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無敗の兵法家・呉起(のちの世で法家に分類された人々②)

呉起。今回はこの人物について見ていきましょう。

呉起の名前は知らなくとも、『呉子』という書物の名前は聞いたことがある方も多いでしょう。『孫子』と並び称される兵法書です。よく「孫呉の兵法」なんて呼ばれ方をします。

この呉起という人物、戦で負けたことがないそうです。無類の強さを誇りました。
彼の著書『呉子』に関しては別の機会に『呉子』のカテゴリで一緒に読んでいきましょう。

この呉起という人物。戦は強かったのですが、ちょっとクセの強い人物です。ただこの人物、それがゆえに我々が彼に学べる事がたくさんあります。とても魅力的な人物なので、この「呉起」のカテゴリ、少し長くなるかもしれません…。個人的にもものすごく好きな人物なので…。

では、じっくり見ていきましょう。けっこう衝撃的な人生ですよ。

呉起は衛という国の人でした。彼は用兵の術を好んでいました。

呉起は、孔子の弟子のひとり、曾参という人物に学びました。そしてその後、魯という国に仕えました。
ある時、斉の国が魯に攻めてきました。そこで魯は、呉起を将軍に起用して斉を撃退しようと考えました。
しかし、呉起が斉の女性を妻にしていたことがわかり、「斉と通じているのでは?」と、魯は疑念を抱き、この将軍への起用を躊躇っていました。

呉起は功績をあげたいと考え、とんでもない行動に出てしまうのです。
なんと、妻を殺してしまったのです。これで呉起に斉とつながりをもつ者がいなくなりました。そして自分は斉に味方しないことを示し、ようやく将軍に任命されたのです。

ここまでで既に「えーっ!」と驚かずにはいられませんよね。現代の我々の感覚では到底理解できない行動です。自分の出世の為に妻を殺害したんですよ?しかし、当時の中国に於いては親に対しての「孝」は重視されましたが、「妻」に対してはそこまで問題にならなかったようです。
呉起の生涯は極めて波瀾万丈なので、ここで驚いていてはこの先もちませんよ?覚悟してご覧くださいね。

将軍となった呉起は、斉を攻め、さんざんに打ち破りました。やはり、生涯無敗を誇った彼の戦の実力は確かなものでした。

しかし、これを面白くないと思う人物がいました。おそらく一人や二人ではなかったでしょう。それは、魯の国の重臣たちです。
他国の人間が突然現れ、将軍に抜擢。しかも華々しい戦果を挙げたとなれば、重臣たちの立場はありません。呉起が活躍するのを面白くないというのも頷けます。ここから呉起の将軍としての実力を妬んだ佞臣たちによる誹謗中傷が始まります。

今の世の中もこの当時とそんなに変わったものではありませんね。「出る杭は打たれる」といった所でしょうか。

さて、将軍として活躍した呉起。

彼を妬んだ者たちの誹謗中傷とやらを聞いてみようではありませんか。

「呉起は、嫉みが強くて残忍な男です。

若い頃は自分の家に千金もの資産があったのに、あちこち遊歴して士官を求めて失敗し、とうとう資産をなくしてしまったのです。

そのために、郷里の人々に嘲笑されると、呉起は自分を誹謗した者三十数人を殺しました。
そして東方に出奔しようとして母親に別れを告げたのですが、そのときに臂をかんで『私はどこかの国の大臣や宰相になるまでは、再び衛には帰りません』と誓ったということです。
そして曾子に師事しましたが、しばらくして母親が亡くなりました。
しかし、呉起は誓いを立てたのだと、ついに帰国することはなかったのです。
曾子は呉起を薄情なやつだ、とし、破門しました。

そこで、呉起は魯にやってきて兵法を学び、ご主君に仕えたのです。
ご主君が呉起に対して疑念を抱くと、妻を殺してまでして将軍になりたがりました。

魯は小国です。それなのに斉に勝ったということで名声が高まれば、諸侯は魯を憎んで討伐しにくるでしょう。
また、魯と衛は兄弟の国なのに、ご主君が衛で問題をおこしている呉起を任用したとなれば、衛との交誼をないがしろにするようなものです。」

この話を聞いて、魯の君主は呉起への疑いを深め、解任してしまったのです。

さて、この話を聞いて、みなさんなら何を思いますか?

