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半世紀前に北米大陸をバスで一周旅行

米国建国250年と建国200年祭


 本日、2026年7月4日は、アメリカ合衆国独立250年の記念日です。すなわち、1776年7月4日に独立宣言し、そして、今から半世紀前の1976年は、建国200年祭の年でした。

北米大陸をバスで一周旅行

 半世紀前の1976年の4月に、北米大陸をグレイハンドバスで、約1ヶ月をかけて、図1のように、一人で、一周しました。

 この頃は、ヒッピー風の格好をして、ザックを背負って横歩きする様が、蟹の横歩きに似ているので、カニ族とも呼ばれていました。

図1 北米大陸バス一周旅行の経路

格安航空券

 この頃は、日本から米国大陸への直通航空経路はなく、羽田からハワイへ飛び、ホノルルで入国審査をして、サンフランシスコ(SF)のメインランドへ到着する必要がありました。

 ラジオの英会話のテキストに、バークレーで1ヶ月の英語研修のための参加者募集広告を見つけ、その中に、航空券のみを、団体旅行割引で販売することが書かれている広告を見つけました。

 図2のカリフォルニア大学のバークレイ校に当時勤めていた知人に、手紙で連絡したところ、宿泊の許しが出たので、英語研修の航空券のみで渡米し、渡米の初日と帰国前の1泊だけ、お世話になることにしました。

図2 カルフォルニア大学バークレー校

バークレーとオークランド(OAK)

 バークレーでの初日は、土曜日だったと思いますが、時差ボケして遅く起きて、荷物を整理していると、家族でアサリ取りから帰ってきた知人の息子さんが、「What are you doing?」と問いかけてきました。これが、イミグレーション以外に、人生で最初に聞いた生の英語だったと思います。

 もし、英語が苦手な自分だったら、「What do you do?」と言っていたと思います。このことから、海外旅行の際には、タクシーで移動しないで、できるだけ、バスや列車で移動し、生の会話をするように心がけるようにしました。

 グレーハンドバスでのバス旅の始めは、バークレーから、サンフランシスコへ元戻りしないで、オークランドのバス停から、グレーハンドバスに乗れるとのことで、知人の方にそのバス停まで、午前中に車で送ってもらいました。

グレーハンドバスのシステム

 グレーハンドバスの1ヶ月有効なチケットは、たぶん、日本で買って行ったと思います。

 当時のバスは、前方半分が禁煙席、後方半分が喫煙席でした。もし、前方で喫煙している乗客があると、運転手は、フリーウェイに止まり、バスから降りるように命令するので、その乗客は、直ぐ後ろの席へ移動せざるをえませんでした。

 また、同じ営業所内では、同じバス車両に連続して乗り、運転手だけが交代するシステムでした。

 さらに、トイレや食事は、レストランやハンバーガーショップに、数時間ごとに、バスが立ち寄り休憩してくれるので、そこで、食事を繰り返すことになります。

 思い出したのですが、そのハンバーガーシップで、1個が75セントのカリフォルニアオレンジを手で皮を剥いて食べたとき、とても美味しくて、店にあれば、必ず食べていました。

ロサンゼルスLA

 ロサンゼルスのバスセンターには、午後7時ごろ到着し、アルバカーキー行きは、夜行便となりました。
 パスセンターのトイレに行くと、男の子がペーパータオルを持ってきて、「Give me a dime.」と言ってきたのですが、「Thank you.」ではなく、「ありがとう」と言って、ペーパータオルを受け取りました。この行為は、今でも、脳内が「どっちが正しいの?」となります。

アルバカーキーABQ

 アルバカーキーでは、バス車両の交代となりました。どのバスも形が同じで、交代バスを探すのに苦労した記憶があります。

ワシントン DC

 アルバカーキから数日かけて、ワシントン DCに到着し、ポトマック河畔の桜、リンカーンホール、ホワイトハウス、造幣局などに行きました。

フィラデルフィア

 フィラデルフィアで、国際学会があり、市内のYMCAに宿泊して学会に通うはずでしたが、学会のホテルが郊外にあり、4日間の移動は困難なことから、他の大学の学生さんと、学会のホテルのツインルームをシェアしました。

ニューヨーク

 先輩とニューヨークのホテルで一緒にし、ニューヨークの国連本部や自由の女神などを見学しました。

大学寮への宿泊

 ニューヨークからナイヤガラの滝へ行く途中の1976年4月15?日のお昼ごろに、図3に示す大学に到着し、その大学のドミトリーに、1泊だけしました。

 そのドミトリーに泊まるようになったのは、米国東海岸のホテルで、二十歳くらいの日本国籍の男子学生に会いました。

 その時、その大学の二十歳ほどの米国籍の女子学生が、日本の高校に交換留学したことがあり、その女子学生に会うために、日本国籍の男子学生が同行して欲しいとの依頼で、日程が合うことから、お邪魔虫を務めました。

