シノギ日記:俺は今日も生きている(たぶん)
### シノギ日記:俺は今日も生きている(たぶん)
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#### 1章 午前のルーティン:プールと心の浮き輪
朝8時、体を起こす。まずは水を飲む。
医者から「脱水になりやすいので、多めに」と言われている。多めってどれくらいか聞いたら、「喉が乾く前に」ですと来た。哲学の授業か。
気合を入れてジムへ向かう。途中のコンビニでスポドリを買い、財布からポイントカードが三枚出てきて少し自己嫌悪。
プールに入ると、全てが無になる。無音の中でひたすら身体が浮く。思考は沈む。心の中にたまっていたモヤモヤが、水で薄まる。
100メートルくらい泳ぐと、腕が重くなり、頭が軽くなる。
「あぁ今日も、俺は何とか生き延びているな」と思う。それが俺のシノギだ。仕事でもなく、修行でもなく、**ただ“続ける”ための運動**。
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#### 2章 昼の儀式:丼と平穏
ジム帰り、腹が減る。無性に“丼”が食べたくなる。
牛丼でもカツ丼でもいい。丼という形態には、何か人間の「全部まとめていいや」という哲学がある。
味噌汁が付くと「今日は当たりだ」と思う。漬物が多いと「小さな幸せ」認定。
スマホでオーディブルを流しながら食べるのが最近の習慣だ。自己啓発書のナレーションが、やたらと元気な声で「成功とは心のあり方だ!」とか言ってくる。
牛丼をかき込みながら「心どころか胃袋で精一杯だよ」とツッコミを入れる。誰に聞かせるでもない独り言。だが、これが意外に効く。
笑うと副交感神経が働いて、ちょっとだけ気持ちが軽くなるらしい。これもまた小さなシノギ。
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#### 3章 午後:眠気と薬と、曖昧な現実
帰宅して薬を飲む。
副作用で頭がぼんやりする。眠気とイライラが交互にやってきて、心のチャンネルが安定しない。
悲しみも理由がない。ただ来て、ただ去っていく。まるで天気みたいだと思う。
寝転びながら、再びオーディブルを再生する。「マインドフルネスとは“今ここ”を感じること」だそうだ。
でも俺が“今ここ”で感じるのは、エアコンの風と、少しの焦燥と、あの独特の薬の後味だけ。
それでも、音声を聞いている間は、自分が“ちゃんと学んでいる”ような錯覚がある。
シノギとは、現実と錯覚の間に、薄い毛布をかけて眠ることだ。
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#### 4章 夕方の不調と小さな戦い
夕方になると、体がまた乾く。
喉がカラカラで、心まで乾燥してくる。外に出る気はしない。SNSを見ると、誰かが旅行してて、誰かが上司に褒められてて、誰かがプロテインを自慢している。
スクロールを止めて、水を飲む。俺の景色は、このコップ一杯の中にある。
性機能のことも、もう笑うようにしている。
薬の副作用だから仕方ない。病院で真面目に話したら、医者が妙に淡々と「そういうこともあります」と言った。
そういうこともある。
繰り返しているうちに、少し楽になった。俺の身体は不完全だけど、だからこそ「まだ動いてる」ことに感謝できるようになった。
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#### 5章 夜:静かな格闘技
夜は静かに過ごす。照明を落とし、耳にイヤホンを差し、オーディブルの続きを聞く。
誰かの声が遠くで「生き方に正解はない」と語っている。
それを聞きながら、俺は「じゃあ不正解でもいいや」とつぶやいて笑う。
時々、涙が出る。理由はない。
でも、その涙のあとに少し眠くなり、布団に潜る。呼吸だけがリズムを刻み、心拍が音楽みたいに聞こえる。
これもまた、俺の“日常のリズム”だ。仕事ではない。誰に誇るでもない。でも、**毎日立ち上がること、泳ぐこと、食うこと、飲むこと――それ全部がシノギ。**
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#### 終章:生の小商いとしての生活
俺の生活は派手じゃない。成果もない。
でも、こうして書いているうちに、少し楽になる瞬間がある。
たぶん“noteを書くこと”も俺の中の一つの治療であり、社会との細いパイプだ。
笑える日もあるし、壊れそうな夜もある。けど、そういう波をまとめて“人生”と呼ぶなら、俺はその海で今日も泳いでいる。
シノギとはつまり――
命をやりくりしながら、それでもユーモアを忘れずに進むこと。
今日も、明日も、俺はきっとどこかで水を飲みながら思うだろう。
「俺、まだ生きてるやん」と。