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愛しているけど再演しない(臨月に突き止めた恐怖の正体)

こんにちは、からあげと言います。(年々むね肉の唐揚げが好きになる)

JTC総合職で長年働いてきたゆる社畜が30代後半にして妊娠に至り、とうとう臨月に突入しました。

妊娠のずっとずっと前から母になることへの不安を抱えていましたが、とある本とnoteをきっかけに、ついにその正体を掴みました、というお話です。

以降、少し長くなりますが、自分のために、そしてもし同じように悩まれている方の参考になれば……の気持ちで綴ってまいります。


きっかけは一冊の本

妊娠を機に読んだフィリッパ・ペリーの「自分の親に読んでほしかった本」が、わたしには効きました。

「人は無意識に、自分が親にしてもらったことを自分の子どもに対して行う生き物。嬉しかったことであれ、嫌だったことであれ」

からあげなりの要約

これを読んだとき、

「お??もしかしてわたしは、自分が我が母君を再演することを、これまでずっと恐れていたのか???」

と思い至りました。

そして恐怖の正体を掴むのに、母と自分の関係性を見つめてみたらいいんじゃないかと考えたのでした。


思い出すわたしと母のこと

前提として、わたしは母を、家族をとても大切に思っています。
そして母は一生懸命で、のんきで、少女のような可愛らしい人。

それを最初に置いておくとして。


どこまでも母であった母

母は結婚して仕事を辞めて、そこからずっと専業主婦でした。
時代の流れもあったのだろうけど、それよりも母の気質として、温かい家庭を築くことを夢見て、また喜びとしています、みたいなタイプ。

手芸や洋裁が得意で、家族四人のお揃いの服を自作しちゃうような人。

家族写真の中には、母お手製の全身同じ柄を着た四人が神妙な顔で写っているものが何枚もある。


母はわたしが中学生の頃から、ヘバーデン結節に悩まされることになる。

指を使うたびに関節が痛むらしい。
この指もダメになった。
この指も変形が始まった……と泣きながら訴えていた。
根本的な治療法は無いらしい。

大好きだった手芸や洋裁ができなくなって、家族のための料理・掃除・洗濯……家事だけが母の傍らに残された。

超健康優良児に産んでもらったわたしは、当時、母は自分の大切なものをわたしに渡してしまったんじゃないか。だから身体が弱ってしまったんじゃないかと、胸のうちで己を責めた。
(今思えば、ヒロイズムに浸りたいお年頃だったのでしょうね)


たぶんそれって更年期

痛む指に悩まされるのと同時期に、母の荒れる姿を見ることが増えていった。
作ったものを家族が食べなければ流し台にぶちまけていた。
気に入らないことがあれば声を上げて泣いていた。

いま思えば、更年期が来ていたのだろう。
自分でも自分をコントロールできず、さぞ苦しかっただろう。
わたしはよく分からない嵐に見舞われた感覚で、ただひたすら怯えた。
母が泣くと自動的に涙が出てくるようになり、それを見られたくなくて、自室に逃げ込むことが増えた。

母は指が痛いのだから、なるべく家事を手伝わなければならない。
母を助けてあげなければ。
わたしを産んだせいなのかもしれないのだから。

母を労わりたい気持ちと、なぜ自分ばかりがそのようにしなければならないのかと不満に思う気持ちとが、両方あった。

姉は少し前に派手な反抗期を迎えており、家族を愛する母はそれにひどく悲しんでいた。
そんな様子も見てきたので、自分は反抗すまいと思う一方で、自我を押し込めることに溺れそうになっていた。

わたしは思春期だった。


そしてエセ平和主義者の出来上がり

結果、わたしは平和主義の家族思いな女に育った。

夫はわたしをそう捉え、それを美徳だと思っていくれている。

わたしに言わせれば事勿れ主義なだけで、家族思いは「そうあるべき」と思うからそのようにしているだけなのだけれど。
疎ましい癖だと思いこそすれ、美徳とは思っていない。

ただ、わたしはこれまで人間関係で深く悩んだことはなく、仕事も楽しくやらせてもらっていて、夫と楽しく暮らしており、そのように育ててくれた両親(特に母)には、結局のところ感謝しかない。


わたしが本当に恐れていたこと

きっとそうなのだ。

"母親"は己の全てを差し出し、情緒もバグるくらい大変な任務。
とても自分には務まらない……。
というか、務めるためにはあらゆるものを差し出さなければならない任務、そんなものは御免だと思っていた。

そしてもし、子を産み母となったわたしがそのようになったら。
その子どもは(かつてのわたしのように)、母に寄り添い、喜ばせようと家庭内のバランスを勝手に取ろうとする事勿れピエロになるかもしれない。

そんな再演は望んでいない。
でも避ける自信もない。
こわい。
子育てって自分には不相応かも。
一人なら(夫と二人なら)どうにでも楽しく生きていけるし。

そんな気持ちが、ずっとわだかまっていたのだと思う。


それでも妊娠したからには

子を持つ選択……という記事でも少し触れたけれど、一般的に見ればやや消極的な理由から妊活に取り組み、幸いにも妊娠に至りました。

もう後戻りはできないしするつもりもないからこそ、わたしがどのような母親になりたいかの整理が大切だと、noteにこうして縷々綴り、本を読む中で考えたのでした。


大前提:自分自身の生を謳歌する

いま思うのは、わたしには「わたし」という人生をもっと楽しむ姿勢・マインドが必要なのではないか?ということ。

母という役割への報酬は家族からの感謝しか無いから、わたしはこんなにあなたたちに尽くしていますよ!という献身アピールがちょっと強くなりがちなのだと思う。
(少なくとも我が愛しの母君の場合は、そうだったと思う)

だとすると、母という役割だけではない"わたし"の部分を保ち続け、母という役割も含めたわたし自身という生を全うすべきで、そういう態度が滲み出てくることが大事なのではないかと思った。


子ども感情を受け止める器になる。
嘘をつかないし省略もしない。
自分の限界が来る前に、自分を主語にして要望は伝える。

あの本にもそう書いてあって、ひどく納得したのだった。

母とは違うアプローチを試してみたい。
(母を否定するわけではなく、再演ではない形の実験だと思って)




母自身が人生を謳歌している姿を見せることが、子にとっての安心感につながるといいなと思っています。
「母も自由なんだから自分も自由でいいんだ」と、思ってもらえると良い。

だからこそ改めて、仕事は続けるべきなんだろうな。
絶対に大変だろうけど、何らかの形で社会性を持ち続けないと我が母を再演しそうで怖い。

育児や仕事に関係のない趣味を持ち続けたいし、願わくば自己実現もできたらと思う。

noteもその一助になれば嬉しいし、産休育休の機会を使って自己投資・自己研鑽もしたい。
そしてそれらが、仕事や家庭運営に活きたら一番いいことだと思う。
良いサイクルを回せたら。


"母になること"への恐れはまだ消えたわけではないけど(そもそも出産がめちゃくちゃ怖い……臨月なのに……)、でもそれは、母を再演しなければならないという恐怖ではなくなって、よかった。

noteを通じた言語化・明文化によって見えたものだと思う。
noteを始めてよかったな〜

いつもありがとうございます☺️🙏

ぜひ皆さんが育児で心掛けていることも教えてください。
(めちゃくちゃ頭でっかちになっているような気がして……)


今回のような、妊娠に至って思うこと(不安や恐れの心の内側)を何回かnoteに書いているのですが、👇のマガジンにまとめました!
同じようなことを考えている・考えがちな方に「こんなパターンもあるよ」とシェアできたら良いなと思い、置いておきます。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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