイドル、里田まいちゃんとのデュエットだった。もっとも藤岡藤巻はといえば、彼女の名前を聞いた時、一瞬、誰だかわからずにキョトンとしていたらしい。売れっ子だよ! 大人気だよ! そこらのオヤジかよ!
当時の里田まいちゃんは『カントリー娘。』のメンバーだったけれど、グループとしての楽曲は2年以上もリリースされていなかった。だから歌を歌いたいという思いがあったという。
ちなみに彼女は、「おバカタレント」という役回りだったけれど、実際はとても頭の回転が早くて、細やかな気遣いの方だ。そして、この歌の歌詞を完成させるために、藤岡さんから「オヤジのイヤなところを箇条書きにしておいて」と言われて書いた中から、「寒いギャグをいう」などの面白いフレーズが歌詞に取り入れられた。
レコーディングでは藤岡さんが男性ボーカルをとった。藤巻さんは仕事で参加していない。ちなみに里田まいちゃんのボーカル録りでは、藤岡さんがディレクションをした。だから藤岡さんとまいちゃんは歌入れは別々だ。
ついでにいえば、カップリングの『オジサマって大好き♪』は、後ろで合いの手をいれてるのは藤岡藤巻のどちらでもなく、スタジオに呼ばれたバンドメンバーと僕だ。クレジットは「里田まい with 藤岡藤巻」なのに、中身は「里田まい with 知らないおじさん」になってる。ひどい。もちろん、まいちゃんとは別録りだ。
でもね、藤岡藤巻のために弁解しておくと、二人は手抜きをしたわけじゃない。これは「オヤジなんて、みんなたいして変わらないよ」というメッセージなんだ。そして自分のために弁解するなら、今のは全然、弁解になってないけど、しょうがないじゃん。ほかにどう書くのさ。とにかく、無事にレコーディングが終わった。
第六章 『オヤジの心に灯った小さな火』の初披露
『オヤジの心に灯った小さな火』の初披露は、まだCDが発売される前の2007年4月20日。藤岡藤巻のSHIBUYA-AXワンマンライブでのことだった。
「SHIBUYA-AX」は、当時渋谷にあった最大収容人数1,700人の大型ライブハウスで、藤岡藤巻にとっては大きな会場での初のワンマンライブになる。念のために書いておくけど、最大収容人数と実際のお客さんの数は別だからね。
で、このライブは、サブタイトルとして「だから嫌だって言ったのに…」とついてたけれど、文言とは裏腹に大きな会場ってことで、お祭り気分で盛り上がってた。だから海外の人気アーティストがよくやるように、ロビーにステージ衣装を展示することにしたんだ。とはいっても、藤岡藤巻にステージ衣装なんてものはない。ステージで着てるのは、普段から会社で着ている普通のスーツだ。
そこで、いつも着てるスーツをそれっぽくディスプレイして、その前にこんなボードを立てることにした。
これが藤岡藤巻のステージ衣装だ!
本衣装は、藤岡藤巻のステージ用衣装です。彼らは、いつでもアーティストとしての心構えを忘れることがないように、普段からステージ衣装で生活することを心がけており、普段用のスーツは一着も持っておりません。
さらに調子にのって、藤岡藤巻の「顔はめパネル」も作った。観光地によくある例のやつだ。顔の部分に穴があいてる人物パネル。これをあえて少し小さめに作って、パネルの前に、こんな案内を書いたボードを置いた。
あなたも藤岡藤巻になれます!
おイヤでしょうが、ご自由に写真をお撮りください。
【お詫び】
本パネルは、藤岡藤巻の原寸大で制作しましたが、できあがってみたら、ほぼ原寸大になってました。写真を撮られる方はパネルの後ろに回ってから、少し離れていただきますと、ほどよい大きさでパネルに収まることができます。今後、このようなことがないように注意します。誠に申し訳ありません。
ゲスト出演するまいちゃんは、当日のリハーサルで、初めて藤岡藤巻と一緒に歌うことになる。だってレコーディングは別録りだったから。
会場に到着したまいちゃんは、藤岡藤巻とバンドメンバーがいる楽屋に差し入れをもってきてくれた。っていうか、逆だよ、逆! ふつーはこっちが持っていくの! まいちゃんは売れっ子なんだから!
