Thisコミュニケーション感想と若干の考察(最終話までのネタバレ有り)
はじめに
Thisコミュニケーション、間違いなく自分が人生で触れた作品の中でも五指に入る傑作でした。他に類を見ない独自性をそのままに、ラスト2話が最高に面白いという理想的な収束を見せてくれたこの作品。この記事では特にそのラスト2話に焦点を当てて、Thisコミュニケーションへの自分の感想と若干の考察を書き残しておきたいと思います。
お祭り騒ぎの第48話
第47話では、デルウハ殿とハントレス達の完璧な和解が描かれました。まさかここから王道展開でのハッピーエンドへ……?と言う気配さえ漂う中、物語は急展開を迎えました。
姿を消し戻らないハントレス達
復旧不能になった電力塔
暗い表情で物思いに耽るデルウハ殿
そして始まった『お祭り騒ぎ』。スラッシャー映画の怪人顔負けの殺戮を繰り広げるデルウハ殿。
初めてこのエピソードを読んだ時、自分はかつてない程の興奮と多幸感に震えました。所長が爆死するシーンなど、心の中で喝采を贈った程です。
特に作者の六内兄貴が天才だと思ったのがこのシーン

嬉しそうに駆け寄ってくる真中を、デルウハ殿が一瞥もせず無造作に撃ち殺すこのシーン。この話の冒頭で、真中とみちとの和解を予感させる一幕がありました。数ページに渡り描かれた、親としての彼の苦悩、そしてそれに寄り添う所長の述懐……実に丁寧に描かれています。

それを、こんなにも無造作に撃ち殺す。正直自分は興奮で心が躍りました、こんなにも無情で酷薄で、それでいて『納得』しかないシーンが描けるものなのかと。
デルウハ殿が真中にみちとの対話を促したのは、そうした方がみちの精神衛生上良い影響がでるだろうと言う判断からだったのでしょう。つまり遠回しな自分への利益のためで、真中の心を慮ったわけでは無い。
もはやハントレス達の帰還が望めなくなった状況では、真中は『殺すべき大勢』の一人でしかありません。それ故の一幕なのでしょうが……ここまで徹底出来るものかと唸るしかありませんでした。
穏やかで爽やかな最終話
最終話は、特に味わい深い話でした。ハントレス達が未帰還となり、研究所の面々は一人残らず殺し尽くし、本当の意味で一人になったデルウハ殿。しかし当人には驚くほど悲壮感など無く、今までの話でも最も満ち足りた、穏やかなデルウハ殿を見ることができます。
良かった、最後までヤバい奴だ……
自分の率直な感想はコレでした。大分デルウハ殿に毒され……と言うか魅入られていたのかも知れません。魔性の男、デルウハ。

そして8年もの歳月、一人静かに1日三食を食べ続けたデルウハ殿は、なんの躊躇いもなく自らの首を斧で掻き切りました。
このあたりは純粋に語りの文章と絵が見事過ぎて『漫画が上手い……あまりにも上手過ぎる……』と感心しきりでした。特に前話である48話もそうなのですが、第1話との対比が良過ぎるんですよね。4ページぶち抜きド迫力のパノラマは、画力の高さも相まって寂寥感が凄かったです。

そして帰ってきたハントレス達。誰よりもデルウハ殿を慕う6人の少女達。もうほとんど意識も無いデルウハ殿の手を必死に握り締め、心の底から死なないで欲しいと願うよみ。彼女はデルウハ殿がもう長くないと悟ると『自分達の事を愛していたか』と問いかけます。
結局最後の最後まで、ハントレス達が本当の意味でデルウハ殿を理解することはありませんでした。理解していたなら、こんな的外れな問は投げ掛けないのですから。

