私が被ってたのは猫じゃなくなく何だった⁈
薄々お気づきの方もいるかもしれませんが
私、優しい人間でもいい人でもありません。
「優しそう」とか「優しい」とか
言われることもありますが
あれはただの打算です。
優しいってこんな感じかな?とか
「こうしといたほうが嫌われないかな?」
「こんな醜さを出したら嫌われるか
言わないでおこう」
そうやって
頭の中で計算して生きてるだけです。
本来の自分は、
気性荒くて短気、
協調性はなく
感情に流されず冷徹な面もあります。
人の気持ちなんてお構いなしに突っ走る、
猪突猛進なところも(干支の影響かな🐗)
心の声が毒の塊だったり
(全盛期よりはいまは丸くなったと思う)
「この人とは多分分かり合えない」と
悟った時の心のシャッターを
下ろす速度が異様に早い。
そしてシャッターを下ろしてからの対応は
もはや「虚無」(接客業なのに)
本当どうしようもない人間なんです。
多分それが垣間見えちゃうんでしょうね。
それか出しまくってるのかも‥‥。
あまり人からは好かれないです。
でも、こんな奴でも「優しい人間」でありたいと
は思ってるんです。
だから、なるべく対応を丁寧にしたり、
言葉遣いを気をつけたり。
自分がされて不快な事は
なるべく人にはやらないように
気をつけていると…
いつの間にか、人の顔色とかばっかり
伺って生きてたりします。
要するに猫の被り物を被りきれていない。
ほころびがある程度ならまだいいんでしょうが、
もはや、
「真ん中から半分しか残ってない仮面
(半面猫半面人間)」
みたいになっているのかもしれません。

この中途半端な姿だから
人を怖がらせたり、
嫌われたりする原因なのでしょう。
そんな中途半端な人間の
いい塩梅や着地点ってどこにあるのでしょうか。
私の感覚では
世の中の人は
みんな被りきれてる人が
多いように思います。
ちゃんと可愛い猫を演じている。
(そんな風にみてしまう私って?やはり?)
それとも純粋にいい人が多いのか?
でもたまに接客してて
「あっ、この人わたしと同じタイプ?」
みたいな人を発見します。
同じ毒のようなものを感じます😆
正直あまりいい気分はしません。
ということは?
そういう人に嫌悪を抱くってことは
自分が自分の中の
「毒を認められてない」
「許せてない」
という事なんだろうか。
「毒はあってはいけない」と否定しているのか。
私は「人間性がよくない」なんて
口では認めてる風を装っててるけど、
本当は自分のドロドロとした部分を
私自身が一番嫌っているのかもしれません。
でも、noteを書くことによって
自分に嫌悪してる自分を
発見することに成功しました。
あとはこれをどーやって
いい塩梅や着地点にしていくか。
いや、待てよ、猫だって被り切れずにシャアーとか
猫パンチとか本性出ちゃってるときあるじゃん。
猫がゆるさらるのなら私も
許され…
最後までいったら
全国の愛猫家さんたちから
石が飛んでくる(笑)
とりあえずうちの猫様でも観察してみるか。
答えが見つかるかも。

おしまい。