ノックの音に続いて、まいちゃんが楽屋に入ってきたときは驚いた。一瞬でアイドルのオーラが充満して、花びらが飛び散ってる感じ。それまでは終電を待つ駅のホームみたいに淀んでた空気だったのに、一瞬で浄化されてる。オヤジたちは、綺麗な空気では生きられないから息苦しくなってた。
そしてバンドメンバーはといえば、そんなまいちゃんに完全に気後れして、写真をせがむ勇気もなく、彼女が去った後で、差し入れの写真をパシャパシャと撮っていた。しかも接写してる。それって、ふつーにエクレアの写真だからね。あとで見たら、エクレアのお見合い写真みたいになってるから。
まいちゃんとのリハーサルがはじまると、彼女はステージに藤巻さんが出てきたことに驚いていた。
里田「えっ? レコーディングでは藤岡さんが歌ってたのに、ライブでは藤巻さんが歌うんですか?」
藤巻「まぁまぁ、オヤジなんてみんな一緒だから」
藤巻さんが歌うことになったのは、藤岡さんの希望だ。藤岡さんは前にでることを妙に嫌がるんだよ。でもさ、そもそも藤岡藤巻だって、二人しかいないんだから目立たないなんて無理なんだよ。並んでるんだからさ。それとも縦に並ぶつもりなの?
客席はまだ椅子が並べられる前の広々とした状態だ。そんな中、ステージの真ん前でセッティングの様子を見てたら、藤巻さんに声をかけられた。
藤巻「ケイメイさ。この歌、歌ってるときどうしようか?」
そういえば、振り付けのことなんて誰も考えてなかった。
ケイ「これは、オヤジが嫌われてる歌だから、普通のデュエットとは逆がいいですよ。藤巻さんが近づくと、まいちゃんが逃げることにしましょうよ。それでどう?」
里田「ハイっ!」
えっ? なに? なんで、まいちゃんがイイ返事をしてるの? しかも、真剣な顔でこっちを見てる。
ふと横を見ると、会場のスタッフ達が周囲をとり囲んでいる。演出家かなんかと勘違いしてる。違う、違うってば!
こんな場でスーツを着てるのは、会社員の自分しかいない。それがどっかの偉い人に見えてるらしい。もうね、今さら「オレ、ふつーのサラリーマンなんですけど」なんて言える状況じゃないんだよ。
おまけに取材時間になったもんだから、記者たちが会場にゾクゾクと入ってきた。彼らも周囲を囲んでくる。逃げ道を完全に塞がれたんだ。
心臓がバクバクしてる。なんで、そこらへんの会社員が会場スタッフや記者たちに囲まれて、ステージのアイドルと話してるんだよ。ヘンすぎるだろ! 誰か気づいてくれよ!
ふと舞台袖を見ると、藤岡さんがこっちをみて、声を出さずにゲラゲラと嬉しそうに笑っている。オレ、たぶん今、死にかけてる。寿命がすごい勢いで減ってる。早死にする。もう、成りきるしかないじゃん。
「まいちゃんは、ここでもっと下手に寄ってください。藤巻さんが近づくと避ける感じで。どうせなら、舞台から一瞬見えなくなる位置まで思い切って行っちゃいましょう!」、「いいですねぇ。素晴らしいです!」と、大げさなジェスチャーで演出家のフリをした。本物の演出家なんて見たことないけど、たぶんこんな感じ。
ステージでは、勘違いしてるまいちゃんが、うなずいたり、いい返事を返してくれる。さすがはプロフェッショナルだ。そして、その後ろでは舞台監督が腕組みしてウンウンとうなづいてる。心の中で、「お前の仕事だろが!」と毒づいた。
でもね、これだけはハッキリと言っておきたい。「ピンチはチャンスだ」なんてことを言う人がいるけど、それウソだからね。そんな余裕ないから。「ピンチはピンチでしかない」からね! もっとも、この時、究極に追い込まれたせいで、会社の会議でハッタリをかましてもなんとも思わなくはなったけど。
やがて本番がはじまった。まだCDが発売される前だから、お客さんは誰もこの歌を聞いたことがない。でも、歌いながら藤巻さんから逃げ回るまいちゃんに、会場から大きな笑いと拍手が起こった。
それにしても、まさに旬のアイドルと藤岡藤巻のデュエットが本当に実現するなんて。楽曲も面白いし、これはもうアイドルに便乗してヒットが約束されたようなもの。ようやく藤岡藤巻がメジャーな存在になる時が来たと思ったよ。
第七章 なんかヘンなことを言い出した
SHIBUYA-AXでのワンマンライブは、無事に『オヤジの心に灯った小さな火』の初披露も終えて大盛況に終わった。もっとも半分ぐらいは、里田まいちゃん効果だと思う。
そしてライブから一週間が過ぎた。藤岡さん、藤巻さんと新橋の居酒屋で顔を合わせると、二人ともなぜか浮かない顔をしている。いまって盛り上がる時だよね。いったい何があったのさ?