でも、それで良いのです。よみの問に、デルウハ殿は、肯定するように手を握り返しました。それにより、少女達は奮い立ちます。それが単なる身体の反射だったとしても、少女達の勘違いだったとしても。この時、確かに世界は愛で救われたのです。なんと切なく、美しい勘違いでしょうか。そして、『これこそがコミュニケーションである』と、物語は締め括られます。
なんか凄いもん読んだな……
読了後の率直な感想はコレでした。とても切なく、それでいて爽やかな読了感でした。
しかし読み終わってしばらくして、ふと思いました。
いや、なんか爽やかに終わってるけど主人公かなりヤバいことしてなかった……?
自分はなんでこんな爽やかな気持ちなんだろう……ちょっと怖くなりました。同意してくれる人多いと思うんですけどこの作品、本当に読了感が爽やかなんですよ。ラスト2話で描かれているのは(と言うかそこまで全話に渡ってだけど)『我欲に忠実に殺戮を行い己を満たす主人公』と言う地獄みたいな状況なんですが、不思議とそれが尾を引かないと言うか。
なので次項からは、この爽やかさの理由をちょっとだけ考察してみたいと思います。
『悪魔が悪魔のまま退場する物語』
散々作中で『悪魔』呼ばわりされるデルウハ殿ですが、第48話での所業は完全に人としての一線を越えており、この呼称はあまりにも妥当と言わざるを得ません。自分が弁護士なら『どうやって心神喪失だったことにしようかなぁ……』とか考えると思います。
他の作品に目を向けてみても、こう言った『悪魔』『外道』『極悪人』とカテゴライズされる人物は珍しくありません(主人公をやってるのは珍しいですが)。このような人物の幕切れはほとんどの場合2パターンのうちのどちらかになるかと思います、つまり
・報いを受け身を滅ぼす
・改心して悪魔ではなくなる(その上で報いを受ける場合もある)
そして稀なケースとして
・悪魔が悪魔のまま報いを受けず物語が終わる
と言うパターンがあります。Thisコミュニケーションは明確にこのパターンです。デルウハ殿は自身の生存のためだけに罪の無い人々を大勢手に掛け、罪悪感をまったく抱かなかった。満ち足りた穏やかな8年間近い時を過ごし、なんの後悔も無く自ら命を断ったのですから。
このパターンが珍しい理由は単純で、読後感が悪くなりがち……要するに『胸糞悪い』と読者に思われがちだからです(余談ですが私個人はあんまりこの感覚は持っていません)。
基本的に人間は勧善懲悪が好きなのです。悪人には罰が下って欲しいし、善人は報われて欲しいのです。今日も報いを受けない悪人への苦言がSNSには溢れ返っています、難儀な人達だなあ。
しかし、Thisコミュニケーションが創作物として極めて特異で面白いのが『別にデルウハ殿が報いを受けなかった事を気にしている読者があまりいない』点ではないでしょうか。これにはいくつかの理由があると思います。
そもそも今さらじゃない?
ぶっちゃけ、理由の5割ぐらいがコレじゃない?Thisコミュニケーションは、明らかにデルウハ殿の常軌を逸した殺人鬼っぷりが人気を牽引している作品です。1話目から最終話までその方向性は変わっていません。
分かりやすく言うのであれば『ここまで読んだ読者の倫理観は割ともうガバガバになっている』のです。
物語としての必然性がある
『キャラクターとしての一貫性』と言っても良いかも知れません。仮にここでデルウハ殿が殺戮を行わなかったとしてみます。
『ハントレス達の未帰還により電力の復旧が不可能となり、食糧の供給が途絶えた研究所。それでもデルウハは彼女達の帰還を信じ、必死に研究所の面々と命を繋ごうとします。しかし万策尽き、飢餓により一人また一人と倒れていきます。それでもデルウハは、最期まで無辜の人々を傷付ける事だけはしませんでした。彼女達との不殺の誓いを、最期まで守り通したのです』
いや、誰だよお前
無理があります、と言うか嫌過ぎます。こんなのデルウハ殿じゃない!僕らの冷酷非情な殺人鬼デルウハ殿を返して!
要するに、デルウハ殿ならこうする、こうして当然、と読者が納得できるだけの確固たるキャラクター像が構築出来ているんですよね、この時点で。
研究所の面々の好感度が低い
これ、何気に作者の六内兄貴の見事な調整というかバランス感覚というか……基本的に道徳に背いて人を殺したキャラクターを読者は嫌いがちですが、殺された側が嫌な奴だと『まあ、ええか!』となりがちです。
思えば研究所の面々はかなり悪しざまに描かれています。
・ハントレス達とまともにコミュニケーションを取ろうとした人物がほぼいない
・危険な戦闘は100%デルウハ殿とハントレス任せ
・デルウハ殿とハントレスが決裂した瞬間内ゲバ
・研究の暴走で尻尾付きとか言う最悪の敵を生み出す

