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兵法家・司馬穰苴(のちの世で法家に分類された人々③)

司馬穰苴。「しばじょうしょ」と読みます。

今回は彼を取り上げてみましょう。

司馬穰苴には有名な著書があります。先に紹介した呉起の『呉子』と並び、武経七書のひとつに数えられる『司馬法』という書物です。太古の昔からあった同名の書物を彼が再編し、また自身の兵法論を足して完成させたもの、と言われています。

その頃の斉の国の君主は景公でした。
彼の時代に他国からの侵攻があり、憂慮する事態になりました。
そこで、晏嬰(あんえい)が穰苴を推薦しました。

「穰苴は、文事においてはよく衆人を心服させ、武事においては敵を威圧することができます。ぜひともこの人物を起用なさいませ」

そこで景公は穰苴を呼び寄せ軍事について語り合いました。景公はたいそう気に入り、早速将軍に起用してこの国難を乗り切ろうとしました。

この時のエピソードに、こういったものがあります。

穰苴は言いました。
「私はもともと卑賤の出身です。ご主君は、そんな私を抜擢して将軍という上位の身分におすえになりました。
ですから、私にはまだ士卒は心服しておらず、官吏も信をおいていません。
つまり、私の出自は卑賤であり権威も低い状態です。
そこでご主君のご寵愛している人物で、国人が尊敬しているような人物を軍の目付としておつけくださいますようお願い申し上げます」

景公は了承し、荘賈(そうか)という人物を派遣することにしました。

穰苴は景公に挨拶を済ませ、荘賈と「明日の正午に軍門でお会いしましょう」と約束をしました。

穰苴はさきに馬を走らせて軍に至り、時計を用意して荘賈の来るのを待ちました。

荘賈は驕慢な性格の持ち主で「穰苴将軍はすでに軍に合流しており、自分は軍目付なのだから、それほど急ぐこともあるまい」と思い、遠征の見送りにきた親戚や側近たちと酒宴をひらいていました。

そんな調子なので、もちろん約束の正午になっても軍門に荘賈が現れることはありませんでした。

穰苴は時計を片付け、部隊を点検し、軍令を定めて通達をくだしました。軍令もようやく全体に行き渡った頃。

夕方になってようやく荘賈がやって来ました。

穰苴が「どうして約束の時間に遅れたのか」と問いただすと、
荘賈は「大夫や親戚が見送りにきてくれたので、手間どって遅れたのだ」と言いました。

穰苴は続けます。
「将たるものは、出陣の命を受けたならばその家を忘れ、軍にのぞんで軍令を定めればその肉親を忘れ、攻撃の太鼓を打ち鳴らすときはその身を忘れて臨むものです。
今、敵軍は斉の領土深く侵攻し、領内は騒然としている状況です。
士卒は国境付近に野営をしています。
わがご主君も心配のあまり、ゆっくりと寝床にもつけません。お食事をされても食物の味を感じられないご様子です。

わが文武百官衆庶、全ての生命は、ひとえに貴官にかかっているのです。
それなのに、送別のために遅れたとは何事ですか」

そしてそのまま軍法を司る官吏を呼んで問いました。
「軍法では、約束をしたのに、その約束の時間に遅れたものは、どのような罪にあたるのか」
「斬罪に該当します」官吏は答えます。

荘賈はこんなことで殺されてはかなわないと思い、急いで人を走らせて景公に報告し、救いを求めました。

しかし穰苴は、その使者が戻ってくる前に荘賈を斬罪に処して、全部隊にこの件に関して通達しました。

しばらくして景公の使者が荘賈を許そうと、馬車を馳せて軍中に入ってきました。

穰苴は言い放ちます。
「将たるものが軍中にある場合は、いかに君命といえども従わないことがあるのだ」
そして再び軍法を司る官吏に問いました。
「軍営中においては馬を走らせないのが規定である。しかし、この使者は馬を走らせて入ってきた。これはどのような罪にあたるのか」
「斬罪に該当します」
先の荘賈の件もあり、使者は大いに恐れました。

穰苴は「ご主君の使者は殺すことができない」とし、使者が乗ってきた馬車の御者と馬車を斬って、再び全軍にこの件を通達しました。

そうしておいて、これらの件を景公に報告させて、出陣しました。

穰苴は、こうやってまず軍紀を正しました。身分の上下にかかわらず、法は公正に適用する、ということを示しました。

いよいよ出陣した司馬穰苴。
どのように士卒の心を掴んでいったのでしょうか。

法を厳粛にし、厳しさを見せた穰苴。
軍中の彼は、士卒の宿舎や飲用水の井戸、竈の世話、また士卒の病に応じてはその病を調べて投薬をする。これら全てを自ら率先して行いました。
そして穰苴自身の将軍としての給与の全てを士卒に与え、食料も平等に分けました。
その上で自分は士卒の中でも最も虚弱な者と同等にしました。

確か先に紹介した呉起も同じような行動をとっていましたよね。

ここで士卒の心を掴むポイントは
小さな仕事でも、嫌な仕事でも、自ら率先して取り組む。
偉ぶらず、謙虚である。
この二点が共通して挙げられてきますね。

この為、しばらくして兵を点検したところ、病人も皆、出陣したいと願い、勇躍して穰苴のために戦地に赴いていったのです。

このように強く統率され、意気軒昂な穰苴の軍が迫っていることを知った他国の侵攻軍は恐れて撤退を始めました。
すかさず穰苴は追撃し、侵略されていた斉の領土を一気に取り戻していったのです。

いよいよ凱旋です。斉の都に入る前に穰苴は部隊を解き、軍令を廃止。君主に対する忠誠を再度誓いあって都に入りました。
任務完了のケジメをしっかりつけたのです。

景公はこの成果にたいそう喜んで、都の郊外にまでわざわざ出向いて慰労した、といいます。
景公は、穰苴の功績を称え、軍事の最高責任者に任じました。

穰苴の一族である田氏はこれをきっかけに大いに栄えていきました。

しかし、こんなに有能な穰苴も、この田氏の隆盛を妬んだ大夫たちによって讒言にあい、それを信じてしまった景公によって遠ざけられ、失意のうちに病没してしまうのでした。

先の呉起にしろ、穰苴にしろ、結局周囲の嫉妬による讒言によって、その職を、ひいては命を奪われる結果となってしまいました。
我々が何か行動をする際、外敵に対してよりも、身近にいる人物の動向にこそ注意を払わなければいけないようです。

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