【Baku】なつめやしのうた
夏の朝、私に話しかけてくれたのは、なつめやしの木だった。
バクーの街路には、まばゆい緑を湛えた並木が、どこまでも続いている。背の高い緑の木々は、その優しく大きな枝を差しかけて、行き交う人々の頭上に、涼やかな木陰をつくる。――桑、無花果、柘榴、アーモンド、胡桃、オリーブ。その多様な植生に触れるたび、ここがかつて絹の道に連なるオアシス都市であったことを、私はふと思い出す。
太い幹にそっと耳を寄せると、微かに水の音がする。この乾いた灼熱の土地の下で、それぞれに息づいている、小さな水脈。

私はときどき、木と話をする。
正確には、映像を受け取る、という方が近いのだけれど。
それがこの土地で初めて叶ったのは、アゼルバイジャンに引っ越してきて、もうすぐ二年になろうという、ある夏の日だった。
その木は、赤く粒を連ねた果実の房をひとつ携えた、まだ若いなつめやしだった。なつめやしは、百年、あるいは二百年を生きるという。アゼルバイジャンの地ではめずらしい存在で、この庭の雰囲気に異国めいた彩りを与えるために、おそらく南や西の国々から運ばれてきたのだろう。
その木に、私は自分自身を重ねていた。海を越え、国境を越え、本来の土壌から切り離されながら、それでも新しい土地に根を下ろそうとしている。シルクロードの昔より、交易の要衝だったこの街には、そうした異邦人たちが流れ着きまた去っていったのだろう。このなつめやしもまた、その長い往来の記憶に連なる、寡黙な移民のように私には思えた。
樹木と通じるには、時間がかかる。木々の声は小さく、私たちの世界はあまりにも雑音に満ちている。私は、幾日もそのなつめやしの梢を見上げて過ごした。毎日の買い物の行き帰り、少し遠回りをしては、掌だけをそっと幹に触れてみる。私は、語りかける。求める。声にのせて、心のなかで。
けれど、返答はなかった。——その朝までは。
木々とは、その土地の記憶の書庫だ。木が私たちに見せてくれるのは、その断片にすぎない。ある場所に据えられた定点カメラのように、幾百、あるいは幾千の時間を記録し続けながら。その膨大な蓄積のなかから、樹木が、私たちのためにランダムに選び、差し出してくるもの。

その日。
私は、混乱していた。
刺激が多すぎたから。多くを語り、多くを聞いた。国境の戦場で、若い命が絶たれたという報せ。その喪失は、純粋な痛みだ。そこへ、国家や、正義や、社会という概念が折り重なり、痛みは次第に輪郭を失ってゆく。流されなかった涙と、昇華されないままの叫びが、頭蓋の内側にタールのように貼りついている。過剰な刺激にさらされた思考は、やがて静かに硬直していった。
その隙を、闇が見つけた。
生々しく、鮮烈で、ただひたすらに残酷なだけの映像が、ひたひたと押し寄せてくる。はじめは頭を振って払いのけようとしたが、徒労だった。血が流れている。どこからどこまでが誰のものかも、もうわからないほどに。

気がつくと。
木々が、歌っていた。生命の歌を。溢れんばかりのひかりの音量で。
はじめになつめやしが見せてくれた映像は、赤ん坊たちだった。ベビーカーに乗せられ、裸の足を陽に晒し、ゆらゆらと揺らしている。
うららかな春の光景だった。
隣に立つマグノリアは、白い炎のような花弁を幾重にもひらき、やわらかな陽光の中で静かに燃えている。また別の赤ん坊がやってくる。よちよちと、乳母に手を引かれながら、道端の仔猫を指さして、なにかを言って、楽しげに笑う。さらに別の子ども。庭の隅で、しゃぼん玉を吹いている。透明な空へ向かって、虹色の玉が湧き上がるように浮かび、風に揺られ、ほどけるように消えていく。そのたびに歓声があがる。
そのふくふくとした、小さな腕。花が咲くみたいに笑う、口元のかたち、頬のえくぼ。見覚えのある面差しに、私ははっとした——私は、この子たちを知っている。この庭で育ってきた子どもたちの、まだ幼い頃の姿。あれはイルハム。隣がアリ。こちらはサラ。そして、このちいさな子がアンナ。
いまはもうずいぶん背も伸び、大人びた仕草で、時折私とすれ違う彼らが、ここではまだ、陽だまりの中で無心に笑っている。まるでこの庭だけが、遠い春の日を静かに抱え込んだまま、時間の流れから取り残されてしまったかのようだった。わずかに褪せた色彩を帯びたその景色は、きっと、木々が抱えている記憶なのだ。

そして、猫たち。
この庭にはたくさんの猫が棲みついていて、植え込みの根元の、ほどよく涼しい木陰に仔を産む。
まだ目も開かない、淡い桃色の塊のような仔猫たちを、母猫が丹念に舐めている。そのすぐそばでは、少し大きくなった縞模様の兄弟たちが、たんぽぽの綿毛を追いかけてじゃれあっていた。その小さな前足で弾かれた綿毛は、ぱっと空へ舞い上がり、春のひかりの中へ散っていく。そのたび、小さな身体がいっせいに跳ねる。
うごめく生命。
やわらかな毛並みも、湿った鼻先も、陽射しを浴びてみずみずしく輝いている。その儚く騒がしい営みを、庭の木々はただ静かに見守っていた。まるで、自分たちよりはるかに短い命の時間を、黙って抱きとめるように。

生まれ出るという恩寵が、空気に満ちていた。
それが、いつか無惨に奪われるものだとしても。
生命は絶えず生まれ続ける。まるで世界そのものが、滅びを知りながら、それでもひかりへ向かって身体を開いているみたいに。
それでも、生命はうつくしい。
私は木の幹に、そっと耳を寄せる。そこには、深い静けさがあった。人間の言葉よりも遥かに長い時間を生きる木々は、おそらく知っているのだろう。無数の誕生と喪失が繰り返されてもなお、春が訪れることを。
声にはならない、なつめやしの豊かな響きがあった。
まるで大地そのものが、静かに呼吸しているような。