ケイ「もうすぐ、”オヤジ火”(『オヤジの心に灯った小さな火』)のCDが発売されますよね! 売れるかな」
藤岡「う~ん、まさか、ホントに採用されるとはなぁ…」
藤岡さんの歯切れがどうにも悪い。藤巻さんもうつむき加減だ。
ケイ「どうしたの? もっと嬉しそうにしてくださいよ。だってヒットさせようぜって、売り込みに行ったんでしょ? 盛り上がってたじゃないですか」
藤岡「それはそうなんだけどさ、ふつうは採用されないでしょ。オレ達の企画が認められたのはすごく嬉しいけどさ」
ケイ「何いってるんですか! 旬のアイドルとのデュエットなんですよ。CDもバンバン売れちゃったりして。ところで、この歌をテレビで歌う時は、藤岡さんと藤巻さんのどっちが歌うんですか?」
藤岡「うーん、それが問題なんだよね…」
藤巻「うちは絶対にムリだよ!! 雑誌やライブならともかく、デュエットなんかでテレビに出たことが家族にバレたら大変なことになるよ。歌詞が見つかって捨てられたこともあるんだから。藤岡くんは?」
藤岡「うちだってテレビはダメだよ。近所とか親戚の目があるしさ。あっ、ケイメイが代わりに歌って来てよ」
ケイ「えっー! オレだってダメだよ。カタギのサラリーマンなんだから。だいたい藤岡藤巻でさえないじゃん!」
藤岡「でも、オレたちが出たって、見てる人は誰だかわからないんだからさ。オレたちである必要はないんじゃない?」
藤巻「そうだよ! オレたちの代わりなんていくらだっているんだから」
藤岡「だいたいさ、なんでオレたちが出なきゃいけないわけ? 見てる人だって喜ばないし、オヤジなんてみんな一緒なんだから、誰が出たっていいじゃないか!」
ケイ「なに言ってるんですか!」
藤巻「オレたちは、何もしなくても黙って売れてくれたら、ただそれだけでいいんだよ!」
ケイ「じゃ、どうするんですか? テレビの時は『里田まい with 藤岡藤巻代理』って名前にして、別の人に代理で歌ってもらうとか?」
藤岡「誰かって誰だよ? 堀内孝雄とか? …やってくれないだろうなぁ」
ケイ「当たり前だよ! 怒られるよ。あっ、だったらハローワークで募集したらどうかね? 職種を『藤岡藤巻』とかにして」
藤巻「ダメに決まってるだろ! 藤岡藤巻になるくらいなら、ちゃんと就職するよ! だいたい給料も出ないじゃん」
藤岡「お面をつけて、誰かが歌うとかどうかな?」
ケイ「なんか猛烈に曖昧すぎません? じゃ、テレビでは藤岡藤巻だけCGにしてもらうとかは?」
藤岡「ムリ! それじゃ、会場にいる人はまいちゃんしか見えないじゃん。どうすんの?」
どうすんの?じゃないよ! 出ろよ! このオヤジたちときたら…。なんで今になって家族バレがとか言ってるのさ。この前までアイドルに便乗して売れるんだってノリノリだったじゃん。若気の至りとは言わせないぞ。オヤジなんだからな!
