江南ではなく、江北で暮らす理由
ソウルの江北(カンプク)が、私は好きだ。
韓国、とくにソウルでは、江南(カンナム)に住むことが
ひとつのステイタスのように語られることがある。
でも私には、近代と過去が混ざり合った江北の空気の方が、
ずっと心地いい。
少し古くて、少し新しい。
その曖昧さが、落ち着く。
時々、無性に行きたくなる場所がある。
宗廟(チョンミョ/종묘)だ。
天気の良い日曜日、娘を誘って散歩してきた。
都会の真ん中にあるのに、そこは驚くほど静かで、整っていて、
無駄なものがない。
敷地に足を踏み入れると、スッと心が整う。
バスを降りて横断歩道を渡り、目の前に広がる宗廟の広場と塀、
そして遠くに見える北漢山(プッカンサン/북한산)。
その景色を見た瞬間、理由はわからないけれど、深く落ち着く。
宗廟はお墓ではない。歴代の王を祀ってきた場所だ。
だからだろうか、空気に無駄がなく、どこか張り詰めたような静けさがある。
私はその“整った空気”が好きだ。
韓国に住んでいて、良いことばかりではない。
それでも、少し疲れたとき、何も考えたくないとき、ここに来ると、
不思議と軽くなって帰れる。
私にとってのヒーリングであり、
静かなパワースポットのような場所だ。
ここに来るたびに思う。
江北に住んでいてよかった、と。
正直に言えば、江南の洗練された都会の空気は、私には少し合わない。
私は、少し古くて、少し新しい、
江北の曖昧さの中で暮らす方がしっくりくる。
好きだと思える場所に住めることは、
それだけで、十分に豊かだ。
韓国が好きで来たわけではない。
でも、気づけば、
ソウルを好きになり、
韓国を好きになっている。
ソウルは、江南と江北でまったく表情が違う。
同じ都市なのに、別の場所のようだ。
その違いが、面白い。
そして私は、時々ここに来て、慌ただしい日々からちょっと一休みし帰る。
宗廟を歩くとき、ひとつだけ。
石段の真ん中は踏まないこと。
そこは神が通る道であり、王が歩いた道。
そう思うと、この場所の空気の意味が、少しわかる気がする。