呉起が遊歴しても士官できなかったのは、時を得なかっただけだ、と。それで資産を無くす結果になった、と。
あれ?そう言えば、何だか管仲も似たような境遇になってましたよね?

管仲と違うのはこの後です。その呉起の境遇をバカにした人々を殺してしまった、と。かなりの激情家ですね。

母親の死にも駆けつけなかった。儒者の考え方から言うと、これはとんでもないことです。しかし、呉起には自分の立てた、母親への誓いがありました。それを守るためには、帰る訳にはいかなかったのでしょう。

しかし、この考え方は当時の世の中の常識では到底受け入れられなかった。
ましてや孔子の弟子である曾子が許すはずもありませんね。

こうして呉起は魯を追われ、新たな士官先を求めて旅立つのでした。

魯で将軍の任を解かれた呉起は、魏の文侯が賢君だという評判を聞いて、これに仕えようとしました。

そこで文侯は重臣の李克に呉起とはどんな人物かと尋ねてみました。

李克が答えるには
「呉起は貪欲で好色な男ですが、用兵の術におきましては、かの司馬穣苴ですら彼には及ばないでしょう」

貪欲で好色な、とは随分な言い方ですが、その用兵の巧さにはかなりの評価があったようですね。
ちなみに、司馬穣苴というのは、呉起と同じく兵法家です。斉の重臣として仕えた名将で『司馬法』という有名な兵法書を著しています。

これを聞いた文侯は、呉起に興味を抱き、会ってみることにしました。

そこで呉起は儒者の衣服をまとい、兵法論をもって文侯に面会しました。
すると文侯は敢えて興味なそうに「あいにくだが、わたしは戦争など好きではないのだ」と言ってみると、呉起は、こう切り返しました。

「私は、表に現れた現象をみてその内側に隠された真実を推察し、過去の事実によって未来の出来事を洞察します。
何故、王は心にもないことを仰るのですか?

ならばこちらからひとつお伺いします。今、王は職人たちに何を作らせているのですか?

職人たちは来る日も来る日も獣の皮を剥いで朱の漆を塗り、その上に赤や青の彩色をほどこし、猛獣の絵を描いているではありませんか。こんなものを着ても、暑さも寒さもしのげません。
また、長い戟や短い戟を作り、頑丈な兵車まで作っておられます。これに乗って狩りに行くのだとしても、乗り心地が良いとは思えません。

王はこれらのものを一体何に使うおつもりですか?

有事の際に備えていると仰るなら、これを使いこなせる者がいなければ、いざという時、何の役にも立たないでしょう。
昔、内政のみを重んじて軍事をおろそかにした国は滅びました。また、軍事にのみ偏りすぎた国も滅びました。
それ故、明君はこれらの失敗に学び、内に向かっては内政を整え、外に向かっては軍事を強化するべきです。敵を前にして戦おうとしないのは義とは言えず、敵に殺された国民の屍に哀悼の意を表したところで仁とは言わないのです」

この話を聞き終えた文侯は深くうなずき、呉起を将軍に任命しました。

この後、呉起は将軍としてめざましい働きをします。おもな戦だけでも七十六回。そのうちの六十四回は完勝、他は全て引き分けだったとか。まさに負け知らず。呉起の名声は高まるいっぽうです。

さて、そんな呉起ですが、どのようにしてそれほどまでに強い軍を作ったのか。

それでは、呉起の作り上げた組織。無類の強さを誇った軍の秘密を見ていきましょう。

呉起が将軍として部隊にのぞむとき、その部下の兵士のうち最下級の身分の者と同じものを着て、同じものを食べました。寝るときも敷物を使わず、外出するときも馬や馬車に乗らず、自分の食糧は自分できちんと携帯しました。