なんか事実だけ列挙するとろくなことしてねえなコイツら!やっちまえデルウハ殿!
しかしこの観点で見ると一人だけ例外となる人物がいます。
止まれ、この瞬間は美しい
そう、所長だけは例外的に読者から好感度の高い人物です。善良でお人好しな苦労人、しかも主人公デルウハ殿の最大の理解者でもあります(根本的な倫理観は割と狂ってますが)。
『無実の、主人公の理解者であり、人気もあるキャラを主人公が惨たらしく殺す』、内容だけ並べると完全にアウトです。
それでもこの所長が退場するシーンを、作中屈指の名シーンだと思うのは私だけでは無いでしょう。それは所長が『デルウハ殿を真の意味で理解し、彼に殺されることを受け入れた』からに他なりません。
所長は勘違いをしていました。デルウハ殿が壊れてしまうのを食い止め、ハントレス達との和解により彼に情が芽生え、人の道を歩んでくれると本気で信じていた。

でも、違うんです。デルウハ殿は何も変わっていません。『自分の利益のために他の全てを犠牲にする』鉄の合理性はまったく変わっていなかった。
死の際でそれに気が付いた所長ですが、彼がデルウハ殿に向けたのは『怒り』でも『憎しみ』でもなく『感謝』でした。本当ならとっくに終わっていた研究所を長らえさせてくれた。今まさに死のうとしている自分に心からの賛辞と甘言を囁く悪魔……自分や研究所の面々の死は、悪魔への対価としては妥当だと、そう認めたのです。

『まあ、研究所メンツで一番苦労してた所長がそう言うなら仕方ねえなぁ……』
読者にそう思わせるだけの説得力が、このシーンにはあると思います。
Thisコミュニケーションの持つメッセージ性
『コミュニケーションとは信頼の積み重ね』
これは作中でも度々言われている事だと思います。併せて『正論だけじゃ人は納得させられない』と言うテーマも付随しています。
特に吉永はそれを象徴するキャラクターです。他人からは観測不可能な超常的な能力で他者の思考を読み、真実を知る。知った真実から語られる言葉は正しいし、他者を慮る真心も本物です。
ただ『正論を言っていれば信じて貰える』と言う勘違いだけが致命的だった。また彼は『道徳的に正しく無いが全体の利益になる存在』を許容できません。つまりデルウハ殿とは絶対的に相容れない。

主人公のデルウハ殿は全49話中の48話の間、ずっとコレに腐心してきたわけです。『正しいかどうかよりも信じて貰えるかどうか』なのだと。相互理解の不確実性を誰よりも知るデルウハ殿だからこそ、信用の大切さを知っていたわけですね。
『コミュニケーションとは勘違いである』
一見すると身も蓋もないテーマですが、この作品はこの結論で締め括られます。結局、ハントレス達も所長も、デルウハ殿を理解することはありませんでした(所長は死の間際にかなり理解していましたが)。長い物語の中でコミュニケーションを重ね、47話で和解に至り、それでも『相互理解』には到達出来なかった。
なら彼らのコミュニケーションは無駄だったのでしょうか?もちろん、答えは『NO』です。
きっと、最終的なハントレス達の中のデルウハ像とは『合理主義で冷徹だけど、根っこの部分では世界を救う大義や正義の心もしっかりある不器用な人』ぐらいのものだったのでしょう。勘違い以外の何ものでもありません。
そして極めつけは『自分達を心の奥底では愛してくれていた人』と言う、あまりにも的外れな勘違い。でも、世界は救われました。他でもないこの、的外れで美しい勘違いによって。

悪魔の所業は誰にも知られず、悪魔は何一つ償う事無く、幸せなままにこの世を去りました。悪魔の甘言は、少女達を最後まで欺きました。しかしその偽りの絆は、世界を確かに救いました。だからきっと、悪魔は悪魔のままで良かったのです。
『人類の歴史とは、コミュニケーションを重ねた末の勘違いの産物である愛や情で紡がれてきたものである』と言う総括は、文字だけだととても酷薄で、どことなく冷笑的な人類への視点とも捉えられます。
しかしThisコミュニケーションの優しく切ない終わり方からは『そんな勘違いの産物だけど、それで人類は前に進めていけているのだから、それで良いじゃない』と言う、どこか力の抜けた、ふわりとした優しさを感じずにはいられません。なのでこの物語は、コミュニケーションと言う題材を通した、人類への優しい語りかけなのだと私は思います。
まあ、これもただの『勘違い』かも知れませんが