 図2において、大学の後ろがグレイハンドバスが走る道路で、多分、左側がニューヨーク側で、右側がナイヤガラ方面です。大学へ降りてくる交差点のあたりにバス停があり、坂を下って、大学門前の公衆電話ボックスがあり、ここから連絡を取りました。また、大学の建物の左側がドミトリーで、ドミトリーのかまぼこ形の入口は、その最も左側でした。

 ドミトリーの入り口から離れたところに、教員住宅があり、我々2人の男子学生が、日本国籍の女性の日本語教師の方の住宅に、面談に行ったことを覚えています。

 以上のことから、当時、二十歳前後の女子学生も男子学生も、現在、70歳前後だと思います。日本語教師の方は、現在、80歳前後だと思います。

 なお、生成AIのプロンプトの不足で、大学の位置関係などに細かな誤りはありますが、大学の配置図は、大体合っていると思います。

 自分がその男子学生、女子学生、日本語教師であると言う方は、大学名や住所と共にご連絡ください。男子学生だと名乗る方は、会ったホテルの都市名もお知らせください。よろしくお願いします。

図3 宿泊した大学のドミトリーなど

ナイヤガラの滝

 大学のドミトリーに宿泊した翌日に、ナイヤガラの滝見学で、アメリカからカナダへ1日だけ入国しました。

 ナイヤガラの滝観光の後、バスでカナダのロンドン市に移動し、遅い昼食を取りました。その食堂から、トロリー電車が見えたような記憶があります。

カナダロンドンからバッファローへ

 夕方、ロンドンから、バスで、バッファローのアメリカへ入国しました。ビザが1日しかないのに、夜中の12時を回った後に入国したのか、今では良く覚えていませんが、イミグレーション対応が、非常に厳しかった記憶があります。

 そして、その後、数日かけて、グレイハンドバスで、コロラド州のデンバーへ向かいました。この時のバスは、小さな町の郵便局前に止まったりした記憶があります。

デンバー

 デンバー市のボルドーでは、宿を予約していたので、久しぶりに、シャワーを浴びることができました。

 また、デンバーのグレイハンドバスセンターのすぐ隣に、吉野家の牛丼屋があったので、この時、初めて、アメリカのデンバーで、牛丼を食べました。

グランドキャニオン

 デンバーを出発し、アルバカーキーには、早朝についたのではないかと思います。その後、グランドキャニオンに午前10時ごろ到着し、午後2時ごろ、ロサンゼルスへ向かいました。

 グランドキャニオンは、ロサンゼルスと異なるマウンテン時間で、1時間時刻がすすんでおり、バスに乗り遅れる人を多く見ました。

サンタバーバラ

 ロサンゼルスを朝に出て、お昼ごろ、サンタバーバラに着き、知人宅で、1泊させてもらいました。
 翌日、サンタバーバラの山岳ドライブや、ビーチでのバーベキューを楽しみ、バスで、バークレーへ向かいました。

バークレー

 バークレーで、また、知人宅で、1泊お世話になりました。翌日、英語研修を終えた人達のグループに合流し、サンフランシスコを飛び立ち、ハワイへ向いました。

ホノルル

 英語研修のグループは、ホノルルのビーチのそばに、ホテルが確保されており、そこからビーチで楽しめました。しかし、航空券のみの身のため、その時は、ハワイ大学西のユースホテルに宿泊し、ビーチにバスで通いました。

 約2年半後の1978年の12月にハワイに行った時、そのユースホステルは、すでに取り壊されて、ありませんでした。

まとめ

 半世紀前の1976年の4月の北米大陸のバス一周旅行について書きました。

 この投稿が、フィクションと思われる方が多いと思いますが、全て実話です。できるだけ多くの方に目にしていただき、その時にお会いした日本国籍の男子学生、アメリカ合衆国の女子学生、日本語教師の方々と連絡を取りたいと思います。

 この記事を読んで、その時に、米国で巡り合ったという日本国籍の男子学生の方であれば、落ち合った米国の都市名やホテル名、また、寮のあった大学名や住所などを、お知らせください。
 なお、連絡を取るには、相互フォローが必要です。

 半世紀前のこの米国への旅行が、人生初の海外旅行でした。

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