こうやって呉起は、部下たちと苦労を分かち合ったのです。

また、こんなエピソードもあります。

あるとき、兵士の中に、腫れ物を病む者がいました。そこで呉起は、その兵士の腫れ物の膿を自らの口で吸い出してあげました。

すると、その話を伝え聞いた兵士の母親が突然、声をあげて泣き出してしまいました。
それを見た人が
「あなたの息子さんはただの一兵卒にすぎないではないですか。なのに、将軍が自ら膿を吸い出してくれたのです。なんとも光栄なことではありませんか。それなのに、どうして泣いたりするのですか?」
と尋ねると、母親はこう言いました。

「そうではないのです。先年、呉起様はあの子の父親の膿を吸い出してくださいました。父親は感激して、戦闘に際してもご恩を返そうと一歩も引かずに戦い、とうとう討ち死にしてしまいました。
呉起様は、いままた、私の息子の膿を吸い出してくださったのです。あの子もきっと、呉起様の為に戦い、どこかで討ち死にしてしまうことでしょう。それがわかるから泣いているのです」

いかがですか?

あなたの上司はどんな方ですか?

立派な椅子に座ってふんぞり返ってはいませんか?あなたの話を真剣に聞いてくれていますか?

あなたが苦しんでいるとき、困っているとき、あなたの上司はどんなことをしてくれますか?

他人の膿を吸い出す、なんて行為、なかなかできることではないですよね。
その場だけの優しい言葉をかけることはできても、自分の身を呈してまで守ってくれる人は、実際そんなに多くはないと思います。

また、既に部下をもつあなたは、部下に対してどのように日々、接していますか?

これほど部下に対して愛情を持って接している呉起ですが、もちろん優しいだけの将軍ではありませんでした。
しめるべき時はきちんとしめる。そして誰に対しても公平でした。

まずは部下の信頼を得て、教育し、厳しい訓練を重ね、その上で賞罰のけじめをしっかりつける。

そうやって鍛えられた兵士たちによって、その軍は無敵の強さを誇っていくのです。

そうです。どんなに良い武器を得ようとも、どんなに良い策を持とうとも、それを実行していく、使いこなしていくのは人間です。自分ひとりでできる事は限られています。大きな仕事を成し遂げようと思えば、多くの人々の協力が不可欠です。
さらに、この人間同士の関係が強ければ強いほど、それは確かなものとなっていくでしょう。

呉起は用兵の術に優れており、清廉公正で、能力のある者はことごとく起用し、部下たちの心もしっかりと掴んでいました。
文侯はこういった呉起の働きをみて、強国秦や隣国韓の抑えとして、西河の地の守備に任じました。呉起は文侯の期待によくこたえ、戦っては勝ち、その任務を見事に果たしていったのでした。

これまでの不遇の境遇を見事にはねのけた呉起。
この先、順調な人生が呉起を待っているのでしょうか。そうであってくれたら良いのですが、何せ、類い稀なる波乱に満ちた呉起の人生です。そう簡単にはいかないようです。さてさて…。

魏の文侯のもとで数多の戦功を挙げてきた呉起でしたが、不幸なことに文侯が亡くなってしまいました。

跡を継いだ武侯にそのまま仕えました。

ある時、武侯は舟を西河に浮かべて下り、その中流に至ると振り返って呉起に得意げに語りました。

「美しいではないか、この山河の険難な眺め。これこそまさに魏の宝だな」

すると、呉起は謹んでこれに答えました。

「国家の宝とすべきは君主の徳であります。地形の険難は関係ありません。古来、このような険難な地形を背景に勢力を誇った国がいくつもありました。しかし、どの国も君主に徳をもって政を行わなかったので滅んでしまったのです。
もし、ご主君が徳をお修めにならなければ、この舟中の人もすべて敵になってしまうことでしょう」

