若い世代に伝えたい珠玉のドイツ文学
「若い世代に伝えたい珠玉のドイツ文学」は、次の十三作品をご紹介しています。いずれも優れた文学作品です。
「変身」カフカ
「車輪の下」ヘッセ
「アンネの日記」フランク
「ヴェニスに死す」マン
「モモ」エンデ
「若きウェルテルの悩み」ゲーテ
「歓喜の歌」シラー
「ツァラトゥストラはかく語りき」ニーチェ
「みずうみ」シュトルム
「マルテの手記」リルケ
「三文オペラ」ブレヒト
「ローレライ」ハイネ
「くるみ割り人形とねずみの王様」ホフマン
ゲーテとシラーは、ドイツ文学の双璧と称されています。単に同じ時代に活躍した文学者というだけであれば、日本文学における紫式部と清少納言や、ロシア文学におけるドストエフスキーとトルストイなどの例がありますが、お互いに相手の非凡な才能に敬意を表し、文学的に親交を深めたという点においては、中国文学の李白と杜甫の関係に近いかもしれません。
ゲーテとシラーに共通しているのは。ともに若い頃に発表した作品が、当時の若者たちに熱狂的に支持されたことです。ゲーテは書簡体小説「若きウェルテルの悩み」で、恋に苦悩する青年を感情豊かに描きました。シラーは戯曲「群盗」で、秩序に抗って自由に生きる若者の荒々しい姿を描きました。いずれも従来の社会の旧習に対する若々しい批判的な精神が見られるのが特徴です。こうした文学の潮流は、「シュトゥルム・ウント・ドランク」と呼ばれています。ドイツ語で「嵐と衝動」という意味ですが、日本語では「疾風怒濤」と訳されています。
しかし、その時代は長く続きませんでした。ゲーテはイタリアへの旅行を機に古典主義へと回帰し、シラーもギリシア的な美学を理想とするようになりました。二人は「シュトゥルム・ウント・ドランク」を離れ、次々と新しい文学作品を共同制作して「ドイツ古典主義」と呼ばれる文学様式を築き上げました。ゲーテとシラーの間には千通を超える書簡が交わされましたが、文学的に意思疎通を図るだけでなく、親友として温かく𠮟咤激励する文面が残されています。
ゲーテはシラーの助言によって、長らく中断していた「ファウスト」の執筆を再開し、亡くなる直前まで書き続けました。シラーに出会わなかったら「ファウスト」は完成しなかったと晩年のゲーテは懐述しています。ゲーテは82歳で永眠し、当時としてはかなりの長寿を全うしましたが、シラーはゲーテに先立ち45歳で生涯を閉じました。シラーの死去がゲーテに大きな精神的衝撃を与えることを周囲は恐れ、訃報はしばらくの間隠されていましたが、やがてシラーの死を知ったゲーテは、「自分の存在の半分を失った」と嘆き、病の床に伏してしまいました。
シラーの死をもってドイツ古典主義の時代は終焉を告げましたが、ゲーテとシラーが残した足跡は、後世のドイツ文学に計り知れないほど大きな影響をもたらしました。ゲーテとシラーの魂を受け継いでいないドイツ文学者は一人もいません。ドイツ国内に留まらず、世界中の文学者に敬愛されています。まさにドイツ文学の双璧です。
なお、ドイツ文学とはドイツ語によって書かれた文学のことですから、広義にはオーストリア文学やスイス文学も含みます。また、チェコやハンガリーなどのドイツ以外の出身であっても、ドイツ語で作品を執筆する文学者は、一般にドイツ文学に属すると見なされています。そのため、カフカの「変身」やリルケの「マルテの手記」もここに収録しました。
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