犬のマナー|連載「あなたのDOGを見せてください」第12回|僕のマリ
犬が好き。でも自分が犬と暮らしているわけではない。ただ、犬が好きなのだ。そしてその気持ちが、今日も筆者をどこかの誰かの犬=DOGに向かわせる。これまで自分自身を深く見つめて執筆を続けてきた文筆家・僕のマリが次にテーマに見据えるのは、とにかく好きでたまらない「犬」という存在。この連載のゆくえや、いかにーー。
第12回となる今回、著者が見つめるのは犬のマナー。著者が犬と暮らしていた幼少期と現代では、犬を飼う側の人間のマナーも価値観もアップデートしていることを感じる読者も多いのではないか。でもそれは決して面倒なことではなく、社会全体の意識が明るいほうへ向かっていくことのひとつの現れかもしれない。少なくとも著者はそう考える。
書き仕事を始めた七年ほど前から、「ポメラ」というデジタルメモを使用している。ポケット・メモ・ライター、略してポメラ。「ポメラニアン」のようでいい響きを持っている。キーボードで文字を入力して記憶する機能に特化したもので、機械の操作が苦手な自分にとって、ポメラのシンプルさは潔く簡単で使い心地が良い。アップデートなどはされないため、例えば「令和」という単語をポメラは知らず、いまだに変換できない言葉であることから、その度にこの機械が平成生まれであることを思い出す。平成がだんだんと遠くなっていくにつれて、自分が生まれた時代の記憶が蘇る。
近頃、「昭和のありえない常識」といったような文句で、令和と昭和を比べてクイズ形式にした特番がある。現在では考えられない昔の常識に若い芸能人が仰天したり、昭和生まれの人々が懐かしんだりする特集が定期的に放映されているものだ。今年は特に昭和元年から起算して満百年であるため、「昭和百年」と冠してそのような番組がたびたび放映されているが、自分が生まれた平成初期も、まだまだめちゃくちゃな時代を引きずっていたと回顧する瞬間がある。
幼稚園くらいの頃だったか、暇を持て余していた昼下がり、チャンネルを変えていたら午後のロードショーで映画が始まった。当時は新聞のテレビ欄を読むのがまあまあな娯楽であったため、テレビ台の横から今日の朝刊を引っ張り出し、どれどれといま放送されている映画のタイトルを探す。そして横にいた父に「エマニエル夫人って、何?」と聞いた。父は「いやらしい映画!」と言い捨てたあと、リモコンを奪ってお昼の情報番組に変えてしまった。半ばキレている親の態度で相当見せたくなかったのだと察してそれ以上は追求しなかったが、以来自分の頭の中の引き出しに「エマニエル夫人」という単語はどっかりと座っていた。エマニエル夫人は回避したものの、当時はテレビで割と普通に女性の裸が写っていた時代だった。サスペンスドラマや「志村けんのバカ殿様」など、バラエティでもドラマでも突然女性の裸が出てきてギョッとしたものである。家族で視聴するには気まずいシーンがゴールデンタイムに何度も流れていた平成を思うと、現代のテレビには色んな意味での安心感がある。三十三歳の自分ですら「時代は大きく変わっている」という実感を重ねつつあるのだから、もっと長く生きている人たちからすれば、相応の感慨や戸惑いがあるに違いない。
日課であり、趣味であり、自身の生命線でもある、よその犬の観察をしていても時代の大きな変化を目の当たりにする。現代では犬用の服を着せることが珍しくなく、人間のベビーカーのような犬用のカートに乗せられて移動する犬がたくさんいて、犬用の無添加フードや栄養サプリ、誕生日用のケーキなども販売されている。外飼いの犬ですら昨今は珍しくなり、「犬は家畜」という昔の価値観を持つ世代はあらかた空へと旅立った。わたしの祖母の世代は人間の残飯を食べさせて番犬として適当に飼っていた家庭も多かったようで、もし令和の犬たちの暮らしを見たら大層驚くだろう。
犬が散歩中におしっこをしたら、持参した水をかけて流す、というマナーも最早当たり前のようになっている。正直な気持ちとしては、尿を水で薄めて広げることに何の意味があるのかとやや疑問ではあるが、そうした姿勢を他者に見せることがそもそも大切なのかもしれない。自分が犬を飼っていた頃にはそんな光景を見たことがなく、それは時代のせいなのか、単に田舎住まいだったからなのかわからない。二十年くらい前に都会で犬を飼っていた人に聞いてみたい。
この何年かで、犬を飼う人間のマナーも価値観もアップデートを重ねているようだ。子どもの頃からは想像できないくらい暑い夏を何度も迎え、太陽の出ている時間にアスファルトの上を歩かせる飼い主も減った。犬用の靴を履かせていたり、首に保冷剤入りのネッククーラーを付けていたり、人間の外出時は留守番する犬のためにエアコンを入れたまま出かけたりと、人間と同じような待遇を受けさせる家庭が少なくない。この災害級の暑さを考えれば、命の危険を防ぐためには当然の対応とも考えられるが、言わば人間の子どものような扱いを受けている犬が増えた。昔の価値観で言えば番犬や家畜だった生き物が、「家族」として尊重されるようになった結果とも言える。もうひとつ考えられるとすれば、平成から令和にかけての人権意識が急激に進んでいったように、社会全体で弱い立場の存在への配慮が重視されるようになったことが関係しているのではないだろうか。子どもや高齢者、障害のある人への多角的な配慮を社会全体で希求していった結果、その倫理観が動物へも向かうようになったという印象を受ける。「苦痛」というものに多くの人が敏感になり、個として、ひとつの命として尊重しようという働きが広がったのだと推測している。「ハラスメント」という言葉が台頭して久しいが、誰かが不快になったり傷ついたりすることを社会全体で気にかけるようになったという事実を、もっと素直に祝福してもいいと思う。いつもそう思う。「セクハラ」「パワハラ」に始まり、様々な現象を「ハラスメント」と名付けて糾弾する世の中に窮屈な思いをしている人も存在しているようだが、社会全体の意識や眼差しが変わったことで人間以外も穏やかに生きることができる、という明るい歴史が幕を開けた。そんな時代を過ごした経験は、自分の人生を照らすよすがになる気がする。
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最近家族で旅行したとき、三歳の姪っ子が突然「マナーってなに」と聞いてきた。あまりに突然で、「なんで?」と聞き返すと、「ブルーイが『犬もマナーを守ろう!』って言ってた」とのことだった。『ブルーイ』とは、この頃幼児の間で流行っているオーストラリアのアニメで、犬が主人公らしい。朝観た回のその台詞が印象に残ったのか、アニメを観てからしばらく経った後でわたしに聞いてみたようだった。しかし、改めて聞かれると、三歳の子がわかるように説明することがすぐにはできず、兄に水を向けて答えてもらった。その瞬間は言い淀んでしまったが、そういえばわたしはこの旅行で何度、公共の場で声が大きい彼女に「アリさんの声でお願いします!」と言ったかわからない。そして、旅館のスリッパをなくした姪っ子がわたしの夫の足の上に立って「スリッパがないよー!」と叫んでいた姿を思い出して何度も笑っている。それもこれも、マナーだったよね、といまなら思う。
僕のマリ
1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』(柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房)『記憶を食む』(カンゼン)など。自費出版の日記集も作っている。
次回は、8月28日頃の更新予定です。
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