それにしても盲点だった。藤岡藤巻には「世間には知られたいけど、家族には知られたくない」という致命的な弱点があったんだった。トム・クルーズが必死で世界を守ったように、藤岡藤巻は家庭内での自分の居場所を必死で守ってた。
そういえば藤巻さんなんて、ライブの時には、家族にバレないように早朝にこっそりとギターを玄関の外に出してた。さらには会社にバレないように会社近くの喫茶店にギターを置いてから出勤する涙ぐましいことをしてた。これはもうパンクだろ。弱虫なチキンパンクじゃん。
それから一週間が過ぎた。いつものようにミーティングで二人と顔を合わせると、なんだか少しホッとしたような空気がある。
ケイ「ところで、テレビ出演の件はどうなったんですか?」
藤岡「あれは断ったよ。だって家族にバレるからムリだし」
ケイ「えっ?」
この人たちなんなの? っていうか、なんで断ってるの?
ケイ「でも、CDは発売されるんでしょ?」
藤岡「それはされるよ」
ケイ「だったら、CDジャケットにでかでかと顔写真が載るから、バレるんじゃないですか?」
藤巻「そこは大丈夫。事務所にオレたちの写真は載せなくていいって言ったんだけど、それはダメだって言われてさ。でも、できるだけ小さくしてもらうことになった。まいちゃんはちゃんと映ってるんだよ。でも、オレたちはたぶん判別できない」
ケイ「えっ? そんなに小さいの? 判別できないぐらい?」
藤岡「できないんだよ」
ジャケットに載りたくないなんてアリなの? レコード会社の担当者も困っただろうな。きっと出たくないという藤岡藤巻をなだめすかして、小さな写真で妥協したんだと思う。担当者の気持ちを想像するだけで涙がこぼれそうになる。担当者じゃなくてよかった。
ケイ「あっ、でもさ。プロモーションビデオは作るんだから。結局バレちゃうんじゃないの?」
藤岡「それも大丈夫。プロモーションビデオの出演はお断りしたから」
ケイ「えっ? お断り? じゃあ、プロモーションビデオは?」
藤巻「まいちゃんが、ひとりで出演するよ」
なんなの?が過ぎるんだけど、この人たち。担当者の気持ちを想像すると、辞表を代筆してあげたくなる。藤岡藤巻に関わった時点で終わってた。
一方の里田まいちゃんはといえば、久しぶりのシングル発売に「とても嬉しかった。やっぱり歌が好きだ。私の原点なんだ!」とインタビュー記事に素敵なコメントをしていた。
旬のアイドルがこんなにいいコメントをしてるのに、なにやってんだよ。デュエットなんだから歌えよ、もう!! だいたいなんでデュエット曲のプロモーションビデオに、まいちゃんを一人で出演させてるんだよ! やる気はどこいった!
そういえば、ライブの帰りに新橋の居酒屋に寄ったら、二人ともギターを忘れて店をでたことがあったっけ。店員さんが2本のギターを抱えて、路上を走って追いかけてくれた。ほんとにもう! 真面目にやんなさいよ!
もっとも、後で完成したプロモーションビデオを見たら、派遣社員役のキュートなまいちゃんが思いっきりフィーチャーされていたから、これが正解なんだと思えたな。だって、おじさんを見たがる人なんていないんだから。
第八章 クライマックスのはずがグダグダに
『オヤジの心に灯った小さな火』は、2007年5月にリリースされた。
もちろん藤岡藤巻は家族バレを恐れて、一切のプロモーション活動を避けていた。だから、せっかくまいちゃんが歌うことを楽しみにしていた新曲も、テレビで披露されることは一度もなかった。
っていうかさ、それじゃ売れるわけないじゃん! 全力で売れない方向にダッシュしてるよ。なんで事務所に売り込みに行ったんだよ! まいちゃんの身にもなりなよ!
結局、まいちゃんが、この歌を歌ったのは、藤岡藤巻のライブにゲストとして出演した時だけだった。
それにしてもプロモーションには出てこないくせに、自分たちのライブの時だけは、家族にバレないし、華がほしいからとアイドルに来てもらう厚かましさよ。これがオヤジというものなのか? 藤岡藤巻は生まれ変わっても、罰としてオヤジのままだと思う。まいちゃんの代わりに言うけど、ひどいぞ! あとレコード会社の担当者の代わりに言うけど、許さない!