武侯はそのとおりだと思い、呉起を引き続き重用しました。

それからしばらくして、魏では新たに宰相の官を置くことになり、田文という人物を宰相に任じました。
呉起はこれまでの功績から、宰相になるのは自分だと思っていました。
「宰相になるまでは故郷には帰らない」
そう誓った呉起です。念願の宰相の座が届くところまできている。それなのに選任されなかった為、居ても立ってもいられず、田文に文句を言う為に会いに行くのです。

「田文殿、あなたと私とどちらが功績を多く挙げているか比べてみたいのだが、いかがか?」

「いいでしょう」田文は応じます。

呉起は続けて、
「三軍に将軍としてのぞみ、士卒を掌握し、彼ら士卒が喜んで国のために戦死させるようにし、また、敵国があえて魏に対して計謀をめぐらさないようにさせる点では、田文殿と私とどちらが上でしょうか」

「あなたには及びません」

「百官を統治し、万民を慕わせ、国の府庫を充実させるという点では、どちらが上でしょうか」

「あなたには及びません」

西河を守って、秦があえて東に向かってこの魏を攻めようとせず、韓・趙を服従させるという点では、どちらが上でしょうか」

「あなたには及びません」

そこで、呉起はたたみかけて言います。
「この三点において、田文殿はみな私より劣っています。それなのに位だけが私より上なのはどうしてでしょうか」

田文はしばらく間をおき、こう答えました。
「ご主君がまだご年少なので、国中が不安を抱いております。まだ大臣もなじんでおらず、人民も信用を置いておりません。このような時期に、宰相の地位をあなたに託すべきでしょうか。それとも私に託すべきでしょうか」

呉起はしばらく黙り込んで考え、こう答えます。
「あなたに託すべきでしょう」

田文は言いました。「これが私が呉起殿より上の地位にいる理由なのです」

呉起はこれで自分はまだ田文には及ばないことを思いしりました。

世の中には役割というのがあります。また、タイミング、というものがあります。
呉起のような優れた才を持った人物でも、時期を間違うと大事を成すことはできません。このあたり、先の管仲の所でもお話しましたね。

この田文という人物に関しては、詳しいことは何もわかっていません。
なので推測していくかかないのですが、君主が年少で、国が不安定な時期、そんな時に、それらをまとめる役。
そういう時、国の運営をしていく上で、さまざまな細かいことを調整していく人物が必要です。
諸大臣にも顔が広く、機転がきき、慕われている。この調整力、という点において呉起は田文に及ばなかったのかもしれません。

呉起も自分自身に欠けているものを悟り、及ばないとわかると素直に引き下がりました。いくら宰相の座が欲しかったとはいえ、呉起だって自分の力量がわからないほどの愚か者ではありません。仮にそのような愚か者だったとしたら、無敗の将軍、なんてつとまらないでしょう。戦場では常に激しい謀略戦が繰り広げられています。敵を知り、己を知れば百戦殆うからず、です。彼は自分自身のこともよく知っていました。

時が過ぎ、田文も亡くなってしまいました。次の宰相には公叔という人物が選ばれました。またしても呉起ではなかったわけです。この公叔という人物、先代の文侯の娘婿でした。
呉起にとって不運なことに、公叔は呉起を嫌っていたのです。

ということは?
そう、お察しの通り、またしても呉起のもとへ不幸の影が忍び寄ってきたのです。

公叔が宰相となり、呉起を追い出す計画をたてます。

呉起は、節操がかたく、清廉で、名声を好みます。

そこで公叔様はまず武侯に会って言いました。
「呉起は賢人です。わが魏は弱小であり、強国秦とその国境を接しております。わが魏は、常にその秦の脅威に脅かされております。私は、呉起がいつか魏を去ってしまわないか心配でなりません。呉起がいなければ秦に対する抑えがきかなくなってしまいます」

