原因の定義が広すぎるAIに反論してみた
>>同じ原因は常に同じ結果を生む。時に結果が異なるなら、それは原因ではなく主観的な理由や動機条件言訳口実根拠切欠発端相関。
これは感情自己責任論が主張する「原因の定義」だ。有り難いことに、これに対するAIのコメントが紹介されていたのでそれに反論してみた。
そのAIがGeminiかどうかは知らんケド🙄 #AIとやってみた
>この主張には、以下の点で考慮すべき点があります。
>「原因」の複雑性と特定性
>私たちは「同じ原因」と言いますが、現実世界で完全に同一の「原因」を再現することは、ほとんど不可能です。
ここはその通り。文字通りの「完全に同一」は非現実で、そもそも語るに値しない。だからこそ、再現可能なものだけを原因と定義し、再現不能なものは条件等と称すべきなのである。
>私たちが「原因」と認識しているものは、往々にして結果に影響を与える多くの要因のうちの一部に過ぎません。同じように見えても、環境、時間、関わる人の心理状態、偶発的な出来事など、認識されていない、あるいはコントロールされていない微細な違いが、結果に大きな影響を与えることがあります。
諸条件によって結果が変わる再現不能なそれを「原因」と認識する事が、間違っている。
>原因と結果の関係が常に線形(Aが増えればBも増える、といった単純な比例関係)とは限りません。ある閾値を超えると全く異なる結果になる、といった非線形な関係も多く存在します。
その場合、「閾値を超えた事」や「閾値の存在」が「結果が変わった原因」となる。単純な比例関係でないなら、これも「因果」ではなく「相関」と称すべきだ。
>「同じ原因は常に同じ結果を生む」という原則は、理想的な実験室環境や、物理法則が厳密に適用されるような限定的な状況では有効です。しかし、現実の複雑なシステム、特に人間社会や自然現象においては、この原則をそのまま適用することは困難です。
一つ一つの事象の間に数多の因果応報が連なるのだから、巨視的に人間社会・自然現象を見れば当然困難になる。だが冒頭の命題では正にAIが言う「限定的な状況」の話をしているので、そもそも観点が異なる。
AIや一般の人々が採用する従来の大雑把な定義では、「種を植えた」は「実が成った原因」となり、「被害者の発言」は「加害者の怒りの原因」となる。故に「種を植えずとも実が成る事象」は無視され、「被害者の発言が加害者を怒らせた」という論理飛躍が蔓延る事になる。
その結果、世界がどうなっているか。推して知るべし🙄
ともあれ、AIに対する批判的思考力や質問力が乏しい人も、低水準教育の犠牲者。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。
以下、弊サイトより抜粋。
同じ原因は常に同じ結果を生む。時に結果が異なるなら、それは原因ではなく主観的な理由や動機条件言訳口実根拠切欠発端相関。
原因ではない表層的事象の解消は偽善・自己欺瞞。根本的解決にならない。故に、仮に貧困を無くしても富豪が罪を犯す。
経緯はどうあれ加害なくば被害なし。加害の原因は常に加害者の精神的未熟。被害者の非や落度過失欠陥問題は原因に非ず。
例えば「何度転校しても虐められるのは被害者にも原因が」は偽。原因は各校の加害者の精神的未熟。被害者に苛めの原因はない。
時速300㎞でも事故らない事もあれば、時速1㎞で事故る事もある。速度は事故ではなく「事故時の被害拡大」の原因。
真珠湾攻撃の原因は日本に100%。原爆投下は米国に100%。喧嘩両成敗は因果を正確に見極めきれない者の事勿れ蒙昧主義。