2007年8月29日、渋谷クアトロの藤岡藤巻ライブに、まいちゃんがゲスト出演した。CDが発売されてから、初めてのライブになる。これはもう盛り上がりが約束されているわけで、この物語のクライマックスになる場面だ。藤岡藤巻とまいちゃんが大喝采を浴びて、観客席が拍手で地鳴りを起こすところ…のはずなんだけど。
藤岡藤巻のライブはいい感じで進んでいた。そろそろ終盤に近づいてる。ここで里田まいちゃんをステージに呼び入れて、『オヤジの心に灯った小さな火』を歌うという段取りの場面で、それは起こった。
藤巻さんが、ステージへと里田まいちゃんを呼び込んだ。
藤巻「では次の曲は『オヤジの心に灯った小さな火』という歌です。里田まいちゃんとのデュエットなので、彼女を大きな拍手でお迎えください。では、里田まいちゃん!」
会場からアイドルを迎える大きな拍手が起こった。
しかし、間がおかしい。いつまでたっても、舞台袖からまいちゃんが出てくる気配がない。拍手の音がだんだんと疎らになってきた。藤巻さんが大声で叫んだ。
藤巻「あれっ? まいちゃーん。まいちゃーん!」
藤岡「逃げたんじゃないの?」
あまりに不自然な間に、最初は演出かと思ってみていた客席もざわつきはじめた。藤巻さんは、舞台袖まで覗き込みに行って、また大声で叫んだ。
藤巻「まいちゃーん!」
やっぱりなんの反応もない。さすがにヘンだ。
藤巻「ちょっと地下の楽屋まで、まいちゃんを呼びにいきます」
会場に笑い声が響いた。これって演出じゃないんだけど。なんなんだ? このグダグダは? 藤巻さんがステージから引っ込むと、その間を藤岡さんがMCで場をつなぐ。やがて藤巻さんが一人で戻ってきた。
藤巻「まいちゃん、出るのイヤだって」
えっ? 何が起こってるの? ステージでは藤岡さんと藤巻さんがMCで時間をつなぐ。普通なら、ふたりのオヤジが必死になってと書くところだ。けれど、そんな感じはまったくない。この人たち、ピンチ慣れしてる。これまでもトラブルばかり起こしてきたのか、怒られ慣れてるよ。
考えてみればサラリーマンは、いつも誰かに怒られてる。係長になれば課長に怒られ、課長になれば部長に怒られ、部長になれば役員に怒られる。藤岡藤巻が身につけた鈍感力は本物だ。それどころか、ふだん誰にも相手にされていないオヤジが、観客という逃げ場のない聞き手を前に、嬉しそうにダラダラ話を続けてる。
観客もいい加減に痺れをきらした頃、ようやくステージにまいちゃんの姿が現れた。歌詞にあわせてベージュの事務服をイメージした衣装でアイドルが登場すると、淀んでいた空気が一変した。藤岡藤巻はその効果を最大にするために空気を淀ませていたのかもしれないと思えるほど。もちろん、そんなことは絶対にないと断言する。
里田「すみません。遅くなりました」
藤岡「帰ったんじゃないかと思って心配したんだけど」
藤巻「どこが出番かって言ってなかったんだよね。考えてみれば」
里田「そうなんですよ。どこまでもヒドいと思いました。ホントは、もうちょっと後の時間だったんですよ。50分ぐらいあとって言われてたんで」
藤巻「そうでしたっけ?」
里田「はい。それでゆっくりしてたら…。まだ着替えてもいなくて」
藤巻「そうだったんだ」
里田「まだ大丈夫だなって思ってたら、いきなり『お願いします』って言われて。えぇー!みたいな。いそいで着替えました」
藤巻「あっ、そうなの。ここからまいちゃーんって呼んでたんだけど。そりゃ時間を言わなきゃわかんないよね」
里田「もう、何から何までかみ合わないなって」
藤岡「ちょっとさ、この構図がおかしいよ。だって超有名人とふつーのおじさんの会話になってるし」
確かにおかしい。なにこれ? 藤巻さんの他人事感がすごい。
里田「でも、今日はここに来るときに若い女の子たちがいっぱい並んでて、藤岡藤巻さんの出待ちでスゴイなって思ってたんですよ。オレたちはダメだみたいなことをいっつも言うじゃないですか。だから実は人気があるんだってスタッフさんに言ったら、あれは藤岡藤巻じゃなくて、向かい側でやってるの吉本のファンだって」
藤岡「人気ないんですよ。打ち上げとかでもホントに誰もいないよ」
