スタインベック『怒りの葡萄』の魔法が解けてしまった
魔法が解けてしまったんだ。
スタインベックの古典名作『怒りの葡萄』の魔法が解けてしまった。
僕にとって、『怒りの葡萄』は長い間、特別な存在だった。この本の存在を知ったのは高校生の頃だ。たぶん、社会の参考書にでも出てきたんじゃないかと思う。
でも、今でも読んだことがないし、どんな話かも知らなかった。ただ『怒りの葡萄』というタイトルに妙に惹かれていたんだ。
だってヘンなタイトルだと思う。内容の想像がつかない。
それから僕は、眠れない夜にはベッドで天井を眺めながら、羊を数える代わりに、この本の内容を想像しながら眠りについた。
それまで、“葡萄が怒る“なんて考えたこともなかった。アニメならともかく、果物と感情が結びつくタイトルは斬新だと思った。おまけに、その感情が“怒り“なんだ。葡萄の場合は一房にたくさんの実があるけれど、怒ってるのは一粒の葡萄なのか、それとも一房なのか。きっと一粒ずつに顔があって、どの葡萄も怒ってる。でも、なんで?
葡萄が怒るとしたら、何に対して怒るのだろう? 果物である葡萄が、”怒り”の感情を得てしまうほどの怒りだ。相当な理由があるに違いない。あれかな、ワインづくりとか?
かつて、ワインは「処女(乙女)がブドウを踏む」ことによって作られていたという。もし、その中に不潔なオヤジが紛れ込んでいたとしたら? それだったら、葡萄が我を忘れて怒り狂っても不思議じゃない。
そして、葡萄が怒りを表明するのなら、他の果物にも代表的な感情があるのでは? 怒りの葡萄、笑顔のオレンジ、憂鬱なアメリカンチェリー、内気な檸檬、なだめる桃...。フルーツショップは大騒ぎだ。
もちろん、『怒りの葡萄』の主役が葡萄とは限らない。人間が、葡萄に対して怒ってる可能性だってある。
スタインベックという気難しい老人が、葡萄を一粒口にして、「酸っぱいんだよ」と地面に力一杯叩きつける。飛び散る葡萄の粒たち。それでも老人の怒りは収まることはなく、その怒りを一冊の本にまとめあげる。そこには自分がどれほど甘い葡萄を欲していたのか、それなのにようやく手に入れた葡萄が酸っぱかった。そんな恨み節が、何度も何度も同じ描写で繰り返される。耳を塞ぎたくなるほどの罵詈雑言。
「この葡萄が! 酸っぱい葡萄が! 葡萄めが!」。たかが葡萄が酸っぱいだけのことで本を一冊書きあげてしまう執念深さ。そんな人いる? 普通は書いてる途中で我に返らない?
あるいは、気難しい老人スタインベックは、葡萄が大嫌いだった。ところが盲腸で彼が入院した時、お見舞いとして友人から届けられたのは、籠いっぱいの葡萄だった。怒りに任せて籠を投げつけるスタインベック。病室で騒ぐ彼を看護師が押さえつけ、太い注射で眠らせる。
あるいは、風呂上がりにビールでも飲もうとリビングに座るスタインベック。しかし、椅子の上には葡萄が置いてあった。それに気づかずに座ったものだから、葡萄の汁が飛び散り、寝間着は葡萄汁だらけ。湧き上がる怒りにまかせて家中の家具を破壊し、それでも収まらずに自宅に火を放つ。
『怒りの葡萄』は、ずっと空想のワンダーランドだった。
先月、カリフォルニアのことを調べる機会があった。その時、1930年代のアメリカ恐慌時代のことを知った。仕事を求める多くの人たちが、夢の地だと思ってカリフォルニアへとやってくる。しかし、そこには厳しい現実が待っていた。その様子を書いたのが『怒りの葡萄』だという。
「そんな話だったのかよ」って思った。
魔法が解けてしまったんだ。長い間、自分を楽しませてくれた『怒りの葡萄』はもういない。
でも、この本を読んだ人と同じように、僕は『怒りの葡萄』から夢と失望を学んでいたんだ。
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