見えないものを 言葉にする
はじめに
うまく言葉にならないもの、目には見えないもの。
今週は、そんなものを言葉にしようとした歌が、続けて三つ重なりました。
一つは、自分の手の中から生まれた歌。
もう一つも、自分の中に長く眠っていた歌。
そしてもう一つは、歌会で出会った、先輩歌人のお歌です。
綻びが ひかりを纏いだす

先日、スニーカー用の靴下とタオルケットをダーニングしました。
綻んだところに、色とりどりの糸を刺していく手仕事です。
格子状に地味に埋めるものから、色とりどりの糸を使って渦を巻くようなダーニング。手法は色々あります。
刺繍糸や木綿糸、毛糸を使い、思ってた以上に抽象のアート作品のような仕上がりで、嬉しくなりました。
「もったいないから直す」だけではない感覚が、いつからか自分の中に生まれていました。
できることなら、さいごまで使ってあげたい。
その気持ちは、ひと針目を刺した瞬間から、もう始まっています。
繕うことは、直すことであると同時に、新しいデザインを起こすことでもありました。
綻びていた場所が、隠されるどころか、一番ひかりを纏う場所になる。
この歌の「人もまた」は、私自身のことです。
繕いを通して、モノへの向き合い方が変わったように、私自身のどこかも、少しずつ変わっていったように思います。
一種、世捨て人のような生活をしていると感じることがあったからです。
でもまだまだ捨てたものじゃないぞ!わ・た・し(笑)
素数のプライド

「素数はプライドが高い」
——以前、どこかでそんな言葉を聞いていらい、ずっと心に残っていました。
数字が、まるで人格を持っているかのように、誇り高く、他を寄せつけない。そんな擬人化に、単純に惹かれていました。
その言葉が、ある人の顔と重なったのは、ずいぶん後になってからです。
舞台関係の仕事をされていた「その方」は、独特の美意識を持ち、少し気位の高いところがあり、それでいて多くの人を惹きつけるカリスマ性のある方でした。
数学者ではないので、数式の話をする人ではありませんでした。
それでも、その方のたたずまいを思い浮かべたとき、なぜか「素数はプライドが高いんだよ」という言葉が、一番しっくりくる気がしたのです。
その方は、癌で余命を宣告されと、ご本人より直接伺いました。
赤裸々に胸の内を明かしてくれました。
作品に向かわれる気概は失われていませんでした。
この歌に出てくる「貴方」は、架空と現実が重なってできた人物です。
素数の話をしたのは、実在の貴方ではなく、私の中にあった別のイメージ。でも、その気位の高さも、人を惹きつける力、少しだけ儚げにも見えた貴方そのものでした。
もう一つ、自分でも驚いたことがあります。
私は普段、歌の中で「愛」という言葉をほとんど使いません。
あまりに大きすぎて、自分の感情に貼るラベルとしては、いつもどこかしっくりこないからです。
けれど、この歌では、迷いなく「愛して」と書いていました。
私が何かを愛している、とは今も言いたくありません。
でも、貴方が、数学と空と草花を愛していた、
ということは、迷わず書けました。
ふだん避けている言葉が、貴方のことになると、するりと出てくる。それが、私にとっては小さな発見でした。
なお、
「空」の写真は 空と自転車をずっと撮り続けていらっしゃる はなぶささん(@shakekanwel)のご了解のもとお借りしました。
また、小説『おとめ塚』の著者でもいらっしゃいます。
素敵なお写真で大好きな世界観です。
よろしかったらXを覗いてみてください。
「シリーズ:栞を挟んだ一首」——安倍節子さんのお歌より
自分の歌だけでなく、これから少しずつ、心に残った他の方の歌もご紹介していきたいと思っています。
発表の場にかかわらず、心に響いた一首を、そのまま作品として届けたい。
もちろん作者の了解をいただいた上のことです。
そんな思いから始めた「栞を挟んだ一首」というシリーズです。
記念すべき最初の一首は、九州五行歌会の先輩歌人、安部節子さんの歌です。
それでは、ゆっくりと鑑賞してくださいませ。

初めて九州五行歌会の歌会を見学した日、プリントで手渡された一首でした。
たった五行で、目に見えないものが、確かにそこに立ち上がってくる。
その力に、ずっと心を掴まれたままでいました。
突然に歌の評を促され、「空に一瞬、卒塔婆は立ったイメージ。静かな哀しみが伝わる心象風景」と伝えた記憶がありました。
そのプリントはいまでも大事に保存しています。
「風は目には見えないけれど、感じることはできる。一瞬だけ、風が『塔』のようにまっすぐ立ち上がって見えたのか、感じたのか…」
——先日安部さんご自身が、そう語ってくださいました。
ご親族を見送られ無人となったお宅の前に佇まれたとき、
詠まれた歌だと伺っています。
安倍節子さんのお歌の核はなんだろうと思っていました。
お父さまのご来歴をお聞きして少しわかりました。
いまはお亡くなりになっているお父さまは、火野葦平氏が主宰する「九州文学」の同人でいらっしゃったそうです。
幼い頃から、原稿用紙に向かうお父さまの背中を見て育ち、「言葉は生ものである、言葉も人の心も、変遷していくものだ」と言い聞かせられて育ったと仰っています。
目に見えないものを、確かな手触りのある言葉で掴み取るお力は、そうやって受け継がれてきたものなのかもしれません。
これからも安部節子さんの紡ぎ出されるお歌に目が離せません。
この歌の感想はいかがでしたか?
よろしかったらコメントいただけると嬉しいです。
作者にお伝えしたいです。
「栞に挟んだ一首」のご紹介でした。
あとがき
三篇を並べてみると、どれも「言葉にならないはずのものを、あえて言葉にした」歌だったのだと気づきます。
糸を刺す手の中に生まれた感覚。
もう会えないかもしれない人への、ラベルにしたくなかった感情。
そして、目には見えない風の気配。
言葉にするのは、いつも少し遅れやってきます。
それでも、遅れてでも言葉にしておきたい。
そう思わせてくれる歌たちに、今週は出会いました。
豊かな時間ってこのように過ごすときなのかもしれませんね。
今日は、このあたりで筆を置きます。
それでは、また遊びにいらしてくださいね!
(了)
週末はここnoteで、詩とその背景をまとめています。
詩はXに置いています。月水金、20時半を予定。
そして、画像はPinterestにも置いていきます。
200以上のボードを作って、「好きの蒐集場」となっています。
一言で言うと、オタクの世界ですが、
よかったら覗いてみてください。
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