日記を書く【夢の話、または短編小説の種 #8】
今から五年前、ぼくがまだ十九歳になったばかりのころ、一つ年上のガールフレンドは日記をつけていた。恋人同士になる前に、下北沢のサンデーブランチというカフェで教えてくれた。
「小さなころから日記をつけてるの」
「そうなんだ。どんなことを書いているの?」
「なんでもないことよ。その日あった出来事とか感じたこととか、たった一行でもいいからとにかく書くの。もう十年になるかな」
「昔のものを読み返すことは?」
「うん、たまにね。まるで自分じゃないみたいに思うこともある」
「そこには何人もの自分がいる」
「そう。そんな感じ」
アルバイト先の雑貨屋で知り合ったぼくたちは、どちらからともなく付き合い出した。夏の花火大会を楽しんだあと、彼女が一人住まいしている部屋で初めて体を重ね合ったのがきっかけだ。なんというか、彼女はとても情熱的でうまかった。
それから何日かあとの朝、彼女はお気に入りだというオリーブグリーン色のソファーの上にうつ伏せになって日記を書いていた。ぼくはまだベッドの上で夢見心地で、紅色のノートが一瞬血のように見えてぎくりとした。内容が気になったぼくは訊いた。
「何を書いているの?」
「さっきまで見ていた夢の話。わたしたちが……」
何か言いかけて、けれども彼女は黙ってノートを閉じてしまった。どういうわけか空気が張り詰めた部屋には彼女の好きなオアシスの「ワンダーウォール」が流れていた。彼女は起き上がり、静かに煙草に火をつけた。夢のなかでぼくたちはどうなったのだろう──ぼくはベッドに横になったまま、音楽を聞くともなく聞いていた。
どちらからともなく恋人同士になった二人は、一年後の夏、同じようにどちらかともなく離ればなれになった。何か特別な理由があったわけではない。会わない時期が増え、連絡もとらなくなり、彼女がアルバイトをやめ、自然と別れが訪れた。その後、彼女とは一度も会っていない。どこで何をしているのかもわからない。
いずれにせよ、彼女が夢の話を日記に書いていた光景は今でもはっきり覚えている。人生の大切な一部をずっと忘れないように、ぼくはあの日に始めたこの日記を書いている。
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