「創作大賞2024」に応募するはずだった「夢で啓示が始まる」が消えてしまった【夢の話、または短編小説の種 #14】
彼はいまにも泣き出しそうな表情でうつむいている。二カ月ほどかけて仕上げた作品が消えてしまった絶望感に包まれて、夢ならいいのにと思っている。その事実を知った彼女はグラスのなかにたっぷりと氷を積み、熱いコーヒーを注ぐ。
彼は十九歳のころからずっと小説を書いている。働かずに書き続けている。けれども、ずっと陽の目を見ない。単なる小説家志望の日陰者としてずっと暮らしてきた。
「そんな目で見ないで」「二人が出会ったとき」「虹のかけらを」「夜明け前の男たち」「あるいは静かに泳いで」──何度も完璧だと思った作品を応募してきたが、ずっと吉報は届かない。ちょうど十年、書いては無視されての繰り返しを続けてきた。航空会社に勤める彼女とは結婚せず、それなのに彼女に養ってもらってきた。
ある晩、型落ちのMacBookで「それでも女は踊り続けている」という作品──映画監督を夢見てワイト島からロンドンに出てきたリアンという女性が主人公の話だ──の仕上げに取りかかっているとき、彼女からnoteが「創作大賞2024」というコンテストを開いていることを聞かされた。彼はまたとない機会だと思った。同時にどういうわけかラストチャンスだと考えた。
アイスコーヒーを飲みながら、「応募してみるよ」と彼は言った。
「それがいいと思うわ」と彼女は言った。
「これまで書いたものとも、いま書きかけているものとも、全く違うものを書いてみようと思う」
「あなたなら書けるわ。わたしはあなたの才能を信じているから」
彼は力がみなぎるのを感じた。「ありがとう」と言ってうなずいた。
「受賞するのを待ってるわ」と彼女は笑った。
その笑顔が合図のように、彼はゆっくりと「彼はいまにも泣き出しそうな表情でうつむいている」と文字を打った。物語がどう広がっていくかなどお構いなしで、いつものように書き進めていけば、勝手に話が転がっていくはずだ。ほどなく主人公は自身と同じ小説家志望の日陰者となった。
寝る間も惜しんで書き続けた。最後のチャンスだと言い聞かせて、食事をとらずに文章を自由に泳がせていく日もあった。二カ月ほどかけてようやく磨き上げた作品には「夢で啓示が始まる」という題名をつけた。十二万字の大作を彼女は読まず、けれども「素敵なタイトルね。きっとおもしろいはずだわ」と静かに言った。
縦書きの原稿をMacBookで読み直してみる。うん、いい長編小説だ。彼はあらためて自分に期待した。noteには連載形式で掲載するつもりだった。ところが、noteのアカウントをつくっているとき、事件が起きた。MacBookの画面が急に暗くなり、文字どおり死んでしまった。七月十七日の夜の出来事だ。彼は頭が真っ白になり、目の前が真っ暗になった。
原稿は出力していないし、バックアップもとっていない。十二万字の苦労が一瞬で消えてしまった。ペパーミントグリーンのソファの上に落ちるように座り、そのことを話すと、彼女は「パソコンがだめでも、データは復旧できるんじゃない?」と言った。でも、彼の一度沈んだ気持ちはどうにも戻りそうになかった。そして彼はいまにも泣き出しそうな表情でうつむいている。
彼はこれで終わりだと悟った。生きる希望を失った。ペパーミントグリーンのソファの上に死体のように横たわると、のどが痛いことに気づいた。
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