武侯は不安になり、どうすればいいか公叔に意見を求めます。そこで公叔は、こう提案しました。

「武侯様の娘を娶らせてはいかがでしょう。呉起に魏に留まる気があるならば、必ず娶るでしょうし、その気がなければ辞退するでしょう」

そうしておいて、公叔は呉起を自分の館に招待しました。
事前に公叔は先王の娘である妻と示し合わせておいて、呉起のいる目の前で妻に、公叔をなじり、公叔に恥をかかせるように仕向けておいたのです。

これを見た呉起は、王の娘を娶るとロクな目に合わない、宰相ですらこのような扱いを受け、妻に頭が上がらないようになってしまうのか、と思い、武侯の娘を娶る話を辞退しました。
これが罠でした。戦場での駆け引きには優れた読みを発揮する呉起も、さすがにこの罠には気づかなかったのです。

これによって、公叔の仕組んだ罠だとはしらない武侯は呉起が断ったので、魏を裏切るのではないかという思いを強めていきました。

そして疑いを向けられた呉起は、自分が反逆を計画していると、あらぬ疑いをかけられて謀殺されるのを恐れ、魏を去るのです。

この後、再び流浪し、今度は南の楚に仕えることになるのです。さて、次の仕官先は呉起にとってどのような地になるのでしょう。

魏を離れ、楚に向かった呉起。

楚の悼王は、かねてより呉起の賢人ぶりを聞いていました。

その呉起が仕官を求めてやって来たと聞いて大喜び。さっそく楚の宰相に任じました。
魏を追われたとはいえ、呉起の名声は既に天下に響きわたっていたのです。呉起もようやく念願の宰相の座つくことができました。

呉起は興奮し、張りきって宰相としての任務に取り組んでいきます。

まずは楚の国の法令を整備し、不必要な官職を廃止、また、公族であっても疎遠なものの官職を廃して、その官職を戦闘部隊の兵士に対して与えるなどし、軍の養成に努めました。
これにより楚の兵は見違えるほど強くなり、遊説者の甘い言葉に惑わされることなく、自国の力でしっかりと地に足のついた組織を運営していきました。

南は百越を平らげ、北のかた陳・蔡を併呑し、三晋をしりぞけ、西のかた秦を伐った、といいますから、まさに向かう所敵なしといった状態です。あっというまに強大国、楚ができあがりました。

悼王も大変喜び、事あるごとに呉起を重用していました。呉起もその期待によく応え、まさに天を覆い尽くす勢いです。

ここで物語が終われば良いんですが、現実は何とも残酷なことか…。

呉起にとっての不幸が再び彼を襲います。悼王の死でした。

呉起。彼にもう少し時間的な余裕があれば。もう少し、足元の人間に目を向けていたなら。後悔先に立たずです。

一気に改革を成し遂げたがゆえに生まれた弊害。それは、呉起によって官職を奪われ、権力を剥奪された楚の公族。

急すぎる改革や変化は、必ず誰かしらの恨みを買ってしまいます。これまでは悼王の力もあり、これらを抑えつけることができていましたが、悼王の死をきっかけに、その不満が一気に吹き出してしまったのです。

呉起にしてみれば、楚を強国につくりあげる為に尽力しただけでした。ろくに仕事もせず、公族というだけで国のお金を浪費していた公族。こういった人物はいつの世にも存在します。現代でいう所の天下り官僚や大会社の無能な一族たち。

不運にも呉起には彼を庇ってくれる良き君主、悼王はもういなかったのです。公族たちは大反乱を起こし、呉起を攻めたてました。成す術なく呉起は逃げだし、まだ死して日の浅い悼王の屍のもとへ駆けていきました。そして、悼王の屍の上に覆いかぶさります。
公族たちといえども、このまま呉起に対して矢を放てば、悼王にも当たってしまいます。そうなれば彼らは真の反逆者になってしまいます。

しかし、怒り狂った彼らは悼王もろとも呉起に矢を射かけました。あわれ呉起。矢の雨についに命を落としてしまったのでした。

悼王の死後、新しく太子が立つと、呉起を射殺した者、悼王の屍にまで矢を射かけた者をことごとく誅殺しました。その誅殺された家はゆうに七十を越えていたといいます。

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