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日々淡々と –すべては完璧–⭐️目醒めのダイアリー⭐️


☆はじめに☆
こちらの記事では、
実際に私が体験した"目醒めへのプロセス"を、
日記のようにつらつらと記しています。
私の過去の記事
(マガジン "何が起きてもパーフェクト
-よろこびはジブンシダイ-"
でもまとめています)
を先にお読みいただくと、
よりスッと腑に落ち入り易いかと思います。



今日も仕事で夜遅くに帰宅。

職場での日々のあれこれに疲れ果て
グッタリした私は、
思わず自宅リビングのソファで眠る息子に
寄り添い、
無意識に彼の心臓の鼓動に
そっと耳を当てていた。

心臓だけでなく、
彼を生かしてくれている
全細胞の"意識"に対しても感謝と敬意を込めて ー



…親である私がいうのもおかしいけれど…
息子は、今、さらにはこれまでの20数年の
人生を振り返っても、
人間関係において常に人が自然と集まる人柄で、人だけでなく物事に対しても
善悪や優劣をつけない
言わば"ニュートラル"な人。
彼は違和感を感じた人に対しては、
無理に避けるでもなく、
付かず離れずニュートラルに受け入れている。

専門家ではない私でさえ、
彼が存在する空間から少し離れたところからでも彼のホンワカ温かいオーラを感じられるような、波動域も広くて強い存在なのだ…



ー ドクン…ドクン…
籠るような心音からは、
心地良い愛に満ちた躍動感。
そのまましばらくすると、
私の心身は徐々に幸福感で満たされていった。
まるで彼から"何か"を
インストールするかのように…
その数十分後だっただろうか。
シャワーを浴びているタイミングだった。
"何か"のインストールが完了したかのように、
私には大きく腑に落ち切った感がしたのである。

"すべては完璧な存在"
(言葉では、幾度となく耳にしているのだが…)

職場など、一見、
自分からしたらカオスなほどに映る、
日常に拡がる自分の外側の状況(現実)は、
実は魂の学びにとってはピッタリの教材として
自分で選んだものだし、
その状況は自分の内面を映す鏡のようなもので、言わば自作自演。

そして、
それは長い眠りから完全に目醒める時まで、
景色を変えて繰り返し起こり続ける。

でも、
その体験が無ければ、
真の気づきのチャンスは絶対に得られないのだ。

さらに言えるのは…
思考で"〜の状態にしたい、
〜させたい(してあげたい)、
〜になって欲しい"と考えるのは、
どんなに、一見利他的で誠意ある偉大な文言に
みえたとしても、それは自分のエゴ。
言ってしまえば"怠慢"の一言だ。
そもそも、
"すべては完璧な存在"なのだから、
ともすると、
自分以外の存在を見下すことになる。

そのエゴは、
理想に反した状況になった途端に
さらなる"執着"へと陥ってしまう。

でも、
まさにその状態に気づいた時こそ、
目醒めのチャンス。
エゴを受け止められた自分を認め、
許し、愛してあげよう。

今、私はまさに手放す時にきたのだ。
そうして、光の彼方へと手放し、
大きく深呼吸をひとつ。



ー 外側への理想は掲げず、
すべての人や事象に対して常にニュートラルに。日々淡々と ー

その、ジャッジせずにすべてを受け入れるという幅広くかつ強い波動は愛となって伝播し、
そうやって目醒めた人たちはともに、
次元上昇する大調和の世界へと歩み始めるのだ。
そこには、まばゆい光と愛の光景が目の前に拡がり続ける。

ー 元来、すべては完璧 ー

息子の心臓の鼓動、
全細胞の意識の波動が私を幸福感へと導き、
私の波動と共振共鳴させてくれた。
そうして私は目醒めの一歩を踏み出した。

すべては完璧。
私を生かしてくれている全細胞、
すべての生命、
地球、
そして大いなる源である宇宙へ
感謝と敬意を。



もっと早くから心得ていれば…
が、これも私の気づきのタイミングなのだろう。

心身がフワッと軽やかに感じられたのは
気のせいではないだろう。
明日の勤務を考えただけで、ワクワク…
そんな穏やかで温かい心持ちで
私はいつの間にか、
眠りについていた。



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