【ショートショート】 蒼の湖
母方の祖母が亡くなって六年が経つ。
蒼の眼の美しい人だった。
祖母の人生は本当に幸せだったのだろうか。
今でもよく考える。
祖母の家族は自国の革命の混乱から逃れて日本に来た。
一人娘の祖母は十五歳だった。
二十歳の年に地元の漁師と恋に落ちて結婚した。
曾祖父は猛反対したらしい。
私たちを受け入れてくれた日本人には感謝しているが、ともに住むには文化が違いすぎると。
苦労したのではないか。
言葉や文化の違いで戸惑う祖母に、自分にも他人にも厳しかった祖父は時に怒鳴ることもあったらしい。
それでも悪い思い出ばかりではなかったのだろう。
祖父が亡くなったあとも祖母は、二十年近い歳月を一人その家で過ごした。
私は母とともに祖母の家を何度も訪れた。
都会育ちの私には森も鳥も遊び相手のようなもので、大自然に遊んでもらえることが楽しかった。
近くに大きな湖があり、私は祖母とよく散歩に出た。
天気のいい日に湖は、祖母の眼そっくりな色になった。
湖畔に座っていると、祖母が秘密をおしえてくれたことがあった。
本当は国に将来を誓い合っていた男の子がいたのだと。
「おじいちゃんには内緒だよ」
祖母はいたずらが見つかった子どものような表情をしていた。
祖父が亡くなった後の話だ。
仏壇の前で言ってはならないという意味だとは思ったが、幼い私にはよく分からなかった。夜中に幽霊の祖父が心を読みにくるのではないかと、私は布団の中で一人震えた。
冬になると湖には白鳥がやってきた。
羽づくろいをしたり眠りにつく白鳥を、祖母と二人眺めた。
飛び立つ姿はとりわけきれいだった。
私たちは、祖母の祖国へ帰って行く白鳥たちを何度も見送った。
白鳥の姿が空に消えると、祖母は決まって肩を落とした。
取り残されたような表情を浮かべて無口になる。
羨ましかったのだろうか。
連絡のとれなくなった親戚や、かつて祖母と将来を誓い合った男に、白鳥は会えるかもしれないから。
私はそんな時、一人で遊んだ。
湖に手を浸し、泥をすくった。
遊びに飽きると、
「おばあちゃん、おうちに帰ろう。ケーキを食べたいよ」
そう言って手を振った。
祖母が私のためにいつも作ってくれるお菓子があった。
メドヴィークというはちみつを使ったケーキで、私の大好物だった。
「帰ろうか」
祖母がようやく立ち上がり、私の汚れた手を見て眉をひそめる。
それなのに祖母は、いつも私の手をぎゅっと握り締めた。
水で冷えた私の手に、祖母の手は温かく心地よかった。
「おうちに帰ったらちゃんと手を洗いましょうね」
私は頷き、祖母を仰ぎ見る。
蒼色の眼が私を見ていると安心した。
私は祖母がどこにも行かないように手をしっかりと握りしめる。
それから祖母が後ろを振り返らないように、思いつく限りのお喋りをしながら、いつも家までの道のりを急いで歩いた。
<了>
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最後まで読んで下さってありがとうございました。
シロクマ文芸部さん企画の参加作品です。
お題は、「手を洗う」から始まる創作。
シロクマ文芸部さん、楽しい企画をありがとうございます!
