空想旅行へ(2025/3/14)
名古屋に出る機会があったので、
ジャン=ミッシェル・フォロン展へ足を運んできた。
空想旅行案内人のフォロン。
星の王子さまを彷彿とさせるようなやさしいファンタジー味のある絵に惹かれて。
金曜ってことで20時まで開館してて、時間的都合も良かったし。

名古屋展の会期、割とギリだけど滑り込めた。
フォロンについてはほとんど無知に等しかったけど、
純粋にいい旅行ができたなぁという感想。
なにもない(=空っぽな)場所に点が出来、
点がつながって線が出来、
それらが歪み合わさることで「?」が出来、
その結果として考察の余地が生まれ空想世界が出来る。
そんな空想世界の旅行を楽しんできた。
展示されていた作品は一貫してポップでやさしい世界観のもの。
それでありながらも暗いテーマ、人間の矛盾を感じるような所まで
旅してきた。

展示の終盤、リトルハットマン(フォロンの作品内で旅する人)の先に
光があった。

光が何を表すかは解釈次第だとは思う。
そこに希望とかの明るい未来を見出す人もいるだろうなぁと思った。
ただ、自分は光を「空」の象徴のように感じた。
空とかいて「そら」じゃなくて「くう」と読むほうね。
くうのしょうちょう。
空(そら)にぽっかり穴が空いてるみたいに見えた。
何もない感じ。虚無。からっぽ。
色即是空 空即是色 のフレーズを思い出す。
全てのものは実体のない事柄であることを表す仏教用語。
最近、映画「色即ぜねれいしょん」見たバイアスが
かかった結果な気もしなくもなくもないけど。
いや、かなりこの影響はあるだろうな。
最近触れた言葉として新鮮に脳に残ってるわけだし。
けど、少なくとも今日の自分には
フォロンは色即是空 空即是色を表現したかったんじゃないかなって思えた。
全ては結局空なんだぞって。
空想旅行って「空を想う旅行」なのかもって。
考えすぎな気もするけど。 解釈は自由だからね。
そんなことを考えた。

もう一つ感じたことを。
序盤の作品に土偶に通ずる何かを感じたことを語りたい。
パレイドリア現象を活用したような作品たちに土偶を感じた。
完全にハート型土偶やんってのもあったし。
フォロンの作品には社会の都市化を反対する姿勢を感じるものもある。
それを鑑みると、縄文時代の作品と似るのは当然の結果なのかもなと。
都市化された社会の影響を受けず、
人間としてあるがままの感情を表現したら、
土偶ishななにかが出来るのかもなぁという空想、というより妄想。
展覧会名からして空想したり、想うがままに思考してくださいって
言ってるようなものだから想像、妄想が膨らんだし
いつもに増して作品について考え咀嚼しつつ、
いい意味で頭でっかちになりつつ、
そんな自分を否定しつつ、
作品に挑むことが出来たと思う。

結構喰らった。
これはいい経験だった。
思ったことや感じたことを衝動に駆られるままに書き殴ったら、
まとまりない文章になってしまった。
ま、鉄は熱いうちに打てってことで。

辛い。が、美味い。
名古屋だけに、これでおわり(尾張)。
なんつってね。
お後がよろしいようで。
