TOEIC900点対策:ゴッドファーザーとメグ・ライアン
ノーラ・エフロン監督の、『ユー・ガット・メール』という映画の話だ。トム・ハンクスとメグ・ライアン共演。
この映画に出会ったのは、塾講師をしていた頃だ。高校の英語の教科書を和訳して、解説を作る、そういう仕事もしていた。高校三年生用の教科書だったと思う。そこに、この『ユー・ガット・メール』のセリフが出てきた。台詞といっても、かなり長い。映画のスクリプトそのものが、教科書に、載っている。それが、かなり手こずった。
和訳しながら、これは一体どういう映画なんだと気になり始めた。それで、DVDを借りてきた。日本語字幕を見ながら、セリフの意味を調べようと思っていた。だが、調べる以前に、この映画そのものが面白かった。セリフがうまい。演出もうまい。トム・ハンクスとメグ・ライアンの組み合わせが、最高だった。
そして、何より、メグ・ライアンが可愛かった。それが、この記事の始まりだ。
映画で英語を勉強する。そう言うと、たいてい簡単な日常会話を思い浮かべる人が多い。だが『ユー・ガット・メール』は違う。特にジョー・フォックスが打つ「ゴッドファーザー」のセリフは、TOEIC900点を目指す人にこそ効く教材だと思う。長い。しかも構文が凝っている。だが、だからこそ読み解く価値がある。何より、あのセリフを画面の向こうで読んで笑う、メグ・ライアンがいる。
冒頭の一文だけ、抜き出してみる。
(ここで、ただし書きを一つ。ゴッドファーザーに興味がない、あるいは見たことがないという人もいるだろう。だが、この後に出てくる引用は、映画のセリフとしては、かなり有名な部類に入る。しばらく、我慢して付き合ってほしい。)
"The Godfather" is the I Ching. "The Godfather" is the sum of all wisdom. "The Godfather" is the answer to any question.
I Ching(アイ・チン)とは、易経のことだ。古代中国の占いの書で、どんな問いにも答えを与えてくれる、あの古典である。つまりジョーは、こう言っている。「ゴッドファーザーは、易経のようなものだ。あらゆる知恵が詰まっていて、どんな問いにも答えをくれる」映画の名台詞を、人生の指南書扱いする。そのキザなところが、まず面白い。
同じ構文("The Godfather" is ~)を、三回、畳みかける。この繰り返しのリズムが、まず、耳に心地いい。だが、問題は、ここからだ。ジョーは、「ゴッドファーザー」を、万能の答えとして扱い、次々と、具体例で押し切ってくる。
What should I pack for my summer vacation? "Leave the gun, take the cannoli."
夏休みの荷造りの答えが、まさかの「拳銃は置いていけ、カノーリは持っていけ」カノーリはイタリアの菓子だが、そんなことより、日常の質問に対して、映画の名台詞を、そのまま返すという構造そのものが、面白い。日本語に訳しても、面白さの半分も伝わらない、英語ならではのユーモアだと思う。
さらに、この先を見ていくと、こんな一節がある。
And the answer to your question is 'Go to the mattresses.' You're at war. 'It's not personal, it's business. It's not personal it's business.'
"go to the mattresses"。直訳すれば、マットレスに行け。だが、これは、ギャング映画特有の慣用句だ。臨戦態勢に入る。戦争を始める。そういう意味になる。かつて、マフィアの抗争時代、身を隠すためのアジトに、マットレスを敷き詰めた。その名残だと言われている。辞書を引いても、すぐには出てこない。映画を通してしか、身につかない類の言い回しだ。
TOEIC900点を狙うレベルになると、単語や文法の正確さだけでは、足りない。こうした比喩表現や、慣用句の背景まで理解して、初めて、パート7の長文や、リスニングのジョークが、「分かる」ようになる。ジョーのこの長台詞は、まさに、その訓練にうってつけだ。
正直に言えば、これは、TOEICに出てくる単語でも、構文でもない。そんなことは、分かっている。ただ、このセリフが、本当に凝っている。難しい。だからこそ、たまにはこういうこだわりのセリフも、楽しんでほしいと思う。難しい文学作品を一冊読み通すよりは、よほど楽なはずだ。
そして、この長台詞を、画面の向こうで読みながら、ケイトリンは、声を出して笑う。
このシーンのメグ・ライアンが、格別にいい。ジョーの長台詞を、パソコン画面越しに読む。声を出して、笑う。まだ彼女は知らない。この「ジョー」が、フォックス・ブックスの経営者で、自分の書店を潰そうとしている張本人だとは。画面の向こうにいるのは、ただ、ウィットに富んだ、少し気取った文章を書く、見知らぬ相手。その無邪気な笑顔こそが、伏線になっている。この映画の後半で待っている、あの展開への。
知らないから、笑える。知ってしまえば、もう、同じようには笑えない。メグ・ライアンの表情は、そのぎりぎりの一瞬を、捉えている。
そして、この笑顔は、ラストシーンの表情へと、そのままつながっていく。公園で、ようやく「ジョー」の正体を知った、ケイトリン。涙を浮かべながら言う。一言。
I wanted it to be you. I wanted it to be you so badly.
同じ言葉を、二度、繰り返す。一度目は、静かに。二度目は、その想いを押し出すように。派手な台詞でもない。難しい単語でもない。ただの、平易な文だ。それが、涙と一緒に発せられると、こんなにも、胸に迫る。英語の勉強のつもりで、見返しても、結局は、この一言に、毎回、持っていかれる。それもまた、この映画を、年に一度、見返す理由の一つだと思う。
TOEIC900点。単語帳と問題集を、地道にこなしていれば、いずれ届く数字だ。誰にでも、開かれている数字だ。マグレでは取れない。900点という数字が、そのまま実力の証明になる。真面目に対策して取る900点。それも、いい。悪くない。
ただ、ときには、こういうのも、悪くない。おしゃれな映画を見て、ジョークを楽しみ、ため息をつくような女優の一言に持っていかれる。それだけの話かもしれない。だが、そうやって英語そのものを楽しんでおくことが、900点という目標に、少しだけ、違う価値をつけてくれる気がする。そんな気がする、というだけの話だ。
……と、それらしく書いてはみたものの、正直に言おう。ここまでの話は、TOEICには、ほとんど、役に立たない。"go to the mattresses" を知っていたところで、パート7のスコアは、一点も上がらない。無理やり英語学習の記事に、仕立て上げてみた。だから、効果のほどは保証しない。
たまには、心に余裕を持って、映画を楽しむ。結局、それが、一番の近道なのかもしれない。
