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「パイロットになったら自己責任」? 自由と責任について

2年前の私が「昨日から自由と責任について考えている」なんてタイトルで日記を書いてて、読み返してみたら面白かったので掘り起こしてnoteにしておきます。なお欧州周遊して毎日楽しく飛んでるさなか、旅の記録と並列で書いてた日記です。パイロットとして好きなところに行って飛べる自由と、ひとりで旅に出ることに伴う責任を満喫していたのでしょう。


「パイロット証をとったら自己責任」とよく言われるけど、自分で判断したことは自分の責任…というのは基本的に常にそう。パラグライダーをやりたいと思いついて実行に移すことはもちろん、車を運転するか否か、どんな仕事を選ぶか、どこに住むか、日本国内で働くか日本国外にいくか、国外を選ぶならどこに行って何をするか、倫理的なことをするか犯罪に手を染めるか、全部ぜーんぶ自己責任。なのに、なぜパラグライダーでは「パイロット証(ライセンス)をとったら自己責任」っていうのだろう。

パラを習うか、どこのエリアに所属するか、ビジターとしてどこかにおでかけするか、誰かに迷惑かけちゃうようなリスクをとるか、海外ツアーに参加するか、それで楽しい思いをするか嫌な経験をするか、得るものがあるかないか、だいたいのことは自分が決めることOR自分の行動の結果であって、誰か他人のせいにはできない。

誰かに危害を与えたら損害賠償を求められて対応をする必要があるし、逆に誰かから危害を与えられたら相手に賠償してもらうために戦わなければならない。損害賠償どうのこうのは大変なことになりがちだから、いざ当事者になったときに対応できるように損害賠償保険をかけたり、弁護士特約をつけたりする。こういうのも自己責任。

とはいえサバイバルの世界にならないように国の法律や公共のルールやマナーがあるし、特に日本はその傾向が強い。とはいえ、それを守らない奴もある程度いるのは、常に頭の片隅に入れて行動したほうがいい。これも自己責任。

あれこれ考えるのは面倒だから、パラグライダーなどの危険なスポーツをやらない主義の人や、自動車類の運転を避ける人がいるのも理解できる。しかし、そもそも公道を歩くのは車が突っ込んでくるリスクがあって危険だし、賃貸住宅もご近所さんとのトラブルが発生する可能性があって危険だし、リスクをゼロにしたいなら極論するとこの世で生きるのを辞めるしかない。

私にとって「自分の判断で招いたことは自分のもの」という当たり前のことだけど、そうではないと他者に文句をつける人が多いから、日本のパラグライダースクールは防衛線をはるために「パイロットをとったら自己責任」というのかな、と思う。

パラグライダーだけではなく、日本ではやたらと「自己責任」という言葉が特別なことのように使われている気がする。日本で今まで機能していた公助の仕組みがアテにできなくなっているからか、または、他人になにかと文句をつけたがるモンスターが少なからずいることへの対策か。別の言葉でいうと、「お上がなんとかしてくれる」というパターナリズム的思考がもう通用しないよ…という警句か、アメリカの訴訟文化が我が国に輸入されたことの表れか。


もとが日記の文章なので、特にオチはありません。

とはいえ、「パイロット証をとったら=パイロットになったら自己責任」とまるで特別なことのように言われるのは「スカイスポーツは本能的な対応では対処できないスポーツなので、スクール生として教わっている期間はインストラクターの指示にしっかり従う必要がある。その一方でスクールを卒業したら自分でちゃんと判断してね、インストラクターは卒業したひとまで見る余裕はないし、スクールはパイロットには保険をかけていないから」という背景もあります。

でも私は、スクール生であっても「パラグライダーをするか否か」「今日飛びにいくか否か」「この風で飛ぶか飛ばないか」等、諸々の判断した結果は、基本的には自己責任で当然じゃないかな、と思います。「飛べない」といってるのに無理して飛ばせるようなスクールはいまどき滅多にないですから…ゼロではないかもしれませんが…ブラック企業と同じで、そういうところからは逃げることをおすすめします。自己責任で笑。

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