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冷めていた私が、はじめて泣いた日

今ふりかえると、
子どものころの私は、どこか冷めていた。
――というより、現実的だったのかもしれない。 

卒業式で泣いたことがない。
「今日でお別れ」という空気に包まれて、
多くの同級生が涙を流しているのを見ながら、
私はいつも不思議だった。

どうして泣くのだろう。

会いたいと思う人とは、
会おうと思えば、いつだって会えるじゃないか。
そう思っていた。

大学進学で故郷を離れたときもそうだった。
少し距離は遠くなるけれど、
半日あれば行き来できる。
その気になれば、いつでも会える。

だから、高校の卒業式でも泣かなかった。

そんな私が、
別れが悲しくて涙が止まらなくなる日がくるなんて、
思ってもみなかった。


大学時代に出会った、二つ年上の先輩。
お互い下宿生活で、自転車ですぐに会える距離に住んでいた。

よく遊んで、よく飲みにも行って、
相談ごとがあると近くの川原に呼び出して、
夜な夜な話を聞いてもらった。

その先輩が、大学院進学で町を離れると知ったとき、
私は泣いた。

驚くほど、泣いた。

会いたい。
いま会いたい。
すぐに会って話したい。

そう思っても、もうそれは叶わない距離になる。
そのことが、こんなにも胸を締めつけるなんて…


当時だったか、少し時間がたってからだったか、
自分なりに分析したことがある。

子どものころの私は
冷めていたのではなく、
まだ出会っていなかったのだ、と。

心が震えるほど、
深くつながれる誰かに。

そしてもうひとつ、気づいたことがある。

会えるかどうかが問題なのではない。
どれだけその人に心を預けていたかが、
別れの重さを決める
のだということ。

距離は測れても、
心の深さは、失いかけたときにしかわからない。


その先輩とは、その後も何度か会った。
けれど今は疎遠だ。
それでも、三十年以上たった今も、
こうしてふと思い出す。

それはきっと、
あの時間が、ちゃんと私の中に残っているから。

物事の良い面を見ること。
他人を責めない姿勢。
小さなことに喜びを見出すまなざし。

先輩が教えてくれたものは、
時空を越えて、いまも私の中で息をしている。

あの涙は、
失う悲しみだけではなく、
こんなにも深く誰かとつながれていたことの
証だったのかもしれない。


もし今、別れがつらい人がいるなら、
それはあなたが、誰かをちゃんと大切にしてきた証。

それは、悲しむべきことではなく、
ほんとうは、とても幸せなこと
なのだと思う。

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