藤巻「ライブが終わるとみんなクモの子を散らすようにいなくなっちゃう。あっ、指がつっちゃった」
里田「大丈夫ですか? さっきも一部が終わって戻ってきたら、すごく咳き込んでましたよね」
藤巻「あれは『夏をもらったぜ』っていう歌があって。あの歌を歌うの苦しいんだよ」
『夏をもらったぜ』は、歌の終盤でこれでもかと転調を繰り返して、本当に声がでなくなるまで伴奏を上げていく。「歌えなくなる」をライブする歌だ。
藤巻「それよりまいちゃんとの歌、歌詞カード見ないで歌うっていうのがちゃんとできるかなって心配なんだけど」
里田「結構、基本のところだと思うんですけど」
藤巻「歌詞、覚えられないんですよ。この前もテレビの収録で4行ぐらいの歌詞が二人とも覚えられなくて」
人気絶頂のアイドル、里田まいちゃんをライブに呼んでおいてこれだもの。それにしてもまいちゃんのプロフェッショナルとしての矜持がすごい。グダグダの空気を見事に修正してしまった。まさに天使のようなアイドルだ。
藤巻「では、あらためて。里田まいちゃんと『オヤジの心に灯った小さな火』です」
イントロが流れ始めた。里田まいちゃんと藤巻さんがデュエットして、藤岡さんがコーラスに入る。歌の途中で、藤巻さんがまいちゃんに近づくと、まいちゃんが一定距離でどんどん逃げていく。今回はきっと本気で逃げてる。
舞台袖までいって隠れそうになると客席から楽しそうに笑いが起こる。これこそアイドルが持つ華の力だ。
それにしても、この物語はなんなのだろう? このあたりって感動的な場面になるところなんじゃないの? ふつうなら主人公が夢を掴むために一生けん命に努力して、ようやくチャンスを掴み、見事に拍手喝采を浴びてめでたしめでたしになるところだよ。それなのにクライマックス的なところで、主役の藤岡藤巻がどんどん脇役みたいになってる。
まぁいいや。とにかく、まいちゃんは最高だった。もう物語の主人公はまいちゃんだ! デュエットなんて関係ない。まいちゃんだけでいいんだよ! もし映像だったら、彼女だけをずっとアップだ! 藤巻さんも藤岡さんも、ちっちゃいワイプ画面にちょこっと映ってればいいよ。
歌が終わると、ひときわ大きな拍手が会場に響いた。お客さんは皆、ニコニコとして、温かい空気が流れている。拍手に包まれて、まいちゃんは舞台袖へと姿を消した。CD発売後の初ライブは大成功だった。プロモーションはないけれど。
後年、この歌の話題になった時、藤岡藤巻の二人が「この歌、カラオケでもウケると思うのに、なんで売れなかったんだろうね」 とこぼしたときには、私は彼らの襟首を掴んで「お前らのせいだろがー!」と、揺さぶりたい衝動に駆られたのでございます。
エピローグ 神さまって大丈夫なの?
それにしても、プロモーションから逃げ回ってたオヤジたちが、半年先には『崖の上のポニョ』を歌うことになるんだから、世の中ってのはわからない…って、いい話風に締めたいんだけど、これでホントにいいのか、世の中よ? 神さま、ちゃんと見てる? ホントにこのひとたちでよかったの? このひとたち、一歩踏み出しただけなんだよ。そのあと、足踏みしてたよ。
ちなみにポニョは、広告代理店でジブリの担当だった藤巻さんが、試しに、のぞみちゃんと歌う”歌のへたなお父さん役”として仮歌を歌わされたら、「これでいいんじゃない?」って採用されちゃった。確かにプロの歌手なら、あんなに微妙な音階を出せるはずがない。きっと神さまにも、グダグダな気分になる時があったんだと思う。
実は『崖の上のポニョ』のあと、今度こそはと再び、里田まいちゃんと藤岡藤巻のユニットで、『続・オヤジの心に灯った小さな火』がリリースされている。トップアイドルと紅白歌手のデュエットという話題性もあったのに、なぜ、これが殆ど知られることなく終わってしまったのか。それはまた別のお話。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただきありがとうございました。チップしちゃおうかなと思ったら、迷わなくていいんです。私がそっと背中を押しますからね!